渦巻く不満(三)

 領国経営の末端に追いやられた信君は、伊豆から遠江に向けて歩く一行の様子を聞いて何を思っただろうか。越後錯乱に際して、北条氏政が上杉景虎の支援を武田家に要請したであろうことは容易に想像のつくところであった。しかし勝頼が景虎を扶けて、景勝を追討することは遂になかった。信君は、三和交渉という決断に至るまでの勝頼の苦悩を知らない。駿河において江尻領を形成する信君にとっては、北条氏政との友誼を排してまで景勝と和睦した意思決定が不可解なものとしか映らなかった。甲相の手切はすなわち、駿河の破滅を意味していると信君には思われた。そして、そのように武田にとって利とならない、不可解ともいえる決定に至った、最も理解しやすくありそうな話だったのが、

「越後の金が跡部大炊助に渡った」

 という噂話であった。実際には越後からの礼銭は跡部大炊助だけが受け取ったものではなかったし、勝頼は北条と手切に及ぶことを是として三和交渉に臨んだわけではなかった。むしろ何とか氏政の要請に応じ、景虎を救おうと考えて三和交渉に臨んだのである。勝頼に言わせれば、手切はその過程において氏政が不誠実な対応を見せたことが原因なのだ。原因を作ったのは氏政ということになる。一方の氏政は氏政で、来たるべき織田政権との交渉に備えて環境を整えておきたい思惑から、三郎景虎を見捨て武田との手切に及んだのである。勝頼は家中に手切を宣言して、伊勢天照大神宮及び熊野三所大権現に願文を捧げた。これによって家中の意思統一を図ったものであったが、前線に配された軍役諸衆は、信君にも増してこういった各国の思惑を知らなかったし、甲相の手切に不安は増すばかりであった。武田分国のうちでも駿河では殊にその傾向が強かった。江尻在番衆の口の端に

「このままでは我等、甲斐一国に逼塞するよりほかになくなるのではないか」

 という不安がのぼるようになった。その江尻在番衆にして飛騨国衆山下源之丞は、徳川家康の度重なる来寇に悩まされて、非番であっても外出が禁じられていた折節、城の外で勤めの憂さを晴らすということも出来ないでいた。山深い飛騨国府に育った源之丞にとって、目の前に海の開けた城下をあてもなくぶらつき飲み歩くことは窮屈な江尻在番の憂さを晴らす唯一の楽しみであった。ほんの四年ほど前まではそういったことも許されていた江尻城である。事情が一変したのは、城代が穴山玄蕃頭信君に交代してからであった。前江尻城代山県三郎兵衛尉昌景のころにも増して、在番衆に厳しく勤めを課すようになった。やれ軍装を調えよであるとか、弓鉄炮の業に励めであるとか、ことあるごとに口やかましく求められた。非番の外出禁止もその一環である。おかげでここ数年、源之丞は城に備蓄してある酒を遠慮がちにちびちびやるのが関の山になって憂さは溜まる一方であった。同じ酒でも、城下に繰り出して飲む酒と、城に備蓄してあるものを遠慮がちにやるのとでは味が全く違った。それは飯にしても同じことであった。在番衆にとって食事とは楽しみではなく、勤めの一環であった。加えて最近では、勝頼から普請強化を指示されたためか、作事方が引きも切らず城内をうろつき、あちらからトントンカンカン、こちらからもトントンカンカンと一日中鎚の音が響いて源之丞はほとほと嫌気が差していたころに事件は起こった。或る日、作事方の若いのが板塀の釘を打ち損じた。

「仕方あるまい。明日、手直しするのを忘れるな」

 親方からそのように言われた若い作事方であったが、明日は明日で親方や兄弟子からあれやこれや求められて忙しく立ち働かなければならない身、この打ち損じた釘の手直しに手が回らないであろうことを考えると、若いのは既に日没に達してはいたが

