長篠城攻略戦(七)

 破れた板塀に立てかけられた畳。無数の矢が突き立てられ、食い込んでいる弾丸は数え切れない。本丸の一角には積み上げられた戦死者の遺体、穴だらけの土塁、ところどころ引き倒された柵、塀。蔵に蓄えられていた兵粮は、あと四五日分を残すのみである。籠城衆が放つことの出来る弾薬の量も、最早一人につき十指に満たないものとなっていた。それだけに人々の表情は陰鬱である。

「後詰要請の使者を・・・・・・」

 信昌はそう短く言った。途中で言葉を句切ったのは、使者を送ること自体が戦局の好転に必ずしも直結しないことに、思い当たったからであった。ただ援軍は来ているのか、自分達は助かる見込みがあるのかないのか、そのことを知り得るだけだということに想いを至らせたからであった。

 皆が異口同音に同じことを言うであろうと思われたが、存外に

「さっそく誰かを遣りましょう」

 という賛成意見が多数を占めた。

 城を抜け出すとなると、城の西側を流れる寒狭川を泳ぎ渡るということになろう。北側は十重二十重の包囲網が敷かれ、かかる動きを監視する目は厳重であった。

 南側も厳重であることに違いはなかったが、なんといっても監視の目は水中にまで及ぶことはなく、夜間の頃合ともなれば見つかるということはまずあるまい。自然、水練の達者な者を使者に立てるという話になった。

「治左右衛門殿、お願い致します」

 九八郎信昌は従兄勝吉に使者の任を依頼した。水練が達者ということで、まず名前が挙げられるほど、治左右衛門勝吉は水練に長けていた。

 しかし勝吉のこたえは

「お断り申す」

 というものであった。

「いま、情勢を鑑みるに、当城も四五日の運命とお見受けする。もしそれがしが使者に発ち、その間に城が落ちるような事態に際会すれば、それがしは主を捨てて一人生き残る恥を晒すことになり申す。一門であればこそ耐えがたい恥辱である。どうか使者の役は他を以て充てられたい」

 そう聞いて無理強いも出来ぬ信昌は、誰にともなく問うた。

「治左右衛門殿の言、一門衆としてはもっともである。他に使者に立とうという者はないか」

「それがしが参りましょう」

 ほとんど反射的ともいえるはやさで応じた者がいる。本丸詰めの鳥居強右衛門尉勝商であった。

「行ってくれるか」

 信昌の言葉に対し、強右衛門尉はこたえた。

「それがし殿に近侍し、今日まで名誉となる疵を負うこともなく本丸に逼塞しておりました。活躍の場のないことを密かに悔やんでおったところです。後詰要請の使者として発ち、傍輩の救いとなるのであればたとえ囚われ或いは斬られたとしても武士の本懐これに過ぎるものはない。それに・・・・・・」

 強右衛門尉は武士としての建前のようなことを一気にまくし立てたあと、途端に声を落とした。

「それがしは老母と幼子おさなごを残しております。子は男児です。それがしはこの任にあたり死を恐れるものではございませんが、思い残すことはこの男児のことで、もし任に失敗してそれがしが討たれるようなことになっても、我が子をその才覚相応の知行で取り立てていただければ、たとえ命を落としたとて後悔するものではありません」

 強右衛門尉は声を落としはしたが、それは一本芯の通った強いものであった。

「いみじくも申したり強右衛門尉。もとより生還は期しがたい任である。そこもとの男児、必ず取り立ることを約束しよう。もしわしが死んでも、ここにある奥平の一門でそこもとのねがいを耳にしなかった者はいなかったはずだ。生き残った者共で、浜松の殿様に願い出るかして、きっとそこもとの子を取り立てるであろう」

信昌は強右衛門尉の忠義に涙しながらこたえた。勝吉や定次、貞友などの奥平一門は皆、強右衛門尉の願を聞き届けたといわんばかりに深く頷いたのであった。強右衛門尉は城の脱出に成功すれば西向かいの雁峯山がんぽうさん上から狼煙を上げること及び使者の任を終えて再び雁峯山上に達すれば、そのときもまた狼煙を上げることを信昌に約束した。

