御館の乱(九)

「余の声を忘れたか」

 声はやや語気を強めてそう言った。

「まさか父上ですか」

「このようなところで何をしておるのかと聞いておる」

 声は自ら名乗ることはなかったが、この低く落ち着いて、問われた者に虚言を許さない威厳を湛えた声は亡父信玄のそれに違いなかった。

 勝頼は辺りを見渡したが周囲は真っ暗でその姿を目にすることが出来ない。

「父上、何処におわしますか」

「勝頼。余の問いにこたえよ」

「父上が望まれた越後に至っております」

「馬鹿者」

「はっ・・・・・・」

「馬鹿者。余に超越せんと欲して今ここにあるか」

「いえ、それがしはただ・・・・・・」

「ここは汝がいるべき地ではない」

「北条に請われてやむなく出馬したものにございます」

 やむを得ない出陣なのだ、勝頼は言い訳をするようにそう言った。

 しかし信玄の声は納得する様子がない。

「汝は越後にいるべきではない」

 信玄の声はもう一度同じことを言った。

「もとより越後を欲しての出馬ではありません。どうすれば良かったと言うのでしょう」

 勝頼は生前の信玄に決してかけることはなかったであろう強い語気でそう問いかけた。 

 しかし信玄から返事はない。

「父上、何処におわしますか! 父上!」

 勝頼は必死にその名を呼んだ。呼んだが信玄の声はそれ以上勝頼に語りかけることはなくなっていた。

「父上!」

 勝頼は自らの声で目を覚ました。

 声に気付いた警固衆が、閉じられた雨戸の向こう側から

「御屋形様」

 と問いかけてきたが、勝頼はそれに対し

「いや、大事ない」

 とこたえて再び床に就いた。しかし目が冴えて眠りに就くことが出来ない。

 勝頼は床のなかで信玄と交わした遣り取りを反芻していた。信玄は勝頼に対してよくぞここまで来たとも何故春日山城を攻め落とさぬかとも言わなかった。喜ぶことも叱咤することもなくただここは勝頼のいるべきところではないと言っただけであった。それが何を意味するのか、分からぬ勝頼ではなかった。西上の志を遂げず逝った信玄は未だ妄執に取り憑かれているのだ。信玄の魂魄は長篠戦役で信玄の後を追うようにして織田徳川の野戦陣地に飛び込み死んでいった大勢の軍役衆を率い、きっと京洛への行軍の途上にあるのだろう。目的地に永遠に到達することがない上洛へのみち彷徨さまよい歩んでいるに違いないのだ。信玄はその上洛の隊列に参陣することを求めるため、勝頼の枕許に立ったのであろう。

(今少しお待ちくださいませ。いずれ参りますゆえ・・・・・・)

 勝頼は気配を消した信玄の霊魂に心中そう呟いた。勝頼は長篠戦役に先立つ信玄葬儀において、形ばかりの野辺送りの葬列を歩いたことをこの期に及んで悔いたのであった。


 勝頼が春日山城を巡検してから十日後の六月二十九日、勝頼は甲軍本営を大出雲から越府に前進させた。甲軍が越府に到達したまさにこの日、勝頼と景勝の間で正式に和睦が成立した。景勝が乞い、甲軍が越府にたむろする中での和睦である。当然勝頼の意向を強く反映する内容で成立した。しかし勝頼には未だ、景勝景虎間の和睦を周旋しなければならないという大仕事が残されていた。なので勝頼に安堵感はなかった。

 またこのころ、信濃安曇郡から出発し、小谷筋おたりすじを北上する仁科五郎盛信率いる武田軍兵は越後西浜の根知城を接収した。

 曾て弘治三年(一五五七)、武田晴信が

「越後への出口は川中島だけではない」

 と唱える馬場民部少輔信春の献策を入れて、この方面に軍を派遣し長尾景虎を大いに慌てさせた侵入経路である。

 長尾景虎はその後、この筋の重要性に鑑みて二度までも晴信を撃破した猛将村上義清を根知城に籠めた経緯がある要衝であった。しかしこの度の錯乱に接してその要衝は遂に武田の手に落ちた。仁科五郎がこの地を接収したことにより、武田の版図は南は駿河湾から北は日本海に達することになったわけである。 

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