高遠城の戦い(三)

 徳川家康は信長から兵糧の援助を受け、遠州小山城の自落を得たあとは駿河に入って武田方の諸城を攻め囲んだ。田中城包囲、駿府陥落という事変が駿河を見舞うなかにあって、江尻城の穴山梅雪斎不白は攻め囲まれたこれら傍輩の籠もる城を救うでもなく、かといって籠城準備の喧噪に包まれているでもなく、無気味な沈黙を保っていた。もはや家康を通じて信長に誼を通じていた梅雪にとって焦眉の問題は、迫り来る徳川勢などではなくして甲府に残している妻見性院と嫡男勝千代の身の安全であった。梅雪は、江尻城在番の侍の中から特に手練の侍を選抜した。その数は五六百に及んだ。梅雪はこれらの侍衆を甲府へと派遣した。穴山衆は打ち揃って甲府に残していた穴山屋敷へと入っていった。梅雪は本貫地である韮崎の七里岩一角を勝頼に進上して、新府城を築かせたにもかかわらず、自らは詰屋敷を韮崎に構えることなく依然甲府に置いたままだったということになる。

 穴山衆野村兵部君松ただとしは、屋敷のなかでひっそりと身を縮めていた見性院と勝千代を前に折り敷いた。

「お迎えに上がりました」

 野村の出迎えを受けて見性院と勝千代はすべてを悟った。梅雪は自分たちを武田宗家の手の内から救出して、色立(謀叛)するつもりなのだ。二人が屋敷を出ると、幾多の侍衆に護衛された乗物(駕籠)があった。護衛の侍衆は、見性院や勝千代が見知った顔ばかりであった。外はいつの間にか大雨が降り出していた。冷たい雨であった。見性院と勝千代はその雨に打たれて白い息を吐きながらそれぞれの乗物に分乗した。

 穴山衆の一行が巨摩に向けて歩きはじめると、これを見咎めたのは甲府の地下人ぢげにん、町衆達であった。未だ織田勢或いは徳川勢による攻撃を受けていない甲府の人々は、武田宗家を見限ってはおらず、見性院或いは勝千代同様によく顔を見知った穴山衆が甲府の穴山屋敷から人質であるはずの二人を連れ出す様を見て

「御屋形様からは、人質を連れ出して良いとのお達しを受けてはおらん。何処へ行くのか」

 と執拗に追いすがる。

「こたえる必要はない」

 野村君松はつっけんどんにこたえて歩みを止めない。人々はなおも

「待たれよ」

 と咎め立てた。辺りはいつの間にか、立ち去ろうという穴山衆と、これを止めようという甲府の地下人、町衆でごった返し、大変な混乱となっていた。最初は遠慮がちに穴山衆を止め立てしようとしていた甲府の人々も、変事を聞いて続々と参集する他の地下人町衆に力を得て、遂に穴山衆の目の前に立ち塞がり、その行方を阻んだ。すると野村兵部は、周囲の者に

「斬って捨ててしまえ」

 と命じ、穴山の侍達は各々抜刀してその兇暴な本性を顕わにした。穴山衆はほんの昨日まで同胞と恃んだ甲府の人々の二三十人を、あっという間に斬り捨ててしまった。

 ここに穴山梅雪の謀叛は確定的となった。

 斬り捨てられた人々の血が、篠突く雨のために血河けつがとなって流れてゆく。目の前に広がる凄惨な光景と穴山梅雪謀叛という事態に直面して、甲府の人々はそれ以上穴山衆に追いすがることなく、ただ慄然として佇立するのみであった。

 穴山梅雪謀叛。

 この恐るべき報せは雨の塩尻峠を巡検し終えたばかりの勝頼の許にもたらされた。これまで木曾義昌の謀叛や下伊那諸城の自落、逍遙軒信綱の逐電に際会して、なお平常心を失わなかった勝頼も、さすがにこの報せには目眩を覚えた。ついさっきまで、信忠の軍勢をここなる塩尻峠において撃破することも不可能ではないと白昼夢を見ていた勝頼である。その所以は、駿河方面から侵攻してくるであろう敵方を、江尻城の穴山梅雪が防いでいるからこそ実現できる戦策であった。その作戦の大前提がここに呆気なく潰えたのだ。勝頼でなくとも血の気が引く事態であった。

「梅雪が謀叛致した」

 勝頼は上原城における軍議の冒頭でこのように陳べ、意見を募った。梅雪謀叛の報せは出席した諸将にとって唐突かつ驚愕すべき事態であった。勝頼の言葉も簡潔であり、事態が飲み込めない様子の者も多い。勝頼は狐につままれたような諸将を見渡して言った。