「今のうちに、やっちまうべ」

 と呟いて親方の目を盗み、打ち損じた釘を抜いて新たにトントンカンカンと釘を打ち付け始めた。これに噛みついたのが源之丞であった。ただでさえ一日中やかましく響き渡る鎚の音に神経を磨り減らしていた源之丞は、日没後は作事を中断するというあらかじめの申し達しに反して、作事方の何者かが依然釘を打ち付けている音を耳にして、顔を耳まで真っ赤に染めながら若い作事方に詰め寄った。

「既に日没を迎えておる。しかるに貴様は!」

 源之丞は身分小なりといえど仮にも士分、鍛えられた膂力を以て、あっという間に若い作事方の胸ぐらを締め上げ、壁に押し付けながら持ち上げてしまった。若い作事方は息苦しそうに足をばたつかせながらもがいたが、源之丞はぐいぐいと締め上げて離す気配がない。そこへ作事方の親方が騒ぎを聞きつけ取って返して言った。

「申し訳ございません。きっとうちのが、やらかしたへまを今日のうちに取り返そうと鎚を鳴らしたのでございましょう。日中はあれやこれやと用事を申し付けて、若い者に自分の時間を与えなかった我等の不手際でもございます。どうか、それがしの顔に免じて此度ばかりはお許しを」

 弟子かわいさに親方が平蜘蛛のように這いつくばる姿を見ると、源之丞は

(腹立ち紛れに随分大人げないことをしたものだ)

 と先ほどまでの怒気も和らぎ、若い作事方の胸ぐらを締め上げる手も緩んだ。そのときである。源之丞が力を緩めたのも知らず、何とか逃れようと必死にもがく若い作事方が、釘を持つ左手を振るった。もとより若い作事方が釘を手にしていることを知らぬ源之丞ではなかったが、先ほどまでしっかり締め上げていた手を緩めたので、若い作事方が不意に振った左手が源之丞の頬をかすめたのである。若い作事方が手にした釘は源之丞の頬を傷つけた。源之丞は痛みのために反射的に作事方を締め上げていた手を離し、頬を押さえた掌を見ると血が付着していた。それは大した量ではなかったが、いくさでもなくましてや武道の稽古でもない場で、しかも凡下の衆ともいえる普請役に傷つけられたことで源之丞は先ほどまでの仏心も吹き飛び、その場から逃げようという若い作事方の背後からひと太刀浴びせてこれを叩っ斬ってしまったのである。哀れ愛弟子を目の前で斬殺された親方はその遺骸に取りすがって悲嘆に暮れるやら、他の在番衆は大身の将を呼んでこいと怒号するやらで辺りはとんでもない騒ぎになった。興奮のあまり手を下した源之丞は茫然自失その場に立ち尽くすよりほかなかったが、はたと思いついたかのように若い作事方を斬り捨てて血糊に汚れた太刀を打ち棄て、脱兎の如く駆け出した。

「源之丞待て!」

「何処へ行くのか!」

 背後から同僚の追いすがる声が聞こえる。源之丞はその声にこたえて立ち止まることもなく、柵を乗り越えて遂に城外へ逃げ出してしまった。騒ぎはようやくそのころ穴山信君の耳に達し、

「許可なく城外に出た者は射殺せ」

 と原則どおりの命令を下して、追っ手は三の丸から源之丞の遁走した方角に向かって鉄炮を放ち或いは矢を射たが、既に日没してから半刻(約一時間)あまり、源之丞の姿は見えず、闇夜に鉄炮の喩えどおりで逃亡者誅殺は覚束ない有様であった。信君は源之丞が遁走した方角に向けて追っ手を差し向けるとともに、本貫地である河内に使者をやって、家老佐野主税助を経由して飛騨国府に手配をおこなった。源之丞が帰郷すれば速やかに通知させるためであった。しかしこういった手配にもかかわらず、源之丞の行方は杳として知れなかった。

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