新府遺棄(一)
高遠城を落ち延びた侍達は足を止めることなく韮崎まで走り、その日のうちに高遠落城を勝頼に復命した。勝頼にとって、五郎信盛が城を捨てることなく最後まで抵抗したことは意外なことであった。下伊那の諸城は戦いもせず次々と自落したのである。弟だからというだけで、五郎信盛がそこまで抵抗するとは考えていなかったのだ。だが勝頼の案に相違して高遠城が飽くまで抵抗すると決した上は、上伊那下伊那を統括する巨城高遠のことである。当然ひと月は持ち堪えるであろうと考えられた。それだけの準備が整った城だったのである。それが僅か一日での落城とは。
意外なことづくめであった。
落ちてきた高遠衆に戦いの様子を尋ねると、五郎信盛は城を恃みもせず城外戦に討って出たという。一日で落城した原因はそのあたりにあるのだろう。勝頼は
「なにゆえ城を恃まなかったのか」
と信盛を責めたくなるような衝動に駆られた。しかし先ず以て五郎信盛はこの世の人ではなかったし、そのようなことを口にしたとして
「やむを得ないではありませんか。高天神城を後詰もせずに見捨てたのはどこの誰ですか」
とあの世の信盛にやり返されるのが関の山であった。そしてなによりも、既にこの世の人ではない信盛を責めることを考えるより、これから先のことにこそ策を巡らせるべきであると考えられたからであった。勝頼は高遠落城を諸将に伝えた上でそれぞれの意見を募った。跡部尾張守勝資はこの期に及んで
「もはや府中に城なく、国内にて敵を迎え撃とうと思えば郡内の嶮岨を恃むよりほかにありません」
と献言した。すると口を開いたのは太郎信勝であった。信勝は
「若輩の身も顧みず異見します」
と前置きして言った。
「そもそもこのような事態に至ったのは、古くは長篠戦役において宿老の言も容れず跡部長坂の如き佞臣の讒言を容れたからではありませんか。唯一生き残っていた春日弾正が献策したとおり、あの時に梅雪を成敗しておれば駿河を失陥するようなこともなかったのです。直近では越後の錯乱に際して、三郎景虎を見捨てて喜平次景勝に味方したことが甲相の手切に繋がりました。今、武田の危機に際して、景勝がなにか我等の扶けになりましたか。今ごろ越後で震えながらこの様子を眺めているに違いありません。小田原の衆が甲斐に討ち入ったことも、人々の心を武田から離叛させてしまいました。すべては跡部長坂が献策した、その場限りの小手先の策を弄してきたからではありませんか」
信勝がここまで言うと、跡部も長坂も抗弁できずただ俯くばかりである。信勝は続けた。
「このうえさらに跡部のいうような小手先の策を採用しても、我が武田家累代の府中を失陥してまで、他国同然の郡内にどうして拠って立つことが出来ましょう。父上は古府中への未練を断ち切るために躑躅ヶ崎の館を破壊し尽くしたのではないのですか。そうまでして新府城に移ってきたというのに、今さら何処へ逃げようというのでしょうか。このうえはここなる新府こそ武田家最後の地と定め、半造作なれど城を恃んで潔く滅ぶべきでしょう」
跡部は信勝の意見に接し、軍議の席で面罵された鬱憤を散じる気持もあって
「これはあまりといえばあまりの仰せ。それがしは常に御家のためを思って
などとあるまじき暴言を吐くや、周りがこれを咎めるより先に太郎信勝が
「それこそ私が口を噤んできた所以です。父上が私を嗣子と思い定めて、我が器量を推し量るためか、様々に御下問なさるたびに、私は押し黙りました。そのゆえは、たったいま跡部が申したように、信長は私の祖父にあたる人物です。もし私の言葉が、なにか自分の意図と違う形で伝われば、人々の間に『太郎信勝は信長の孫ゆえに、御家不利となる献策をした』などと要らざる噂を立てることになったかもしれません。私はそういったことを恐れてこれまで頑なに口を噤んできたのです。しかし今はその心配はありません。なぜならば武田家の滅亡は既に目前に至っており、私は武田家の最後にあたって、家と運命を共にする覚悟だからです。そのように身を処すれば、太郎信勝は信長の孫であるから信長に屈したなどと揶揄されることもありますまい。重ねて申し上げますが、今さら佞臣の甘言に騙されて郡内などに逃げ込めば、新羅三郎義光公以来の武門の名誉を失うことになるでしょう。私は断固反対です」
と言い切ったのであった。
思えば木曾謀叛以来、信勝の成長ぶりは目を瞠るものがあった。勝頼がなんとなく信勝に感じていた物足りなさも、思慮なきものではなく、考えに考えた末、彼が辿り着いた処世の態度だったというわけだ。太郎信勝のなかには、武田の跡取りとしての血が確かに脈々と受け継がれていたのであり、その萌芽の時を今か今かと待ち構えていたのであろう。惜しむらくはその時が御家滅亡の時と重なったことだ。
勝頼は武田家がこの場で滅亡してしまうことをやむを得ないことと諦めていた。しかし、太郎信勝がここまでの才気を示したからには、御家の再興をこの嫡男に託すため、その意見に反してなんとか郡内へ逃げ込もうとも考えた。
武田は今まさに滅亡のときを迎えようとしていた。先代信玄が信濃に侵攻して数多国衆を併呑してきた、その国衆と同じように、武田は今、自らを遥かに凌駕する勢力に併呑されようとしていた。ともより戦国乱世である。そのような運命を辿る可能性を、想像したことがない勝頼ではなかった。たとえば長篠における敗戦の時がそうであった。敵は三遠における武田の拠点を次々に奪い、ために木曾や下伊那の武田は動揺を
(信長が攻め寄せたならば信濃に引き込んで叩け? 愚かなことを仰せになさいますな。諸人心を一つにするどころか、点でばらばら。戦うこともせず城を明け渡す始末です。父上肝煎りの韮崎の城も、普請作事は成らず籠城もままなりません。他国に討って出ることばかり考えておいでだから、このようなことになるのです。父上がやりたい放題振る舞ったことが今日に至る原因だったとしか、私には思われません。私は今日まで父上の御遺言さえ守っておれば御家は安泰だと信じ励んで参りました。しかしそれは全くの無駄でした。たった今から、私は私の存念でのみ身の振り方を考えるでしょう。間もなく私は死ぬことになるでしょうが、父上の御上洛の軍勢に加わることは金輪際ございません)
勝頼は心中にそのような思いを抱いた。先年の御館の乱に際し、春日山城下に立った勝頼。その枕許に信玄は立ち、上洛の軍への参陣を求めたことを勝頼は忘れてはいなかった。忘れてはいなかったが、勝頼はその軍勢に加わることを拒む決意であった。
(自分にどれだけの余命があるのかも知れんが、たった今からは自分が思うように振る舞うのだ)
勝頼は秘かにそのように決意していた。この期に及んで、もはや父の遺言に縛られず、自らの信じるところに従って身を処することを考える勝頼であった。
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