渦巻く不満(四)

 事件のあらましについて聞いた信君は、飛騨国府国衆で山下源之丞を引率してきた広瀬伝右衛門を召し出した。

「なにか出奔の前兆はあったか」

 そのように問われて、広瀬伝右衛門は緊張のあまり額に汗滴をいっぱい浮かべながら

「お、おそれながら申し上げます。在番衆は源之丞だけではなくみな疲れ果てております。当番中は言うに及ばず非番であっても常に武具の手入れを求められ、息を抜く閑もありません。もともと源之丞は随分と酒好きな奴でございました。非番といえば城下に繰り出して飲み歩くことを唯一の息抜きにしていた詰まらぬ奴でございます。既に非番の外出禁止が命じられて四年、源之丞にとってはその間息を抜くということがなかったのでしょう。前兆といえば、それが前兆でございます」

 と言った。これは半ば武田に対する不満の吐露であって、周りで聞いていた誰某かが広瀬伝右衛門の言葉を遮って然るべき場面であったが誰も口を差し挟まなかった。みな、伝右衛門と同じ意見だったからである。伝右衛門がこういった武田家に対する不満を口にしたことで、どのような処分を受けるか知れたものではなかったが、周りの人間はみな、この際伝右衛門に言いたいことを言ってもらおうと肚の裡で考えていた。広瀬伝右衛門ひとりが犠牲になることで、待遇が改善されるというならそれに越したことはなかった。しかし案に相違して、穴山信君は伝右衛門の言葉にじっと聞き入るばかりであった。そして広間に召集した者達の目をひとりひとり見つめながら、信君は問うた。

「広瀬伝右衛門の言葉に異論はあるか」

 周りの者共はみな黙ったきりであった。誰も異を唱える者はなかった。

「よろしい。分かった。みなの苦衷を察しないわしではない。待遇については考えておこう」

 信君はそのように言って散会を命じたのであった。広間に独り残った信君の脳裡に、先代信玄の顔が浮かんだ。それは、既に恢復の見込みがなくなり死相の浮き出た遺言の枕頭における信玄の顔であった。信玄は死に臨んで殊更に穴山信君と典厩信豊を近づけ、

「二人は余が特に頼りにしている者ゆえ、よく勝頼を盛り立てて欲しい」

 と遺言したのである。信君は今日まで、信玄のその言葉を支えにして勤めてきた。しかし勝頼は越後錯乱に際して不可解な三和交渉に動き、結果として甲相手切に至った。これは駿河に奮戦する信君にとっては梯子を外されたに等しい意思決定であった。東西に敵を抱える情勢となって、ただでさえ疲労甚だしい在番衆が遂に欠落ちる事態となり、信君の考えに変化が生まれた。

(お許しくださいませ。やむを得ないことなのです)

 信君は心中秘かに、信玄に詫びたのであった。

 そのころ、源之丞は暗闇の中を走っていた。足は西に向いていた。やがて雨が降り出した。非番だったので具足も着ていない身が、源之丞を追い剥ぎから守った。暗い森を抜けると源之丞の目に、小さな篝火がいくつか見えた。源之丞はその篝火を目指して走った。一番近い篝火のもとに達すると、その城に翻っていたのは割菱の旗であった。

(武田の城だ。高天神城か)

 源之丞は翻る旗を見て悟った。喧嘩の末に人を斬り、外出禁止の掟書を破って江尻城を出奔してきた源之丞である。今更武田の城に逃げ込むというわけにはいかなかった。源之丞は踵を返し、更に走った。次に達した城は、割菱の旗を掲げた先ほどの城と目と鼻の先にあった。ぐるりと目につく範囲の旗標はたじるしを見たが、先ほどの城のようにひと目見てそれと分かる割菱の旗は目に入らなかった。武田の城ではないという確信はなかったが、源之丞は今ごろ江尻から差し向けられているであろう追っ手を恐れ、これが徳川方の城であることに賭けて大手の外から呼びかけた。

「それがし、飛騨国衆広瀬伝右衛門麾下山下源之丞。江尻から落ち延びてきた者でござる。徳川様の麾下に参じたく罷り越したもの。開門されよ」

 源之丞の言葉の真贋を見極めるためか、門内から、慌ただしい人の声が聞こえてきた。「その場にてしばし待て」

 門内からようやく聞こえてきた返事は、源之丞の先ほどの問いかけに対するこたえかと思われるほど遅れて飛んできた。門内では門番が馬伏塚城将大須賀康高のもとに使いを遣った。既に夜半に達しており、大須賀康高は就寝中であったが、