 強右衛門尉が寒狭川に入ったのは夜半のことであった。無論、川を泳いで渡ろうという籠城衆の動きを最初から警戒していなかった甲軍ではなく、川の至るところに鳴子を張り巡らせていたものであるが、これが川魚かわめを引っ掛けて鳴ることが一再ではなかった。そのため治左右衛門ほどは水練が達者でもない強右衛門尉が鳴子に引っ掛かり、これを盛大に鳴らす過失を犯しても、立哨の甲兵は

「慌てるな。どうせまた鯉だ」

 と口々に言ってこれを大事とは考えなかったことは強右衛門尉にとって幸運だった。強右衛門尉は厳重と思われた甲軍の包囲を突破すると、城の西向かいにある雁峯山上に駆け上がって、約束どおり狼煙を上げた。

「やった! 強右衛門が城を抜けたぞ」

「後詰要請の使者が城を抜けた!」

 籠城衆は口々に歓声を上げた。

 攻城開始から十四日、防御施設の損壊著しく、死者多数、糧秣弾薬ともに尽きかかっているであろう城内から、このような歓声はついぞ上がることはなかったので、城西の包囲を担当する逍遙軒信綱は大いに怪しんだ。

「城を脱出した者がいるに違いない。その者は後詰の有無に関わる情報を携えて帰城を試みるに違いないから、城の周囲に真砂を敷き詰めて警戒せよ」

 逍遙軒信綱は麾下の将兵にそのように命じていっそう包囲を厳重にした。

 脱出に成功した強右衛門尉は、長篠から西の岡崎へと必死に走った。日中は梅雨時期の蒸し暑さを感じる気候であったが、夜間は肌寒さを感じる頃合である。この肌寒さがなければ、夜通し走りきることなど到底出来はしなかったであろう。

 強右衛門尉は最初から吉田城ではなく岡崎城を目指した。もし信長からの後詰が到着しているとしたら、織田領国にほど近い岡崎であろうと考えられたためであった。

 夜半の暗がりは白みつつあった。

 強右衛門尉の目に、岡崎の巨郭と、そこから引っ切りなしに上がる炊事の煙が飛び込んできた。

「援軍だ! 信長公の援軍がいるぞ!」

 強右衛門尉は確信した。確信して喜びの余り、誰にともなくそう叫んでいた。城から朦々と立ち上がる炊事の煙は、これまで強右衛門尉が見たこともないほど幾筋にも上っていた。岡崎には相当の大軍が駐留しているものと思われた。

「長篠城から罷り越した! 信長公に目通り願いたい! 開門、開門ッ!」

 強右衛門尉がこれを限りの大音声だいおんじょうで呼びかけると、岡崎城の大手門が開かれた。衛兵は汗みどろの強右衛門尉に対し、まず一杯の水を勧めた。

「かたじけない」

 強右衛門尉は柄杓の水を一気に飲み干し、殆ど赤裸のていのまま信長に目通りした。強右衛門尉の目の前にあるのは、早朝にもかかわらず、古式然とした式正しきしょうの大鎧を模する浅葱色威二枚胴に身を包んだ織田信長その人であった。信長は

「よくぞ危険を顧みず城を抜けだした。忠節賞賛に値する」

 と満座の中、強右衛門尉を賞賛した後、

「余は常々、信濃三河の国境にある奥平九八郎殿こそ織田徳川にとってかなめと心得ておった。これは誤りのないことである。今、その奥平殿が滅亡の危機にあって、畿内近国より兵を募って出張ってきた。十万の大軍だ。安心するがよい」

 と言った。

 十万の大軍とは、また大風呂敷を広げたものだ、と強右衛門尉は内心思ったが、そのようなことには触れもせず

「ありがたき御言葉、主もさぞ悦びましょう。その御言葉と後詰到着の朗報を携え、早速城へと還りましょう」

 とこたえると、信長は

「待て強右衛門尉。我等と同陣するがよい」

 と勧めたが、強右衛門尉は

「城に還る前に、城西の山上より狼煙を上げると城主に約束しております。傍輩も首を長くして朗報を待っているでしょう。還らぬというわけには参りません」

 とこたえて、信長の前を退出した。強右衛門尉は長篠城に向けてとんぼ返りに還った。後詰到着を城に伝えるためであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る