元服と初陣(二)

 元服した勝頼は、高遠城に入った。信玄はその勝頼に、八人の付家臣を付している。即ち、安倍宗貞、跡部右衛門尉、向山出雲守、穐山紀伊守、小田切孫右衛門尉、竹内与五右衛門尉、小原下総守同継忠兄弟である。無論勝頼の高遠入城は家中において既定路線の人事と受け止められたが、ただひとり、敢然とこれに異を唱える者があった。他ならぬ太郎義信であった。

 義信が表明した不満は二点に集約された。一つ目は、父信玄と共に出陣し、切り取った上伊那郡を、勝頼に知行したという点。このころ、武田と盟約関係にあった小田原北条氏では、氏康が存命中から嫡男氏政に家督を譲っていたし、今川家では桶狭間の凶事ののち、氏真がその跡を襲っていた。同世代の他国の子息がそれぞれ国主としてつなか、依然信玄が兵馬の権を握っていたことで、義信がこういった人々に一歩出遅れたという負い目を感じていたであろうことは想像に難くない。そこへ持ってきて庶子たる勝頼が信州一郡とはいえ自らの城と領土を持ったことが、義信には気に入らなかったのだろう。どちらも義信が持たないものだったからだ。

 いまひとつ義信が表明した不満が、安倍宗貞を勝頼付家臣とした人事であったという。信玄が家中において弓矢巧者と知られる安倍宗貞を、勝頼の家臣としたことについて、義信はあからさまにこれを批判した。

 信玄は義信に気を遣い、

「諏方の頼茂あとめ(跡目)とかう(号)し、信州伊奈(那)の郡代に被成、たかたう(高遠)にて置申べき」

 と特に説明している(甲陽軍鑑)。勝頼は飽くまで諏方頼重の跡目であって、武田の後継者はあなたであるよ、と弁明しているわけである。

 高遠城本丸御殿に座った勝頼は、拝跪する安倍宗貞に対して

「兄上が随分ご立腹のようだ」

 と切りだした。

「お気に病む必要はございません。殿は飽くまで御曹子義信公御舎弟として御武辺以て御家に忠節を尽くすのみでございます。それがしもまた然り。御曹子が如何に仰せであれ、命じられるまま武辺を以て御家にお仕えするのみです」

「心得ておる」

 勝頼はそうこたえると、上座に座しながらぐるりと辺りを見渡した。下座から見上げるいつもの広間と、まるで見え方が違う。宗貞を筆頭に八人の家臣が集い居並ぶ様は、壮観であった。

「いうまでもなくわしは未だ初陣の芝も踏まぬ若造だ。しかしこの城を預かった上は、間もなくそのときを迎えるということであろう。わしは初陣で恥をかきたくはない。いくさ場における身の振り方、心の持ちよう、何でも良い。折に触れていろいろわしに教えてくれ」

 勝頼がそう素直に思ったことを口にすると、こたえたのは穐山紀伊守であった。

「これは過分なる仰せ。その儀、しかと心得ました」

 穐山紀伊守はそうこたえ、今度は他の七人に対して

「我等心を一つにして殿をお支え申そうではないか」

 と呼びかけると、一同は

「応」

 と声を揃えた。

 そこへ小原下総守が口を差し挟む。

「殿、初陣のことで頭がいっぱいなのは分かりますが、これこのとおり仕事が山積みでございます。まずはこれらの御裁許を願います」

 小原下総はそのようにいうと、紙の束を勝頼に示した。

 狐につままれたような表情を示す勝頼。

「なんだこれは」

 と問うと、小原下総は

「代替わりにあたって提出された知行安堵の願届ねがいとどけでございます」

 とこたえた。

 勝頼が思わず、

「こんなにあるのか!」

 と嘆くと、安倍宗貞は

「さあ、これから大変でござるぞ。初陣の御準備に安堵状の発布、果ては村の境目争いの仲立ちまで、やらねばならぬことは山ほどもあります。若い殿が心労で見る見るうちに老け込んでいく様が、いまから見えるようじゃ」

 と、まるで茶化すようである。

「まて宗貞。初陣を飾る前に老けてしまっては困る」

 勝頼が本当に困った、というような表情で言うと、一座はどっと笑い声に包まれたのであった。


 この年の九月、信玄は西上野に出兵して同地の箕輪城、惣社そうじゃ城、倉賀野城を攻め囲んでいる。勝頼が上伊那郡代として高遠城に着任した三ヶ月後の関東出兵であり、これに従軍して初陣を飾るには恰好の外征ではあったが、勝頼がこのときの関東出兵に従軍していなかったことは明白である。そのことは、同年九月二十三日付勝頼発埋橋うずはし弥次郎宛判物により明らかである。

 勝頼はこの判物のなかで、伊那郡埋橋から十七貫文を保科源六郎への知行地として宛がうこと及び、残りの三十貫余りを蔵に入れるように指示している。蔵とは高遠城の倉庫のことか。上伊那郡代としての職務が、同年中は多忙を極めたことが想起される判物である。

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