決破の顛末(一)

 このように北から南へと走り回って戦っていた勝頼が再び甲府へ帰還するのを心待ちにしている人々がいた。桃井将監によって入会地への乗り入れを一方的に禁じられた筑摩郡小池郷の人々であった。

 草間三右衛門尉は勝頼が遠江から甲府に帰還したと聞いて、再び次郎右衛門と次郎兵衛を伴って甲府に向かった。道中、三名は小池郷のみならず筑摩の人々の崇敬を集める塩尻の小野神社において公事勝利を祈願した。

 三右衛門尉が手にしている訴状は、前回の甲府行きの途次、加賀美の大坊に代書してもらったものを、日付を変えて書き直したものであった。

 三名は躑躅ヶ崎館に到着した。

 前回同様門前の在番衆に訴状を示しながら用向きを伝えると、三名は大手脇の木口から中に通された。今回は勝頼在府中でもあり、府第内に多くの人が行き交っていた。さすが武田の中枢だけあって、そういった人々の身形は調った立派なものであり、在番の侍衆が着用している具足ひとつとって見てもほつれて見苦しいところがない。これまで三右衛門尉が詰めたことのあるどの城の在番衆よりもその士気は旺盛に見えた。

 そのうちの誰もが忙しそうに行き交い、旅装で府第内に佇む三名に一瞥をくれるのみで、声を掛けようという者もいない。

(またぞろ握りつぶされるのか)

 と三右衛門尉が不安を抱き始めた折に至って、明らかにこちらへ向かって歩いてくる侍の姿が見えた。

 その侍は場違いな旅装の三名こそ訴状を持参した筑摩の一行であるとすぐに分かったものか、三右衛門尉等の方向に向かってまっすぐ歩き寄せ、

「小池郷の人々であるな。御旗本武者奉行の櫻井右衛門尉である。公事はそれがしが担当することとなった。訴状は一読し、内容は承った。内田郷の者を召し寄せて双方の言い分を聞かなければならぬ。逐って沙汰するゆえ、宿所を届け出て今日のところは一旦下がられよ」

 と手短に伝えると、そのまま足早に立ち去っていった。

 その手短さというと小池郷の三名がひと言も発する暇がないほどで、次郎兵衛などが

「なんだありゃあ。あんなんで本当に決裁してくれるだか」

 という不安を口にしたのも無理のない話であった。

 しかし御旗本武者奉行を名乗る人物が

「内容は承った」

 と言った以上、先々の裁許に不安はあったけれども、三名は公事は受け付けられたものとしてこの場を去らねばならなかった。

 城下の一角に宿を借りた小池郷の三名は、村人達から預かった旅費をあてにして「逐っての沙汰」なるものを待った。滞在費の底が見えてくる不安の中、三名の宿所に公事方の侍がやってきて告げた。

「明日、府第において決破けっぱ(審理)に及ぶゆえ、辰の刻のはじめ(午前七時ころ)に遅滞なく参上するように」

 訴状を受け付けたと櫻井右衛門尉から告げられて二十日になろうとしているころのことであった。

 翌日、三名は言われたとおりの時刻に府第を訪れ、これまでと異なり厩や庭の一角などではなく建物の中、御料理の間に通された。少し遅れて三右衛門尉等と同じく旅装に身を包んだ三名が御料理の間に現れた。その三名も緊張によって顔を強張らせていた。内田郷から召し出された村の代表者と思われた。

 茣蓙が敷かれ、火鉢が置かれた御料理の間に、なんともいえぬ張り詰めた空気が流れる。訴訟の当事者がこれから決破に及ぼうというのであるから無理もない。しかし三右衛門尉だけはその行方に疑いを持ってはいなかった。

 ただ、目の前に火鉢が置かれている様を目にしながら、

(山に出入りできなくなったころは夏だったが、随分と日数がかかってしまったものだ)

 ぼんやりとそのようなことを考えていたのであった。

 沈黙が破られたのは御料理の間に今回の公事を司る奉行二名が入ってきてからであった。

 奉行はそれぞれ自らを

「櫻井右衛門尉」

「今井新左衛門」

 と名乗った。

 三右衛門尉は座礼で応じた後、すぐさま目の前に広げていた判紙にこの両名の名を書き付けた。なお、一名は二十日前に訴状を受け付けたと告げた櫻井右衛門尉であった。

 その櫻井右衛門尉が言った。

「それまで慣例として小池郷の村人が出入りしていた内田山への入会のことであるが、七月、内田郷が点札を掲げその乗り入れを禁じたことについて、小池衆よりその解除を求める訴えがなされた。まずは内田衆に問う。点札を掲げ小池衆の内田山への乗り入れを禁じたのはまことか」

 すると内田衆三名は異口同音に

「事実でございますが我等も貧窮してのこと」

「上意を得て掲げた点札でございます」

「そもそも山は内田の名を冠しておるものでございます」

 と騒がしく異口同音主張した。

 すると櫻井右衛門尉は

「これっ! いやしくも公事の場であるぞ。内々で主旨をよく取りまとめ、代表者一名のみが心静かに存念を述べよ」

 と叱った。

 叱られた内田郷の三名はその場で角を突き合わせながら談合し、そのうちの一名を代表者に決すると共に、下問に対する回答を取りまとめたのであろう。

 最も年長と思われる一人が進み出て言った。

「まことでございます。これは内田山がその名の示すとおり、我等内田郷に属する山であり、これまで周辺の郷村に特別の計らいをして入会地としていたものを、このたび地頭桃井将監様のお達しにより本来の如く内田郷の山と定めたものにございます」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る