大賀弥四郎事件(四)

(帰って良いぞなどと、許しがたい)

 山田八蔵は三河奥郡(渥美郡)の大賀弥四郎邸宅をなかば放逐されるような形で出て行った後、自邸に帰らず浜松に向け走っていた。むろん、弥四郎の企てを家康に注進するためである。

 思えば八蔵にとって弥四郎は鼻持ちならぬ嫌な奴であった。大賀弥四郎という男は、侍が自分の武勇を誇って傲慢に振る舞うのに似て、頭の良さを鼻にかけて他を見下すというところがあった。だが侍連中が、むろん個人差はあるが、いくさ場で命を賭けて駆け回り、ときには本当に死んでしまうことがある、そのことを考えると、日頃武勇を鼻にかけて傲慢に振る舞う態度も、ある種命懸けの美しさを伴っているものだと八蔵をして思わせるのに比べれば、算盤勘定を間違えて命を取られるということもない、美しさなど微塵も伴わずただ傲慢であるだけの弥四郎を、自分を不当に見下す嫌な奴だと八蔵が考えることは至極当然のことであった。我慢がならないほど嫌な奴を、心の中でどうにかこうにか折り合いをつけて我慢してきた八蔵が、今日このときに限って許しがたいと考えたのは、単に密議の席で

「眠っておったのだろう。帰って良いぞ」

 と申し向けられ、恥をかかされたから、というだけではない。これまでも、恥をかかされるだけなら散々かかされてきた八蔵である。

 八蔵にとって決定的だったことは、弥四郎が家康という人物を甘く見ているという点であった。

 大賀弥四郎は確かに飛び抜けて頭の切れる男であった。渥美一郡の租税徴収担当者でありながら、徳川分国全体の租税額、延いては武田家との国力比を瞬時に弾き出して

「徳川に勝機なし」

 と、情に絡められない結論を導き出すあたり、その頭の切れは際立っていた。そして弥四郎の最大の欠点こそ、

「全ては数字で結論を導き出すことが出来る」

 と考えている点であった。弥四郎には、武田に対してどう考えても勝ち目がない家康に、何故諸衆が付き随っているか、理解できないのであろう。

 今でこそ織田信長の援助の下、武田にようやく抗っている徳川であったが、実は家康の祖父松平清康の代には、既に三河を統一を成し遂げていたのである。清康は美濃の斎藤道三と共働して尾張の織田信秀(信長の父)を滅ぼす勢いであったのだが、その一歩手前で家臣の裏切りに遭い斬殺されている。森山崩れと称される事件である。

 その後の松平家の苦心惨憺は詳しく陳べるまでもなかろう。弱体化した松平家は独立を保つことが出来ず、駿遠の太守今川義元に従属を余儀なくされた。独立は桶狭間戦役における義元の討死うちじにまで待たなければならない。

 僅か十二歳で家臣に望まれ家督を継承し、十八歳の時点で早くも三河統一を果たした清康は、

「天下人の器量を備えている」

 と讃えられた名将であった。突然の謀叛という不測の事態がなければ、今川如きに従属を強いられることもなかっただろうに、という鬱屈した思いを、家康は家臣達と共有していた。武田に対して燃やす敵愾心も、もとをたどればそこに行き着いたし、誰も口に出しはしないが、今は従属している織田家も、清康の代には松平家(徳川家)のために滅亡寸前のところまで追い詰められていたのであって、本来は立場が逆だったはずなのだ。

 清康の死という不測の事態によってもたらされた、徳川家にとってあってはならない現状を何とか脱しようとしてもがく主従の熱意。これは数字で算出できる類いのもの、即ち大賀弥四郎が理解できる代物ではなかった。

 弥四郎の計画は、確かに成功する確率は高いものと思われた。しかし浜松在城の家康を放置しておくという点が、この計画の最大の落とし穴のように、八蔵には考えられた。

「三河に本貫地を持つ三河国衆のほとんどは岡崎陥落を聞いて腰砕けになり、家康を見捨てるだろう」

 弥四郎のこの見立てを、八蔵は安易なものだと考えた。弥四郎の案に相違してほとんどの三河国衆が家康を付き随うことを選択すれば、どう対処する手筈なのか。弥四郎がそこまで考えて謀叛を計画したわけではないことを知って、八蔵は不安を覚えたのだ。

 夜通し歩き続けた八蔵は、遠くに浜松城の篝火を見た。足は自然と速くなった。城門の前に立つと、八蔵は大手の脇の木戸を敲いた。城内から不寝番ねずばん

「何者か」

 と問う声が聞こえた。八蔵はこれにこたえなければならないことに一瞬重圧を覚えたが、

「やややや、山田はは、八蔵でございます。いいい急ぎいいい家康様に、ちち、注進すべく、まま、罷り越しましてございます」

 と激しくどもりながらこたえると、城内からは

「何を申しておる。要領を得ぬ。落ち着いてもう一度用向きを申せ」

 と返事があった。八蔵の吃音が酷く、不寝番が聞き取れなかったのだ。思い余ったように、八蔵は有りっ丈の声量で短く二度叫んだ。

「む、謀叛! 謀叛!」

 木口が開かれ、八蔵が家康に目通りするまで、さほど時間の掛かる遣り取りではなかったが、八蔵にとっては疲労甚だしい時間であった。

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