第16話 嵐

「メリッサ、また手紙を書くよ。それと……」


 パシャム大使はお別れの挨拶に時間がかかる若い婚約者達に、自分の若い頃を思い出して、狸なのに胸がキュンとする。


「それでは、パシャム大使、メリッサをお願いしますね」


 最後にサンズに乗りながら、自分に婚約者の面倒をみるのを任して貰いパシャム大使は勿論です! とポンと胸を叩いた。


 ショウは、胸だけど、狸の腹鼓にしか見えない。


 ショウは笑いをこらえて、サンズとレキシントン港で出帆準備を終えているマスカレード号に向かう。



「ショウ王子、出帆準備はできていますよ。レイテに帰りましょう」


 ヤング艦長の命令で、士官達や士官候補生達がそれぞれの乗組員達に大声で命令しだし、一気にマスカレード号は勢いついた。


「はぁ~、本当はチェンナイ貿易拠点や、サンズ島周りで帰りたいのになぁ」


 ヤング艦長も何度か東航路をマスカレード号で航行していたので、無事にショウをレイテに送り届ける自信があった。


 しかし、アスラン王の命令は絶対なので、逆らおうとは一瞬たりとも考えない。

  

 順調にカザリア王国の沿岸を南下していたマスカレード号だったが、クレイソン半島を巡りアルジエ海に入った頃から、雲行きが怪しくなってきた。


「ショウ王子、これは嵐がきそうですなぁ。カザリア王国かイルバニア王国の港で、嵐をやり過ごしますか?」


「マスカレード号なら大丈夫でしょう」


 この時点では大した嵐だとはヤング艦長もショウも思ってなかったので、ペリニョンを目指す進路を取った。


 イルバニア王国の沿岸沿いを東に航行すると、プリウス運河を通行してレイテへ向かう航路を取ることになる。商船なら順番待ちして其方のコースを選択するが、軍艦のマスカレード号はプリウス半島の岬を目指すコースを選択したのだ。


 他にも同じ選択をした大型商船や中型商船で構成された商船隊を、足の速いマスカレード号は追い越して航海していく。


「ちょっと拙いかもしれないなぁ」


 古参の乗務員達はこの手の嵐は質が悪いと、肩を竦めたり、お守りを握り締めたりする。


 段々と強くなっていく雨風にも、マスカレード号は耐えていたし、ショウの風の魔力もあるので十分対応できる。


「途中で追い抜いた商船隊は、嵐を乗り越えられると思いますか?」


 ショウの問い掛けに、ヤング艦長は難しい顔をする。


「船長が荷物を捨てる覚悟を決めれば、嵐を乗り越えられるとは思います。カザリア王国や、ゴルチェ大陸から、鉄製品や、陶器、ココア、コーヒー、香辛料と値段のはる荷物を満載しているでしょうから、捨てるのを躊躇っているかもしれませんね。護衛船の船長が、積み荷を捨てるように、忠告しているとは思うのですが……」


 イルバニア王国の小麦はかさばるが、鉄製品や、陶器などよりは単価が安かった。


「値のはる積荷を捨てるのを躊躇ってる場合じゃないのに」


 金に細かい自国の商人気質をショウは罵って、サンズに鞍を付け出す。


「どうされるのですか!」


 ヤング艦長も、自国の商船を保護するのも海軍の仕事だとは思っていたが、それよりショウの安全を確保する方を優先して考える。


「見捨てられないだろう! 僕の命令なら、過積載気味の荷物を諦めさせるし、風の魔力を使えば嵐を通り抜けさせられる」


 ヤング艦長は、ショウを羽交い締めにして止める。


「こんな嵐の中、ショウ王子だけを竜で飛ばされませんよ。それくらいなら、マスカレード号で救援活動をします」


 かなり嵐の中を進んでいるのにと、ショウは引き返すのかと驚く。


「自国の商船の保護も、大事な任務ですから」


 ひぇ~と、乗組員達は悲鳴をあげそうになったが、マスカレード号ではヤング艦長の命令は神の声と同じだ。ぶつぶつ海の女神マールや、風の神ウルスに祈りを唱えながら、マスカレード号を嵐に向かって反転させた。