「府中の地下人等から報せがあったものだ。梅雪は甲府の自邸から妻子を無断で連れ出した。その際に押し止める地下人町衆等を斬り捨てておる。謀叛は疑いがない」

 梅雪が謀叛するに至った心境の変化など知らぬ勝頼である。

 彼にとっては

「梅雪謀叛」

 という確定的な事実を摑んでいるだけで今は十分であった。

 諸将は沈黙した。今振り返ってみれば、長篠戦役においてはいち早く戦線を離脱した挙げ句勝頼に対してあるまじき暴言を吐き、軍議の席ではことあるごとに勝頼及びその側近が示す方針に反対してきた梅雪である。薙髪を契機に新府築城のための土地を進上したり、結局成立しなかったとはいえ勝頼息女と勝千代との婚約を望んだのは、心根を入れ替えたものなどではなくして、謀叛の露顕を隠し立てするためだったのだと思い当たる者も多かった。木曾義昌が叛逆に及んだと知ったときには口々に怒号し、その討伐を口にした諸将も、さすがに武田の柱石と目していた穴山梅雪謀叛の報せに接しては

(如何に対処すべきか)

 と茫然自失のていである。武田はいま、この方面に回す兵力の余裕を持たない。勝頼側近として、ともすれば軍議の席において饒舌だった跡部尾張守や長坂釣閑斎も、この時ばかりは口を開くことが出来なかった。

 みなが沈黙しているなか、小山田信茂は敢然として献策した。

「塩尻峠において信忠を迎え撃つ策は、駿河方面から迫る敵を穴山殿が江尻において釘付けにしておくことが前提の策でござった。然るにその穴山殿が変心して敵方に靡いた今、それもなりがたい。このうえは新府城に退いて、尋常に籠城の御準備をなさるべきでしょう」

 新府籠城。

 それは、穴山謀叛と聞いた直後、ここにいる全ての者の脳裏によぎった策であった。にもかかわらず、全ての者が、口に出す前に打ち消した案でもあった。

(あのような半造作の城では、籠城など出来ようはずがない)

 そのように衆目が一致していたからである。塀の漆喰は生乾きでもまだ良い方で、塀自体が形作られていない箇所が大半であった。版築された土台の上に櫓はなく、兵を籠めるべき建物もない。本丸御殿において勝頼周辺の者がようやく生活できるようになったばかりの有様である。みな新府城のそのような実態を知っていた。なので籠城策を口に出す前に、個々の判断でそれを打ち消したのである。

 小山田信茂とて、新府城が半造作であって到底籠城に堪えられないことは百も承知のはずであったが、だからといって府中には他に拠る城がないということもまた事実であった。躑躅ヶ崎館も、その詰城たる要害城も、人々の未練を断ち切るために武田家自らの手で徹底的に破壊し尽くしていた。そのようななかで新府城に籠もるということは、そこでの滅亡を意味することにほかならない。みなが籠城策について口籠もったのはそのためであった。先代信玄のころより幾多の戦場を踏んできた歴戦の将小山田信茂の言は、近年俄に台頭してきた文吏或いは旗本近習が、かかる事態を前にして策もなく押し黙ってしまったのと比較して重みがあった。戦場での振る舞いというものを心得ている小山田信茂が籠城策に言及したことにより、もう残された策はそれしかないのだという動かしがたい現実を目の前に突き付けられて、暗澹たる思いに沈む諸将なのであった。

 新府城への帰還が意味するところを理解したのは首脳部にとどまらなかった。信忠勢による下伊那侵攻を防ぐため、その方面に兵力を割いて、減じたとはいえ未だ七八千の人数を擁しているはずの甲軍である。諏方上原城を焼き払って新府城にたどり着く途次みちすがら、その列を勝手に離脱していく者が引きも切らない。払暁、新府城へと帰り着いた勝頼は、手許にある着到状と、いま現実に目の前にある軍役衆の数を突き合わせた結果を聞いて仰天した。その数が、僅かに千を数えるまでに減じていたからであった。みな、造作半ばの新府城における籠城戦が何を意味するかを悟って、許可なく離陣したものであった。迫る武田家の滅亡を敏くも嗅ぎ取り逃げ散ったわけである。

 林は良人の帰城を御殿において迎えようとしたが、勝頼は新府城に入っても具足の紐を解くことがなく、また御殿に立ち寄ることもなかった。普請の指揮を執るためであった。

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