長篠の戦い(七)

 勝頼は本陣に在って深く考え込んでいた。出張るか出張らぬか。そのことばかりを考えていた。

 繰り出した斥候からの情報を総合すれば、どうやら信長は兵三万を引率しているものと判断された。鳥居強右衛門尉は、織田軍の数について、五万を称していた西上作戦時の甲軍よりも少し多い、と供述した。西上作戦のとき、甲軍は小田原の援兵二千を加えて実際は二万七千人だったから、斥候を放って得られた兵三万という情報は強右衛門尉の供述を裏付けるものであった。

 もとより勝頼とて、畿内近国約十万の兵などという惑説を一顧だにするものではなかったが、それにしても五万は下らぬ人数を引率してくるのではないかと思われていた信長が、家康と合算しても四万に届かぬ兵力を恃みに押し寄せてきたことは勝頼にとって意外なことであった。

 事前の軍議において、馬場美濃守信春は

「長篠城を落としてこれを秘匿し、本陣を城に籠めて一門衆は城北を押さえる。譜代家老衆は川を渡り敵に当たる」

 と献策し、勝頼も良策としてこれに裁可を下したものであったが、織田徳川連合軍が存外に寡少であることが判明するにつれ、野戦による短期決戦を望む気持がまたぞろ芽生えてきたのである。

 というのは、馬場美濃守が唱え、諸将が口々に賛同した策も、長篠籠城衆の驚異的な粘りを前に、瓦解しつつあったからであった。鳥居強右衛門尉が命懸けで後詰の到来を城兵に報せたことで城方の士気が恢復したのである。城にはもはやまともな建造物はひとつとして残っておらず、塀や柵はほとんど引き倒され、土塁は穴だらけというていでありながら、それでも城兵の抵抗は熾烈を極めた。

 要するに情勢が変化したのである。

 斥候からの情報で、勝頼が敵兵力に続いて興味を示した情報があった。

 織田徳川連合軍は、着陣初日に滝川一益、羽柴秀吉、丹羽長秀等三隊を長篠城近くまで押し進めて来たのを最後に、いまは連吾川右岸に土塁を構築し、尺木を組んで陣城の中に逼塞しているというのだ。

(信長は決戦を嫌っている)

 勝頼は斥候からの報告を聞いてこのように判断した。

 勝頼は、織田方が陣城に閉じ籠もっているという情報を、士気の低さによるものと判断したのであった。

 長篠城が依然持ち堪え、持久策の前提が崩れ始めていることを看取した勝頼は、改めて諸将を本陣に召し出して対応を諮問した。

 勝頼はその席でまず

「長篠城が未だ持ち堪えておる。敵野戦軍を早期に撃滅する必要を認めるが如何に」

 と問うた。

 まずこれにこたえたのは持久策を唱えた本人である馬場美濃守であった。

「持久策は未だ破れたわけではありません。こうなってしまったからには全力を以て長篠城を落としにかかりましょう」

 と言い、続けて

「城内には五百挺の鉄炮があるそうですが、城に籠もる射手はこれより少なく、また弾薬もほとんど残っていないでしょう。我等が総掛かりすれば、敵は我等に向けて斉射するでしょうが、犠牲を厭わず押し詰めれば二度の斉射が精いっぱいで、我が軍の犠牲者は千人に届きません。このようにして城を落とし、改めて本陣を城内へとお移しすれば、いまから急遽策を変える必要はありません」 

 とこたえた。

 勝頼の決戦指向を知る長坂釣閑斎は、

「千人に届かぬと申しますが、それに近い犠牲を出すのでしょう。出血が多すぎます」

 とこれに反対する意見を述べ、さらに

「美濃守殿は持久の策などと申しますが、信長ほどの大将が敵を前に簡単に撤退するとは到底思えません。それに、切所に構えるとはいえ敵が押し寄せてくれば、このような山場では逃げ場がありませんぞ。押し寄せられれば如何なさるおつもりか」

 と咎めるように言った。

「異なことを申す。如何なさるも何もあったものか。侍たる者、敵が寄せてきたら戦うまでの話ではないか。貴公は阿諛追従あゆついしょうにかまけてそんなことも忘れてしまったのか」

 内藤修理亮昌秀は雑言を交えながら長坂釣閑斎に向けて言った。

「それではこちらから出張って戦うのも、寄せられて戦うのも同じことではないか」

 釣閑斎が昌秀に加えたこの反駁は詭弁であった。

 有利な地形を活かして迎撃する行為と、それを棄てて打って出る行為を同列に論じることは妥当ではなかった。釣閑斎は勝頼の意向を実現させようとするあまり、詭弁を弄して自らの立場を不利にしつつあった。

「よく分かった。聞け、皆の者」

 勝頼はこれ以上釣閑斎に喋らせては、かえって自分の意を実現させることは出来なくなると思い、議論を制して言った。

「いま、眼前に展開する織田徳川の連合軍は、窪地に兵を隠して寡少を装っているとはいえ三万八千を数える大軍である。しかし考えてもみよ。信長は連年畿内に兵を動かし、領土を拡幅しておる。兵数は肥え太り、このまま放置すれば彼我の国力差は早晩覆しがたいものになるだろう。いまは三倍で済んでいる兵力差が、来年は四倍、再来年は五倍と広がってゆき、遂に我等の手に負えなくなることは自明である。いまのうちに打撃を与えるべき相手なのである。なるほど本戦において我等が蒙る損害も相当なものになるであろう。しかしそれは決して無駄にはならない。たとえ我等が大きな損害を蒙ったとしても、父信玄がそうしたように、我等も大いに戦勝を喧伝すれば、これに勇気づけられた反信長の人々が蜂起することは疑いないことだからだ。幸い織田方は、他国へ後詰に出向いて来ているためか、士気は低い。その証拠に陣城に閉じ籠もるばかりで手立てもなく逼塞しておる。我等は明日、設楽ヶ原へと押し出す」

 と宣言した。

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