「すみません」


 ショウが謝罪の言葉を発するのを、バシンと背中を叩いてヤング艦長は止める。


「さぁ、サッサと嵐に難儀している商船隊を見つけましょう」


 しかし、嵐はマスカレード号が通り過ぎたあと、勢力を増していた。嵐の中心に向かって進むのは軍艦でも困難で、ヤング艦長は士官達に命令を次々と怒鳴り、乗組員達はぶつぶつお祈りを唱えながら士官の指示に従う。


 ショウは波を被る甲板でサンズに寄りかかって、半分だけ開いている帆に風を送り込む。


「ショウ王子、船室に降りて下さい!」


 先程も大波が甲板をザッと洗い流して、新米の乗組員が足を掬われそうになった。古参の乗組員がガッチリ捕まえたから海に連れ去られることは無かったが、ヤング艦長はヒヤリとする。


「ヤング艦長、乗組員がこの嵐の中帆げたに登っているのに、僕だけ船室に降りてなんかいられませんよ。それに、風の調整をしなくちゃいけないし」


 ヤング艦長もそのくらい承知していたが、王太子になるショウの安全を確保したかったのだ。


「かなり沖に流されています。このままではイルバニア王国の沿岸部には、避難できなくなります」


 ヤング艦長は嵐で太陽観測が出来ない中で、長年の軍艦勤務の経験でおよその位置を頭に思い浮かべる。


「商船隊を見つけても、嵐を乗り越えるまで側に付き添うだけなのか?」


「マルタ公国に誘導するしかないかも」


 最悪な時は乗組員達をマスカレード号にサンズで避難させることはできるが、骨の髄まで船乗りの彼等はなかなか船を見捨てないだろうとショウはマルタ公国行きもやむなしと思う。


 軍艦のマスカレード号でも、前に進むのに風の魔力が必要なのに、荷物を満載した商船は嵐の中で木の葉のように舞っているだろうと、ショウは昔メーリングへユーカ号で商船隊で向かった時を思い出して焦る。


「10時の方向に船が見えます!」


 見張り台の乗組員が、甲板から見えない船を見つけて、大声で報告する。ショウはヤング艦長を振り切るようにして、サンズに飛び乗った。


 嵐の中、雨が顔に当たってはいたが、サンズが魔力で防いでくれているのか、甲板にいる時よりは楽に飛行できる。


 ショウは見つけた船の甲板に、サンズで舞い降りる。


「大丈夫ですか、他の船は?」


 護衛船の船長は、自分達はどうにかなりそうだが、他の商船は荷物を少しは捨てたが難儀していると、雨と嵐に負けないように怒鳴り返す。


「私達はマルタ公国へ避難します。他の商船を見失ってしまったので、探索してましたが……マストを一本持っていかれたので、これ以上は無理です」


 ショウはメインマストが半分しか残っていない護衛船の船長に、自分の船を救う事だけ考えてくれと言い残して、他の商船を探しに向かう。


 護衛船は後ろからきたマスカレード号に信号でマルタ公国へ向かうと告げて、嵐の中ヨタヨタ航行しだす。


「マルタ公国かぁ! あまり、お近づきになりたくない国だけど、こんな時は仕方ないな」


 東南諸島がマルタ公国と国交を断絶出来ない理由はこのへんにあるのだと、ショウは痛感する。ショウはサンズと護衛船とはぐれた商船隊を探す。


「護衛船はマストをやられていたから、あそこにいだけど、他の商船はもっと沖に流されたのかなぁ? 帆を畳めたのなら、沿岸の方なのかなぁ? チェッ、護衛船の船長にもっと詳しく聞いておけば良かった」


