魏書 島夷劉裕伝
劉裕74 魏:盧循追討戦
魏書は
もう少し突っ込んで伝えている。
まあ
そうならざるを得ないわけですが。
後に他の人の伝にも出てくる内容ですが、
少しだけ覗いてみましょう。
失敗したのを悟ると、
「先生、ここは一旦引いて、
その後、全戦力のうち2/3を費やして
改めて建康になだれ込めば、
なんとか勝てるはずです」
こうして
劉裕はすかさず
尋陽どころかさらに損害を喰らい、
更に追い込まれた。
盧循を南に逃すため、
徐道覆は
やがて敗色濃厚となったところで、
まずは妻子に毒を飲ませて殺し、
その後に自殺した。
一方の、盧循。
徐道覆の尽力もあり、
なんとか本拠地の
既にそこは劉裕の部下の
番禺を攻撃しているうちに、
北からは追手の
なので盧循、番禺は諦め、
さらに南下した。
さらにそこを足掛かりとして
交州刺史の
進退窮まったと悟った盧循、投水自殺した。
盧循既不戰,乃告道覆曰:「師老矣,可還據尋陽,并力取荊州,徐以三分有二之勢與下流爭衡,猶可以濟也。」乃自蔡洲南退。裕遣輔國將軍王仲德等追之。徐道覆至始興,猶據山澗,劉蕃等攻之,道覆先鴆妻子,然後自殺。盧循至番禺,收眾攻季高,劉蕃遣沈田子討之,循奔走。餘眾從嶺道襲合浦,克之。進攻交阯,交州刺史杜惠度屢戰克捷,循投水而死。
盧循は既にして戰わず、乃ち道覆に告げて曰く:「師老や、還りて尋陽に據すべし。力を并せて荊州を取り、徐ろに三分の二の勢を以て與に流れを下りて爭衡さば、猶お以て濟しえたるなり」と。乃ち蔡洲より南退す。裕は輔國將軍の王仲德らを遣りて之を追わしむ。徐道覆は始興に至り、猶お山澗に據し、劉蕃らの之を攻むれば、道覆は先に妻子を鴆し、然る後に自殺す。盧循は番禺に至り、收めたる眾にて季高を攻むれど、劉蕃は沈田子を遣りて之を討たしむらば、循は奔走す。餘りたる眾は嶺道より合浦を襲い、之を克す。進みて交阯を攻むれど、交州刺史の杜惠度は屢ば戰い克捷し、循は投水し死す。
(魏書97-2_衰亡)
魏書まで王懿、孫処の諱を避けてるのが面白い。これ、「晋人どもがそう呼んでるからそのまま採用した」なのかなあ。避ける避けない以前に、そんなとこまで敵についてきっちり調べる必要もないし、的な。確かに、殺すべき奴らのことなんか見分けさえ付きゃいいですものね。
この辺については、魏書が「曹魏から正統を継いだのか」「西晋から正統を継いだのか」で全く話が変わってくるわけだが、現状は八割がた曹魏からの継承だと思ってる。……ってあれ、そしたら王懿の諱なんてむしろガンガン犯すべきだろうにね、みたいなことにもなるか?
まぁ、北魏にとっちゃ晋は敵じゃなかったか。時間軸的な関係で。ぶつかり合ってたのって、実質劉裕とばっかだもんな。
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