第52話 位牌

 「ほら。約束通り、人魚の灰だ」

 毒丸はそう言うと、近重このえに灰が包まれた白い紙を渡す。

 「ありがとう、毒丸」

 近重は白い紙を受け取った後、傍で寝ているきりに気付きそちらに近付いた。

 寝息を立ててよく寝ている。

 ふと、切が何かを抱えているのを発見した。

 「あら、これは何かしら?」

 傍に置かれていた蝋燭ろうそくを手にして、そちらに近付けてみる。

 長めの布が結ばれた木の板がそれぞれ二枚、彼の腕の中から見えた。

 その様子に気付いた毒丸も、切の方に顔を向ける。

 「紺色の帯が付いている方が兄貴の、黄色の帯が付いてる方が祖母のもんだ。お前、位牌いはいって知ってるか?」

 「位牌って、文字が書かれた板のことでしょう? 死んだ人間の何とかを書いたもので祀るとか何とか……」

 「まあ、大体合ってるよ。切が抱いてるそれはだ」

 近重はもう一度、その板を見る。

 「でも、文字がないわよぅ?」

 「死んだあらものには付かねぇのが、普通だ。関係ねぇからな」

 彼女は「そうなの」と言うだけで、それ以上のことは聞かなかった。少しの間、沈黙が流れたが、近重は立ち上がると、

 「人魚の灰も譲って貰ったし、アタシはそろそろ」

 「近重。女にその灰を渡す時、俺も連れて行け」

 彼女が驚いて、振り返る。

 「ここを出たら、見つかってしまうんじゃないの?」

 「この国から逃亡しなけりゃ、いい話だ。見張りはいるにはいるが、この周辺じゃない。いるとすれば、国境の方だ」

 「あら、それなら安心ね。ねえ、付いて来るのは構わないけれど、切はどうするの?」

 「置いて行くに決まってんだろ? こいつが寝静まってから、ここを出る。

 それにその豪商の女がどんな女か興味があるしな」

 ニヤリと口角を上げる毒丸に近重はただ彼を見つめている。そのまま何も答えずにいると、

 「何だよ?」

 「毒丸って、女の方に興味があったのね? とても以外だわぁ」

 「お前、それは嫌味か?」

 毒丸が半ば食ってかかろうとすると、近重は笑顔を向けたまま話題を変えた。

 「そうそう、前から思っていたんだけれど、行灯あんどんとかあればいいわよね? 蝋燭だけだとなんだか寂しいわぁ」

 「何でいきなり行灯なんだよ?」

 「紅蓮の蔵にあったのよ。とっても幻想的で素敵だったわ。花びらが三枚付いた花の模様が入っていたわねぇ」

 「花の模様?」

 「ええ。何でも家紋というらしいの。片喰かたばみの花びらが入った」

 「……へえ、片喰ねぇ」

 毒丸はそう呟くと、近重に背中を向けてその場に寝転んでしまった。

 「あらぁ、どうしたの毒丸?」

 「俺もそろそろ眠くなってきた。お前ここを出るんなら、ちゃんと蝋燭の火を消して行けよ?」

 「嫌ねぇ、言われなくてもちゃんと消していくわよ」

 そう言った後、すぐに蝋燭を消す音が聞こえた。

 一瞬にして闇に包まれる。

 「おやすみなさい、毒丸」

 近重の声を背中で聞いた後、すぐに引き戸の閉まる音がした。

 辺りには切の寝息しか聞こえない。

 「片喰の家紋か……」

 一度閉じた目を開けて、独り言ちた毒丸の脳裏に幼い頃の記憶が蘇る。

 母親と一緒に並ぶ一人の少女がこちらをじっと見つめている。すると、彼女の母親が「見るんじゃありません」と言いながら、自分の着物の袖で少女の目を覆った。

 少女が持っていた巾着袋は身に着けている着物と同じくらいに高そうに見えた。それに入っていたのは、間違えようもない片喰の家紋。

 毒丸が開けた目を再び閉じる。だが、その日はなかなか寝付くことが出来なかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る