 荷物を捨てる決断に時間を取って、沖にもっていかれた可能性が大きいだろうと思ったし、沿岸部に近づいているのなら救援の必要性は少ないとショウは判断する。


『サンズ、商船を見つけよう』


 サンズは自分は嵐でも平気だが、ショウは雨でずぶ濡れで寒いだろうと心配した。


『身体が冷えてない?』


 聞かれてブルブルと身震いしたショウだったが、サンズが風や雨を防いでくれているからまだマシだと答える。昼間だというのに、嵐のせいで暗い空の中を商船隊を探して飛んでいると、やはり間違った方向なのではないかと不安にかられたが、サンズは人間より視力が良いので見つけた。


『ショウ! あっちだ!』


 ショウはサンズの向かう方向に何も見えなかったが、雨で視力が制限されている自分より、竜の能力を信用する。


 少し飛ぶと、嵐に弄ばれている商船隊を発見した。ショウはざっと上から見て、損傷の無い商船に帆を半分張れと命令してまわった。


 商船の船長達は嵐の中で、やっと縮帆したばかりだったが、ショウが風の魔力持ちだとの噂を聞いていたので、指示に従う。


「マルタ公国の方向へ進めていくから、纏まって待ってて下さい!」


 ショウは方向が嵐の中でわからなくなっていたが、サンズに南東の方向を聞いて数隻の商船に風を送り込んだ。


 嵐の中を波を突っ切って進み出した商船は、後で回収することにして、マストを遣られたり、舵が壊れたのかクルクル回っている商船の補修と、航行を手伝う為に、マスカレード号から何人か腕利きの乗組員達を乗せて帰る。


 舵を遣られた商船はマストは無事だったので、ショウは他の商船隊と同じ方向にかなりの間乗船して追いつかせた。


「少し待っていて下さい。あと一隻、救助しなくては」


 船長は風の魔力持ちのショウが飛び去るのを心細そうに見送ったが、自分達で出来る限り商船隊から離れないようにしようと、援助に駆けつけたマスカレード号の乗組員達の手を借りて頑張って航海を続ける。


 メインマストが根っこから持っていかれた商船では、マスカレード号の乗組員達がサブのマストに帆を張っていた。


「船長は?」


 さっきも船長ではなく、甲板長が惨状を説明していたが、荷物を捨てたり、船倉の浸水を見回っているのかと気にしていなかったが、こうしてサブとはいえ帆が張られたのに船長が不在なのは異様に感じる。


「グレイ船長は、マストの下敷きになったんです」


 ショウは甲板長に生きているのか? と尋ねる。潮焼けした生え抜きの海の男といった甲板長は顔を背けて、死んではいませんが、虫の息ですとぐっと涙を堪えて答えた。


 ショウはサブの帆に風を送り込んで、船長室に急ぐ。船長はベッドの上で浅い息をしていたが、このままではマルタ公国まで持たないのは明らかだ。


「グレイ船長! 大丈夫ですか?」


 一応、治療師とまではいかないが、包帯を巻いていた乗組員に、どこを怪我しているのかと質問する。


「マストが船長の胸を押しつぶしたのです。呼吸ができないのです」


 ショウは商船隊を救援するのに、風の魔力を使わなくてはいけないが、目の前の真っ青な顔で横たわるグレイ船長も見捨てられなかった。


 服の下から竜心石を取り出して、『魂』と唱えて活性化して、『癒』を使っていく。魔力を使い過ぎたショウは、身体が冷えているのもありゾクッとしたが、グレイ船長は意識を取り戻した。


