第21話 人質解放

「何で女装しなくちゃいけないのですか?」


 洞窟の入り口が大きく開く大潮の日まで2日あるのに、バッカス大使はショウに鬘を被せて、女物のドレスを着るように迫る。


「女物のドレスに慣れる必要があるでしょう。それにサイズとかなおさないといけないし。さぁ、着てみて」


 帝国風のドレスじゃないから、締め付けたりもしてなかったし、身分の高い姫君の服装なので露出度も無かったが、ズボンを履かないのでスースーして落ち着かない。


「まぁ、惚れちゃいそうだわ」


 ショウは鏡に映った自分が母上に似ているのに、ショックを受ける。


「こんな背が高くて、胸の無い女なんていないよ」


 怒って鬘を投げ捨てようとする手をガシッと止められて、綺麗にブラッシングされた。


「胸は服に取り付けますわ。本当はショウ王子に帝国のコルセットを着用して頂ければ、一番自然な胸が作れるのですが、駄目でしょうしねぇ。慣れてないと呼吸困難になりますもの、諦めますわ」


 バッカス大使は少しウエストを詰めましょうとか、裾を長くしましょうとか言いながら、ベタベタ身体を触りながらサイズをなおす待ち針を刺していく。


「ちょっと、バッカス大使! そんなことは侍従に任せれば良いでしょう」


 ショウの側を離れようとしないヤング艦長に、バッカス大使は苛ついた視線を投げつける。


「ヤング艦長! マスカレード号の準備はできているのでしょうね。艦長が不在で手抜かりがあっては困りますよ」


「うちの士官達は、手抜かりなんかしません。それより、ショウ王子の肩に置いている手をどけて下さい」


「なによ! 肩に手を置くぐらい良いでしょう。あっ、妬いているのね。海軍って、長い航海の間は男ばかりですものねぇ。ヤング艦長も……」


 ショウは二人の低次元の言い争いにうんざりして、鬘を投げ捨てる。


「いい加減にしないか! バッカス大使、とても上手くいくとは思えない。宮殿の離れから秘密の通路を通るのに、何で僕が女装しなくちゃいけないんだ。こっそり忍び込めば良いだけだろう!」


 ヤング艦長もその通りだ! と同意する。


「それで上手くいくなら、ショウ王子に女装などさせないわ。離れからの秘密の通路への入り口の鍵は、ジャリース公しか持ってないのよ。それに、通路には何ヶ所も頑丈な扉が設置されているのですもの。まぁ、命の危険に曝された場合は、逃げながら扉を閉めていけば時間は稼げるわよね。それにジャリース公は、その海賊を信用しているわけじゃ無いもの。離れから宮殿に押し入られては困るじゃない。常に鍵はかかっているのよ」


 何故、そんなに詳しいのかは不問にしたが、ジャリース公の持っている秘密の通路の鍵を取り上げなくてはいけないのだ。


「えっと? 僕がジャリース公から鍵を取り上げるの?」


「まぁ、そんな手荒な真似はさせませんわ。ジャスミンは離れにジャリース公を連れてくるだけで良いのよ。後は、私達に任せてね」


 頭にズボッと鬘を被せると、バッカス大使は可愛いわと抱きしめる。


「何をするのですか!」


 ヤング艦長はバッカス大使を引き離す。


「あら、妹のジャスミンと勘違いしたわ」


 そんなわけ無いだろうと、ショウとヤング艦長は気をつけようと溜め息をつく。




 人質解放作戦の夕方、ショウはバラの香りのするお風呂に入らされ、バッカス大使の指導のもとで、顔に何やら塗りたくられた。


「皮膚呼吸ができなくなりそう……」


 アイラインを引くから目を瞑って下さいと、言われるままにしていたショウは、できましたよと声をかけられて、鏡に映った自分の顔に驚く。


「化粧って凄いなぁ」


 勿論バッカス大使は、ウットリとショウを見つめていたが、ヤング艦長も絶世の美女に驚いてしまう。


「アスラン王のお顔にそっくりね。化粧をする前は可愛い系だったけど、アイラインをきつめに入れたら、凄みのある美女に変身したわ」


 頭からレースのついたベールを被されて、女物のビーズのついた靴を履くと、慣れないヒールによたよたしてしまい、バッカス大使の腕につかまって歩くしかない。


「じゃあ、定刻通りに作戦を決行しましょう。秘密の通路の鍵が手に入らなかったら、マリオンをマスカレード号に飛ばします」


 音楽の夕べに、妹のジャスミンをエスコートしていくバッカス大使を見送って、ヤング艦長はマスカレード号へと向かう。



 マルタ公国の宮殿には、極少数のジャリース公のお気に入りが招待されていた。


「おや、バッカス大使が女連れとは珍しい」


 バッカス大使の趣味はマルタ公国の人達にも知られていたので、女性を優しくエスコートしている姿はジャリース公の目にもついた。


 召使いに呼ばれて、バッカス大使はジャリース公の前に出て、招待のお礼を述べる。今夜は流石に白い東南諸島の男性略服を着用していたバッカス大使と、薄いレースがついたベールを被った綺麗な女の人とのカップルは人目を引いた。


