応援コメント

第9話 小説のゆるやかな死」への応援コメント

  •  小説のゆるやかな死。僕にも経験があります。でも、少しパターンは違います。
     僕も精密なプロットは作りません。そこで、書き始める。世界が自然に転がっていく……それだけなら問題はありません。

     書いていて、つまんなくなる。それでも世界はだらだらと続いていく。
     これってなんじゃ? 先はある。でも物語は先細る。
     しっかりと世界を、キャラクターをイメージできてないから。そこから無理に続けてしまったから。未来に責任を負わずに始めてしまったから。
     これで断念した小説もあります。自分の責任です。痛恨の極みです。

    作者からの返信

     パターンは違えども、小説の緩やかな死、あることでしょう。

     ちょうど、子供のころは風邪ひいて、高熱だして、初めて風邪だと気づくんです。が、大人になると、風邪ひくパターンを承知してきて、気をつけていれば咳が出た時点で「あ、やばいな」と気づくようになります。

     経験を積めば、この小説の死も、死んでしまう前に気づいて修正できるようになるみたいです。それもこれも、小説の死を体験した、というか自作を殺してしまった体験が生きていることだからではないでしょうか。
     痛恨の極みではありますが、人が死んでしまったわけではなし、取り返すことはできると思います。

     数々の失敗を繰り返し、それでも今現在書いている、書けているということに、価値を見出したいものだと、いまのぼくは考えています。

     で、次はラブコメというね(笑)

  •  おおお、ほぼアドリブで良くぞ!! 私も初期はそんな感じだったのですが、すぐ暴走して文字数が倍々になってバランスが崩壊するので、自制の意味と途中ゆるやかな死になりかけても軌道修正できるよう必ずプロットを作るようにしています。ツールの助けがないと難しい……!

    作者からの返信

     ほぼアドリブで書けますね。もちろん今も。

     ですが、あえてしておりません。

     ちなみに、アドリブで書いても、文字数が管理できます。当時はだいたい20ページ1話で8話というフォーマットで、だいたい単行本一冊文、10万文字以上なんですが、ほぼ正確にこのスペースに収めて書くこともできました。

     そこまで出来たとしても、というより、そんなことは関係なく、やはりプロットは作った方が良い、というのが今現在のぼくの結論です。
     というより、そこまでやってみて、はじめてプロットの意義が、そしてプロットの組み方が見えてきた感じでしょうか。

     なーんてことを書きだすと、プロット作成論になっちゃうんですが(笑)