「これは……船はどうなったんだ! メインマストが折れてしまったんだ!」


 ベッドから立ち上がろとするグレイ船長を怒鳴りつけて、ショウは止める。


「肺を圧迫していた肋骨をなおしただけだ。怪我しているのだから、寝ていなさい」


 グレイ船長は多分自分を助けてくれた治療師だろうと、ショウにお礼を述べたが、嵐の中でメインマストが無いハロー号をほっておけないと聞き分けがなかった。


「おい、そこの乗組員! この船長を船長室から出さないように見張っておけ! マスカレード号の乗務員達がサブに帆を張ったし、私が風の魔力でマルタ公国まで航行させてやる。せっかく助けてやったのに、ぐだぐだ文句を言うな!」


 ショウに指示を仰ぎに船長室へ顔を出したマスカレード号の乗務員は、ヒャァ~、怒らすとアスラン王にそっくりだよと首を竦める。ショウが船長室から出ていった後、顔を覗けてグレイ船長にあの方を怒らさない方が良いと一言忠告して、あたふたと甲板の持ち場へと乗務員は戻る。


「あの方が、ショウ王子……」


 グレイ船長は噂には聞いていた、風の魔力持ちであるショウ王子が、あんなに綺麗な顔をしているのに驚いた。


「グレイ船長、おとなしくベッドにいて下さいよ。本当に死ぬところだったのですから。俺は家の近所の治療師の手伝いをしていたからわかるけど、肺が潰れていたんですよ。ショウ王子は治療の技も抜群だ!」


 甲板長も顔を見せて、マスカレード号からの乗務員達とショウ王子が、ハロー号を凄いスピードでマルタ公国に向けて航行してくれていると手短な報告をする。グレイ船長は実際に起き上がる体力がなかったので、船が荒波を力強く乗り越えるリズムにのまれるように眠りについた。


「船長はおとなしくしていたか?」


 甲板長が顔を見せたので、ショウは船長の様子を見に行ったのだろうと質問する。


「ええ、ショウ王子、ありがとうごぜいやす。俺はグレイ船長とは10年以上のコンビなんだ。あの怪我じゃあ無理だと、諦めてやした」


 無骨な物言いだが、信頼と愛情を持っているのがわかって、ショウはダリア号のカインズ船長とインガス甲板長を思い出す。


「いつになったら、ダリア号で航海できるかなぁ……」


 疲れた頭で、のんびりダリア号で懐かしいメンバーと航海している夢を見ていたが、大波に顔を直撃されて目がさめた。


「ゴムの樹脂が取れるのだから、ゴム引きの雨ガッパも作れる筈だよね! 絶対に国に帰ったら、作らせよう!」


 髪の毛から潮水を絞り落として、ショウはやっと他の商船隊に追いついたよと溜め息をつく。


 サンズに飛び乗ると、纏めた商船隊に一気に風を送り込む。流石にショウも疲れたし、嵐の一番激しいところは通り過ぎたので、一旦マスカレード号に帰艦する。


「ショウ王子、後は私達に任せて下さい。舵の壊れた商船は嵐がもう少し弱くなったら、マスカレード号で曳航します。兎に角、濡れた服を着替えて下さい」


 そう言うヤング艦長もずぶ濡れだったが、ショウは確かにゾクッと発熱の予感がしていた。


 サンズから濡れた鞍を外すと、何かあったら教えてくれと頼んで、船室に戻り、ずっしりと重い濡れた服を床に脱ぎ捨てる。乾いた服に着替えて、ベッドにダイブした。



 ヤング艦長は出航前に、カドフェル号のレッサ艦長の屋敷を訪ねて、ショウ王子を自分の艦に乗せる件で注意事項を聞いていたので、無理をし過ぎて発熱しても慌てない。


 治療師に見せても、魔力の使い過ぎの発熱は安静にさせておくしかないと言われ、気のつく従卒に額を冷やすように命じた。


「本当に、無茶をしすぎなのです。アスラン王が心配なさるのも、無理はないですよ」


 目を瞑ると幼い印象になったショウに苦情を言いながら、まだ嵐の影響が残る中をマルタ公国へ商船隊を連れて行かなくてはいけないので、ヤング艦長は甲板へと戻った。

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