「江尻から落ち延びてきたと称する者を大手の外に待たせてございます」

 という不寝番の声を聞くや、

「分かった。すぐにこれへ寄越せ」

 と命じ、したたか雨に打たれ全身ずぶ濡れの山下源之丞と面会した。

「わしは馬伏塚城将大須賀康高である。そこもとは江尻在番衆と聞いておるがまことか。何故城を欠落かけおちられた」

 康高の問いに、源之丞は自らの出自に続いて、江尻在番衆は次にいつ徳川が来寇するか常に怯えており、非番の外出も禁じられていること、そのために城兵の士気は低下甚だしいこと、そしてそのような折節、普請が重ねられ日中作事の音が絶えることなく在番衆は押し並べて神経を磨り減らしていること、自分は今日、日没後に鎚の音を鳴らした作事方を斬り捨てて江尻城を出奔してきたことを包み隠さず説明した。

「左様か。分かった。ご苦労であった。雨に打たれて体が冷えたであろう。湯浴みなさるがよい」

 康高はそのように告げると、城兵に湯を沸かすように指示すると共に、手紙をしたためはじめた。手紙には


只今江尻より被退候者御座候、浜松へ御注進申入候、体ニより夜中ニも人を可進候

(たった今、江尻から落ちてきたという者が来ました。浜松(家康のこと)に報告し、必要であれば夜中でも身柄を押送します)


 と記されていた。おもてには出さなかったが、大須賀康高とって江尻城から武田の兵が欠落ちてくることは驚きであった。周囲に付城をいくつも築かれ重囲に陥りつつある高天神城から武田の兵が欠落ちてきた、という話なら理解できるのだが、山下源之丞と名乗る先ほどの侍は確かに江尻から落ちてきたと自供した。確かに徳川勢はこれまで、何度か駿河に討ち入っていくつかの城を攻め囲んだり刈田狼藉を働いてきたりはした。しかし未だ駿河の寸土たりとも手中に収めてはいないのである。高天神城から落ちてきたというのであればいざ知らず、武田による駿河支配の拠点江尻から在番衆が落ち延びてきたという事件は大須賀康高にとって意外なことであった。なので大須賀康高は、件の手紙を浜松城まで進んでいた馬伏塚城交代番の松平真乗さねのり宛に記して、夜半ではあったが急使によって報せたのであった。急使が家康の許に到達したときには、夜は白みがかっていた。家康は早速源之丞の身柄を浜松に寄越すよう指示した。湯浴みして身形を調えた山下源之丞は、馬伏塚城在番衆に警固されながら浜松へと送られ、そこで家康からあれやこれやと質問を受けた。

「江尻城内の空気はどんなものか」

 家康の質問に対し源之丞は

「ささくれ立っております。次の番替えはいつになるか、みな首を長くしております」

 とこたえた。家康がじっくり考えてから質問するのに対して、源之丞はすらすらとこたえていった。もはや郷里に帰ることも叶わないであろう源之丞に、隠し立てすることはなんらなかったからであった。

「江尻在番衆の士気は随分と低下しておるということだな」

「はい。弓鉄炮の稽古に励め、非番でも外に出るな、具足の手入れは怠るな、酒はほどほどにせよ等とお達しばかり多く、息を抜く閑もございません」

「ほう、非番の外出禁止か。それは厳しいのう。武田の城は全てそうしておるのかな」

「いえ、それがしの知る限り、江尻城だけでございます」

「武田では在番の城について希望は出せるのか」

「さて、そのような難しい話はそれがし等末端の軍役衆の耳に入ることはございませんが、次に番替えがあるならば北信あたりの城でゆっくり過ごしたいものだという話は同郷の者と話し込んだことはございます」

「駿河はみな嫌がっている、ということかな」

「左様でございます。御先代の折からそうでした」

 源之丞はそうこたえたあと、自分の発した言葉で思い出したかのように

「そういえばひと昔前までは、北信の城に詰めるなど勘弁願いたいという雰囲気でございましたが、寧ろ今ではみな、北信への番替えを望んでおる有様です」

 と言った。源之丞が実感として口にしたこの言葉は、永年川中島を巡って上杉と対立してきた武田の外交方針が、駿河侵攻を境に激変したことを改めて家康に認識させた。武田の前線が北信から駿遠方面に移ったということである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る