 ジャリース公は、ベール越しでも、連れの女性がとても綺麗なのに気づく。


「バッカス大使、其方のご婦人は?」


 紹介を求めるジャリース公が罠にかかったのを、バッカス大使は確信する。


「ああ、これは私の妹のジャスミンと言います。少しの間、ビザンに滞在しているのですが、音楽の夕べに連れて来たのです。よろしかったでしょうか?」


 バッカス大使の妹? ジャリース公はバッカス大使が王家の血を引いているのを思い出し、アスラン王の血統らしい整った顔を眺めなおす。しかし、興味はバッカス大使よりも、妹と紹介されたジャスミン姫の方に向けられる。


「どうぞ、此方にお座り下さい」


 バッカス大使は邪魔だったが、そうも言えないので二人を自分の隣にすわらせて、あれこれ世話をやきだす。


「お酒は如何ですか? イルバニア王国のシャンパンですよ」


 ショウはお酒に弱いし、これから救出作戦をするのに酔ったりしたら拙いと、俯いて首を振る。


「すみません、妹はお酒が飲めないのです。まだ、お子様なのですよ」


 横で見るとアスラン王の顔にそっくりで、ジャリース公は舞い上がってしまって、背の高さなど気にならない。音楽そっちのけで、あれこれ話しかけてくるジャリース公に、ショウは困り切っていたが、事前にバッカス大使から『ええ』『いいえ』『さぁ?』『素晴らしいですわねぇ』だけ言っておけば良いと教えられていた。


「ジャスミン姫は音楽はお好きですか?」


「ええ」


「ビザンは初めてですか? レイテと同じぐらい賑やかでしょう」


「ええ、素晴らしいですわねぇ」


 ショウは、話の相打ちだけしか口にしてなくても平気なんだと、男の馬鹿さ加減に驚く。


 内気な姫君が、言葉少なく自分の自慢話を興味深く聞いてくれているとジャリース公は得々としていたが、ショウは適当に聞き流していた。


「バッカス大使、ジャスミン姫に庭を案内して差し上げたいのだが……」


 バッカス大使はそれはと困惑してみせて、後ろから付いて行っても良いですかと許可を取る。


「ジャリース公を信頼してはおりますが、ジャスミンは未婚の妹ですので、一人で庭には出されません。でも、かなり後を付いて行けば、お互いに外聞の悪いことにはならないと思います」


 バッカス大使の目配せに、ジャリース公は東南諸島では回りくどいやり方なのだなぁと不満を持ったが、ジャスミンを離れに連れ込む気満々で席を立つ。


 宮殿を出たテラスで、夜道なので危険ですよと、バッカス大使はベールを外した。


「これは!」


 宮殿からの灯りに浮かび上がったジャスミンの顔に、ジャリース公は言葉を失う。


「ジャスミン姫は、とてもお美しいですね」


 欲望に掠れた声にショウはゾッとして、鳥肌がたった。


「さぁ、庭をご案内しましょう」


 エスコートしようと腕を差し出されたが、絶対に嫌だと思ってヨチヨチ歩き出す。


「あっ、危ないですよ」


 今にも転けそうなジャスミンを心配しながら、ジャリース公は離れへと誘導していく。時々、後ろを振り返ったが、気をきかせたのかバッカス大使はかなり後ろを付いて来ているで、姿が見えないのをジャリース公はほくほく喜んで離れへと向かう。


