第19話 非ず者(あらずもの)

 「じゃあまたな、おちかちゃん!」

 「弥助やすけの兄さんもお気を付けてぇ」

 酒を飲んでいい感じに酔っぱらった若い男と別れた近重このえは、男が歩いて行った方向とは逆の方に歩き始めた。

 普段あまり入ったことのない道を見つけて、好奇心からそちらを通ってみる。

 自分以外に他の者の姿はない。もちろん妖狐や他のあやかしたぐいもいやしない。

 ここは普段人が入ることがないのか。

 さきほどの繁華街と比べて灯りもない。辺りには陰鬱とした雰囲気がどこまでも広がっている。

 それでもこの奥から確かに人間の気配を感じる。

 近重が顔を横に向けると、寺へと続く石で出来た階段があった。

 そのまま階段を上がって行く。上がり終えた先にあったのは、すでに朽ち果てた廃寺。

 そちらに向かって歩いていた時、中から物音が聞こえた。

 「今度は女か。何か用か?」

 廃寺の中から出て来たのは、二十代半ばの男。背丈があり、端正な顔立ちをしたその男はゆっくりと近重に近付いて行く。

 珍しいものを見るように、上から下まで自分を眺める男に対して近重が返す。

 「用という訳ではないわ、ただの気まぐれよぅ? 人の気配がしたから、気になって」

 「ただの気まぐれか……」

 喉でくっくっと笑ってから、再び彼女に顔を戻す。

 「こりゃあ、べっぴんだ。その白い肌は白粉おしろいなんかじゃないな?」

 低音だがよく通る声でそう尋ねる。

 「ええ、生まれつきよぅ」

 「なるほどなぁ。姿

 男の言葉に近重の思考が止まる。

 「え?」

 男の長い指が彼女の頬を撫でる。彼の手は近重の頬を離れると、そのまま上に移動した。彼女の頭を掴むと、冗談っぽく言って見せた。

 「お前は狐か何かだろう? 獣の耳はここから生えてくんのか?」

 その言葉に近重が勢いよく後ずさる。顔を前に向ければ、満足げな笑みを浮かべた男が視界に入った。まるで何かに勝ち誇ったように口角を上げている。

 しばらく沈黙が続いた。辺りには風の吹く音しか聞こえない。夜風は涼しいのに、彼女の顔には冷や汗が浮かぶ。

 口元をそでで隠したまま、まだ笑みを浮かべている男に尋ねた。余裕ぶってこちらも笑顔で応じてみる。

 「あらぁ、お兄さん随分と察しがいいのねぇ?」

 「どんなにべっぴんに化けたって、そのは消せねぇさ」

 近重は言葉に詰まった。

 何度か人間の男たちと話していて会話が噛み合わないことはあっても、自分の正体に気付いた者はいなかった。当然、獣臭いなどと言われたこともない。

 (何者なのかしら、この男……)

 「お前、人間に化けて何しに来た?」

 「人間の兄さん方に会いに来たのよ。お酒飲みながら、楽しく語りにね」

 「へえ、そいつはどうして。お前のような色香のある女なら、男共は大層喜ぶだろうな」

 「あなたはこんな所で何をしているのかしら?」

 「何って、ここに住んでんのさ」

 「え? ここに?」

 彼女は驚いて廃寺を見る。屋根は崩れ、柱だってぼろぼろだ。とても人間が住むような場所には見えない。

 もう一度男越しに廃寺を覗き込んでみた。中に何か見える。つぼに巻物、いくつも積み上げられた木箱の数々。

 よく見ようと更に目を凝らした時、男が言った。

 「気になるか? 中に見えるのは俺が集めた品々さ。普通の商売が出来ないんでな。俺の名は毒丸どくまるだ」

 「アタシは近重よ。普通の商売が出来ないってどういう意味かしらぁ?」

 すると、毒丸と名乗った男は不思議そうな顔をした。

 「何だお前、のヤツらから聞いてないのか?」

 近重は何のことか分からず首を傾げる。

 「この国には二通りの呼び方が存在するんだ。人間と。そうでない者はあらものと呼ばれる。ここはそんな者達が暮らす一帯だ」

 近重はさきほど自分がいた場所と今いる場所の違いに違和感を持っていたが、ようやくその理由が分かった。

 「だから、ここだけ雰囲気が違っていたのねぇ。表は先程アタシが会った兄さん方が暮らす場所、裏はあなた方が暮らす場所。でも、その基準は一体何で決まるのかしら?」

 「家族、または親族をあやめたかいなかだ。主に自分の親を殺した者が非ず者と呼ばれる。ここ以外の場所で暮らすことは許されない」

 「非ず者……」

 近重は呟いてから、笑みを浮かべて言った。

 「アタシには人間が決めた決まり事なんて分からないけれど。ねぇ、それよりもあなたの集めた品々が見たいわ」

 近重はわさとらしく両手を合わせて、上目遣いで毒丸に視線を送る。

 「いいぜ。中に入りな」

 案外あっさりとしているものだ。断られるかもしれないと思っていたのに。

 毒丸は彼女に背を向けると、さっさと廃寺の中に入っていった。


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