第70話 合流 ①
誰かにしきりに頭を撫でられていることに気付いて、
見上げれば、にっこりと笑みを浮かべた
「あれ? 姉ちゃん?」
「おはよう、切。昨日はごめんなさいね、夜遅くまで付き合わせてしまって」
「別にそんなこと気にしてねえよ。それより、毒丸まだ戻って来てないのか?」
切はそう尋ねてから、辺りを見回した。
すでに戻って来ているとばかり思っていたのに、どこにも彼の姿は見えない。
「ええ、そうなの。大丈夫よ、そんな顔しなくても。ちゃんと帰って来るから」
肩を落とし不安そうな表情を浮かべている切に、近重が笑みをうかべてそう声を掛けた。その言葉に切は頷いたものの、内心不安は晴れない。
今までも毒丸が廃寺を留守にすることはちょくちょくあった。けれど、こんなに長い時間戻って来なかった日は一度もない。
そんな彼の頭を近重がまた撫でる。そして、再び口を開いて、
「ねえ、切。二人で何か食材を探しに行きましょうか? もう少ししたら、他の人たち(非ず者たち)が起きてしまうでしょう。早めに食材を確保した方がいいと思うの」
「そうだな。ここにいても腹が減るだけだし」
切は立ち上がると、引き戸に向かった。
それでも、あと数刻もすれば日が昇ってしまう。彼らが起き出してしまえば、食材の奪い合いになる。そうなる前に手に入れなければ。
表(町人が住んでいる表立った場所)の方に出ると、いくらも歩かない場所に蒲焼屋がある。そこのウナギでも盗もうか。
切はそんなことを考えながら近重と二人で表に向かう。
その時、並んで歩いていた近重の動きがぴたりと止まった。
見れば、彼女の顔からは完全に血の気が引いている。
「おい、姉ちゃんどうした?」
驚いてそう尋ねる切の問い掛けは彼女に全く届いていない。
顔を前に向けると、見知らぬ男が目の目に立っていた。笠を
口元は固く閉じられている。
切は首を傾げてから、もう一度近重に顔を戻す。
「なぁ、あいつ姉ちゃんの知り合いか?」
切が再び尋ねると、近重は
「……××の兄さん」
彼女の声を聞いた男は閉じていた口元を歪めると歯噛みした。
よく見ると、彼の右手には
そして、突然こちらに向かって来るなり、
「よくも騙しやがったなぁ!」
男はそう叫びながら、持っていた鉈を思い切り振り下ろした。
※※※
誰もが熟睡している中、寿は目を覚ました。
布団を剥いで起き上がり回りを見回しても、誰も起きる気配がない。
まだ夜中じゃない、などと胸中で呟いてからもう一度眠ろうとした時、ふいに何かの気配を感じた。
寿は気配を感じる方に顔を向ける。それは引き戸越しから感じる。
掴んでいた掛布団を剥いで、そっとそちらへ歩み寄った。
何度も感じたミズハさまの気配とは違う。初めて感じる気配だ。
引き戸に手を掛けて、ゆっくりと開ける。けれど、辺りを見回しても誰もいない。
それでも、何かがこの近くにいる。
寿は更に引き戸を開けて、庭園に出た。
いつかの日と同じように庭園の様子がはっきりと見える。空を見上げれば大きくて立派な満月が庭園を照らしている。
寿は顔を上げるのをやめると、気配のする方へ顔を向けた。
感じるのは左側から。そちらにあるのは正門だ。
寿が歩いて行くごとに気配は増していく。
どうやら謎の気配は正門の外にいるらしい。
ならば、このまま無視して寝室に戻ってしまおうか。
「でも、気になるな……」
気配は動くことなく常に同じところに留まっているようだ。
寿は決心すると、勝手口に回り込んで屋敷の外に出た。
少し歩いていくと、自分と同じくらいの年齢の少年と一回り以上も年の離れた女の人の姿が目に入った。
こんな夜明け前に一体何をしているのだろう。
二人とも建物の影で腰を下ろして、息を潜めている。
その様子はまるで何かから隠れているように見えた。
「あの、どうしたんですか……」
寿は言いかけてから、おもわず悲鳴を上げそうになった。
女の人が肩から血を流したまま、建物の壁板に背を預けて座っている。
彼女は寿に気付くと、
「あらぁ、おはよう」
口元に笑みを浮かべているが、あきらかに顔色は悪く呑気にあいさつを交わしている場合じゃない。
一緒にいた少年が早口で、
「知らねえ男に襲われたんだ。このままじゃ、姉ちゃんが……」
少年が言いかけた時、向こうの角から男がゆらりと現れた。こちらに気付くと、再び顔を歪ませて近付いて来る。
「男って、あの人のこと?」
後ずさりしながら尋ねる寿に、少年が立ち上がってから、
「あいつが切り付けたんだ」
男を睨み付けたまま答えると、女の人もゆらりと立ち上がり、
「逃げるわよ……」
少年は頷くと、彼女の手を取り走り出した。
当然、寿も走り出す。
まだ夜も明けぬ中、月明かりだけを頼りにして。
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