 バッカス大使は離れに護衛達を誘導して、ジャリース公を待ち伏せしていたのだ。


「歩き疲れましたね。さぁ、少し離れで休みましょう」


 この、エロオヤジ! ショウは内心で毒づきながら、ジャリース公に勧められるままに離れに付いていく。


 離れにはお酒の飲めないジャスミンの為に、お茶の用意がしてあり、ジャリース公は上機嫌で召使い達を下がらせる。


「朝まで、誰も離れに来なくて良いぞ」


 コソッと召使いに指示を出しているのを聞いて、ショウはゾッとしたが、こんなオヤジなら自分でもどうでもできると思って、おとなしくしている。


「お茶でも如何ですか?」


 ショウは眠り薬入りのお茶を、ニッコリ笑って勧めた。しかし、ジャリース公はお茶など飲みたい気分ではない。


「そんな物より……」


 差し出されたお茶を拒否しようとしたジャリース公は、後ろからバッカス大使に首筋を一発殴られて気絶した。


「遅いよ! 僕がやっつけようかと思ったよ」


 ショウがぷんぷん怒るのを、もっと怒って! と内心でときめきながらも、召使いの一人がなかなか離宮から離れなくてと謝る。


 護衛にジャリース公のポケットから鍵を取り上げて、縄で括って転がして置くようにと命令する。


 ジャリース公のハンカチで猿轡を咬ませて、手も足も厳重に縛りあげられたのを確認して、バッカス大使は秘密の通路への鍵を開けた。


「へぇ? こんな絵の裏側に、通路の入り口が隠されているなんだねぇ」


 シッと注意されて、そうだ通路は声が響くんだと口を噤む。


 人が一人やっと通れるような通路を、ショウ達は静かに進んで行った。何ヶ所か扉を抜けて、海の臭いと、なんとも言えない嫌な臭いに近付いた頃、バッカス大使は足を止めた。


「そろそろ、干潮ですね。ショウ王子は、此処で待ってて下さい。背後の扉は鍵をかけてありますから、後ろからの襲撃はありません。万が一の時は、この鍵を使って宮殿まで逃げて下さい」


 バッカス大使に鍵を渡されて、ショウは自分を戦闘に参加させない為に、さらに女装させたのではと思った。


 バッカス大使は文官とは思えない身軽な剣さばきで、呻き声一つあげさせずに牢の見張りを二人とも素早く殺した。


 見張りから鍵を取り上げて、人質達の牢を開けていたら、ヤング艦長達が洞窟に襲撃をかけたらしく、叫び声や剣の音が響いてきた。


「入り口を固めろ!」


 アジトの海賊達はヤング艦長に任せて、バッカス大使は人質達の安全の確保を計った。


 ショウはマスカレード号の乗務員達に怪我がないかと、ひやひやしていたが、牢から開放された人質達の介抱を手伝いだす。


 風呂に入っていないので、悪臭がぷんぷんしていた人質達は、牢番の夕食の残りを渡されて無言で食べる。


 しかし、こんな状態でも恋の都ユングフラウ魂は、綺麗な令嬢によって復活する。汚れた服で顔や手を拭いて、精一杯身なりを整えた。


 バッカス大使は、これだからイルバニア王国の男は油断できないと、ショウを人質達から引き離す。


「バッカス大使、此方は制圧しました」


 ヤング艦長がアジトにいた海賊達を制圧して、人質達をボートに乗せた後で、バッカス大使とショウは秘密の通路を通って離れへと帰る。バッカス大使は秘密の通路の鍵をジャリース公のポケットに返すと、ショウを連れて、宮殿の正門から堂々と大使館へと帰った。


「ねぇ、ジャリース公は、僕達が人質を救出したことを怒るんじゃない?」


 バッカス大使は肩を竦める。


「そりゃ、怒るでしょうけど、私の妹にチョッカイを出そうとしたから、縛りあげただけだとシラを切り通します。まぁ、外交なんて、こんな騙し合いですよ。ジャリース公も東南諸島が人質を救出したのは知っているでしょうが、離れの秘密の通路がアジトに繋がっているのを大声で宣伝したくないでしょうからね。まして、綺麗な姫君に夢中で縛りあげられたとは、恥ずかしくて口にできないでしょう」


 大使館で、ショウは顔に塗りたくられた化粧を洗い流してスッキリした。


 人質達もお湯を使い、新しい服に着替えて、ガツガツとお粥を食べている。


「お別れするのは辛いですが、朝までに出航した方が良いですね」


 バッカス大使に見送られて、マスカレード号にショウと人質達は乗船する。サンズはマリオンと別れを惜しんだが、再会を約束してマリオンはバッカス大使と大使館へと帰った。



 夜明け前にマスカレード号はビザン港を出航した。


 ショウは魔力を使い過ぎないように気をつけながら、サンズに寄りかかって帆に風を送り込んだ。


「結局、プリウス運河を通行して、メーリングを目指すことになったね」


 人質達をメーリングに送り届ける為に、寄り道になるなぁと溜め息をついているショウ王子に、ヤング艦長は軽傷者しかでませんでしたからと慰める。

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