第6話「殺意の代償」
「あ、赤い……髪?」
少女の髪はしっとりと濡れており、まだ肩からはポタポタと雫が垂れている。
そこには、どす黒い汚れが混じっていた。
しかし、流れる水滴からのぞく少女の髪色は灰色のそれではなく、汚れのその下には赤い髪がはっきりと現れていた。
───ま、まさか?!
その様子を見て、驚愕に目を見開く聖女。
「ひ、ひぃ!? あ、赤い髪の暗殺者?!」
ガタンと立ち上がった体……──た、立ち上が、る?
あ、あれ?
な、なんで……?
どうして、ち、力が────。
「あはは。美味しかったかい? 僕の特製バームクーヘンは?」
な、ななななななななな!
───コイツ?!
「……だ、誰か! 誰かぁ!! け、警備ッ! は、早く来なさい! はやーーく!」
「ははははは、誰も来やしないよ。みんな朝までぐっすりオネン寝さ」
そう言って、ゆっくりと聖女───メルシアに近づく少女。
そのままゆったりと歩き、地面に転がったバームクーヘンを拾い上げると、
「やぁ。この味に仕上げるのに、随分苦労したよ……」
「なんな、なんなななな、何者なの?!」
大声を出しても誰も来ないことに気付き、顔面蒼白のメルシア。
ブルブルと恐怖で体が震える。
───え?
き、恐怖──? こ、ここの、この私が?
───恐怖でうち震えるですって!?
ち、違うッ。
ここここ、これは……毒!?
───お、おえええ!
ブワッ! と、嫌な汗が全身から溢れる。
「どうだい? 寒くなってきたかい? 身体が段々動かなくなるだろう?……そのウチ、クソもションベンも垂れ流しになるよ。あはは、僕の経験則だから間違いないよ」
「う、うそよ────こ、こんなもの」
メルシアは自身の魔法で解毒を試みる。
伊達に聖女なんて言われていない。──エルランやゴドワンも回復魔法を使えたが、メルシアのそれは桁が違う。
どんな毒でも、たちどころに───。
「無駄だよ。……苦労したんだ、これを作るには、」
拾ったバームクーヘンを割いて見せる。
層にそってポロリポロリと。
そして、
「──バター、卵、砂糖、香り葉、ナッツ、小麦粉、イースト、お酒。そして────最後に、毒」
バラバラにしたバームクーヘンを、ポイっと捨てると、
ニッコリ───、
「……で? どうだい?──自慢の解毒魔法は効いたかい?」
く! このぉ!!
ぐぐぐぐ……。
は、吐き気が止まらない。
「ば、ばかな────オエエエエエエッ!」
ベシャベシャと吐き戻すメルシア。
みっともなかったが、その吐瀉物の中にバームクーヘンが混じっていたので、ホッとする。
そ、そうだ!!
こんなもの、
は、吐いてしまえばいいのだ。
「あはは。残念……」
無造作にメルシアを見下ろすと、くったくのない笑顔で美しく微笑む少女。
「───言っただろ? いろんなものを垂れ流すって……。僕らも吐いたんだ、当然ね。それに、事前に魔王対策として高価な万能薬も飲んでいたんだよ──毒に、呪いに、魔法耐性を高めるためにね」
だけど、と少女は続ける。
「お前ら5人は狡猾だったね。……まさか魔王軍の毒まで使って
な、なんで、それ……を。
「だ、誰なの……あ、あなた」
吐しゃ物でドロドロになった顔で見上げるメルシア。
目の前の、赤い髪の少女は惜しげもなく裸体をさらしているが、その顔に見覚えはなかった。
───なかったが……。
「はぁ……。今のところ、君が一番察しが悪いね」
呆れたような口調で言う。
「帰って来たよ──メルシア」
ニィ……とイタズラっぽく笑う少女。
その仕草───。
そのしゃべり方。
その…………。
───ッッ!!
ま、
まさ、か……。
そんな。う、嘘────。
「思い出したかい? そう、僕だよ」
ざ、ザラ───。
「正直な話……──君のことはどうしようか悩んでいたんだ」
少女は少し困ったような顔をすると、
「ベリアスは、カサンドラを殺した。エルランとゴドワンは、オーウェンを──」
そ、そうだ!
そうだわ!
「──わ、私は誰も殺していないッ!」
そうよ、そうなのよ!
「わわわ、わ、私はアイツに
殺してない!
殺してない!
ノーカン!
ノーカンよ!?
セーフ。
セーフよ、私はぁぁぁぁあ!
「そうだね……だけど、」
ドンと、少女がテーブルを蹴り飛ばすと、さっきまで愛でていた──今日のディナーになった少女の首がコロコロと転がり落ちる。
その様が、
その音が、
その表情が、
あの日の記憶を呼び起こす────。
転がる勇者の……首!
あああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!
「わ、わわ────私は貴方を殺していない! そうでしょぉおおお、ザラディぃぃぃぃぃン!!!!」
うん、そうだね。
「───だから、毒で苦しむといい……。
「あああああああああああああああああああああああ!!! 待って! 待ってよ!! 待ってよ、この野郎ぉぉお!!!」
待てっっっ、つってんだろうが!
この野郎ぉぉぅぅぅぅうううッ!!!
「さようなら──────メルシア」
ザラディンはメルシアに背を向けると、仕切りに使っていた布を拝借し体に巻き付ける。
そうして、振り返るとこもなく悠々と天幕を去っていった。
その背後でメルシアが怨嗟の叫びを上げ続けている。
ザラディィィィィィィィン!!!!!!!
※ ※
翌朝。
意識を取り戻した近衛兵達が発見したのは、地面を掻きむしり──あたり構わず糞尿を垂れ流して事切れている聖女メルシアの姿であった。
それは、それは随分長い時間、苦しんだことが分かるもので……。
声のかぎりに解毒魔法をかけ続けていたのか、喉をかきむしり、それでもかなわず、誰かに縋るようにして地面をかき回し、爪が割れて血だらけになっている。
眼は黒く濁り、耳や鼻から大量出血……。
喉には吐瀉物があふれて詰まり、歯はほとんどが割れていた……。
それは、もう───。
血と糞尿に
その様子を、遠くから見ている小柄な人影がひとつ。
身体には、不似合いな二刀を背負い。
全身には、ホルスターに収まる大量の拳銃を纏った異様な風体。
赤い髪と三白眼。
すっきりとした鼻立ちの、怖気を振るうほどの美少女───。
「……これで、4人」
聖女メルシアの死を確認すると、何事もなかったかのように歩き去る。
向かう先は王都──……。
「行こうか──カサンドラ、オーウェン」
背の二刀を撫で、全身を弄る様に拳銃を撫でる。
「残り一人……」
その呟きを最後に、騒がしくなり始めた近衛兵達の天幕地区はいつまでもいつまでも悲鳴と怒号が響いていた。
この日を境に、王都の警戒レベルは最大級にあがる。
赤髪の暗殺者は、その身長、容姿を徹底的して分析され、人情描きが各関所や営門に伝達された。
それだけでなく、似たような容姿の者でも徹底的に取り調べが行われるようになった。
それでも、ようとしてその姿は掴めず。
ついに、大賢者王は戒厳令を敷き、予備役を動員した大規模な軍が王都を警戒することになった。
それでも、二刀に大量の銃を持った少女など見つかるはずもなく────。
今日も王都に、夕日が暮れなずむ……。
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