第69話 対峙 ②

 行灯とともに燃える巻物はあっという間にその原型を失っていく。

 描かれた虎の姿が見えなくなると、清流の中にあった恐怖も次第に小さくなっていった。

 我に返った清流は紅蓮に顔を向けると、彼女の名前を呼びながら駆け寄った。

 「紅蓮、こっちへ」

 彼女の手を引き、急いで毒丸から引き離す。

 大丈夫か、と清流が尋ねるより早く、紅蓮が口を開いた。

 「清流、もう大丈夫よ。巻物は燃やしたから」

 微笑んでそう口にする彼女に清流は驚いたまま、

 「ど、どうしてあんな無茶を……」

 「あなたがとても怯えていたから、どうにかしないとと思ったの」

 「何もあそこまでしなくても」

 「行灯あんどんを持って来ていたことを思い出したから、その火を使おうと思ったのよ」

 そう話した後、紅蓮は毒丸に顔を向けた。

 毒丸はこちらを恨めしく睨んだまま、その場を動こうとしない。

 そんな彼を見据えたまま、紅蓮が口を開いた。

 「あなた、お姉さまがいたでしょう?」

 「だったら、何だってんだ?」

 「その後ろにあるのは、お姉さま方のお墓ね?」

 「ああ、そうさ」

 毒丸が背後にちらりと視線を向ける。

 清流も彼の背後に並んでいる二つの石を凝視した。

 (あれが墓なのか?)

 人間の墓を何度か見たことがあるが、彼の後ろにある石は自分の知っているものよりもずいぶんと小さい。

 「だから、女物の着物をお前に持って来させたんだよ。姉貴たちは上等な着物なんて着たことはなかったからな」

 少しの間、沈黙が流れた。

 それを破るように、再び紅蓮が口を開いた。

 「あなたのことを思い出したのよ。あなたが野次馬と言った時」

 彼女の脳裏にあの頃の記憶が蘇る。


 ――――――


 母親と一緒に市場へ行った帰り、人だかりが出来ていたので試しに覗いてみれば、何やら数人の人の姿。

 好奇心の強かった紅蓮は、人と人の隙間を通り抜けて一番前に出た。

 そこには、役人と思われる男たちが数名、その近くには腕を拘束された、大人の男女と自分よりも年上の女の人が二人、自分と同じくらいの年と思われる男の子が一人。

 大人の男の着物には血が付いていた。

 少しの間、呆然としているとふいに視線を感じた。そちらを見れば、同じ年くらいの男の子が自分を睨むように見ている。

 話しかけようとした時、人だかりから母親が出て来た。

 そして、自分の目を塞いで、母は言った。

 「見るんじゃありません」

 叱るようにそう言うと、母に手を引かれてそこを後にしたのだ。


 ――――――


 「やっと思い出したか?」

 毒丸が尋ねる。その目は暗く淀んでいて、全く光がない。その光のない目で今度は清流を捉える。

 「お前は知らないだろ? 人間に差があるなんて」

 「人間に差?」

 「十年以上前に殺人があった。男が自分の母親を殺したんだ。この国で親を殺しても死罪は免れる。その代わり、二度と同じ場所に戻ることは許されない。

 殺したヤツもその家族もまとめて非ず者と呼ばれて、別の場所に住まわされる」

 清流の頭の中に以前見た光景が蘇った。

 毒丸と初めて会った日に見た、粗末な長屋で身体を横にして眠る人間たちの姿だ。

 着ている着物は毒丸と同じくボロボロだった。

 (だから、皆あんな場所で眠っていたのか)

 母親を殺した男とは毒丸の父親のことだろう。

 清流がそんなことを考えていると、

 「非ず者の集落に連れて行かれる時、侮蔑の視線を寄こす野次馬どもの中に、ずいぶん金持ちそうなヤツがいるなと思った。あんまりこっちを見ているもんだから、文句の一つでも言ってやろうと思ったんだがな」

 「そんな勝手な理由で紅蓮をこんな目に遭わせたのか?」

 語気を強める清流に毒丸は薄っすらと笑みを浮かべた。

 「だから、言ったろ? 魍魎のお前には分からねえって」

 口元は笑っていても、彼の目は相変わらず暗いままだった。

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