第64話 紅蓮の行方

 夜更けの人里は昼間の賑やかさが嘘のように静まり返っている。

 今頃、人間たちは夢の中にいるのだろう。

 時々、長屋の引き戸越しに誰のものか分からないいびきが漏れてくる。

 よく寝てるなぁ、と清流はつい苦笑してしまう。

 人里の中を歩いていると、こういったことが何度もある。

 そんな昼間とは違う様子を見たり聞いたりするのも、紅蓮に会う前の彼の一つの楽しみだ。

 今日は彼女とどんな話をしようか。なるべく暗い話題は避けたい。怪しいヤツが来なかったかだけ聞いたら他の話題を振ろう、と心に決める。

 今は夏だ。そういえば、この頃になると人間たちが何かを夜空に打ち上げていたような。白い煙が上がったと思ったら、いきなり。赤や橙などの鮮やかな色が闇に浮かんでは、あっという間に消えてしまう。

 そして、また次の大輪を夜空に咲かせるのだ。

 清流はそれの名前を知らない。

 今日、紅蓮にあったら聞いてみよう。

 そんなことを考えながら歩いていると、目の前には大きな蔵の門が見えて来た。

 いつもと同じ方法で屋敷の中へ入り、庭園に設置されている朱色の橋を渡る。

 その先にある木々で覆われている場所を抜けて、そのまま歩いていくと見えて来たのは白い乳白色の蔵だが——。

 清流はそこで足を止めた。

 辺りに何か散らばっている。

 屈んで拾い上げると、それは格子の角材。

 清流は顔を上げて、蔵を見た。

 左右の格子だけを残して、真ん中の格子だけがない。

 蔵の中にはいつもいるはずの紅蓮の姿が見当たらない。

 清流は持っていた角材を放り出すと、急いで蔵に近付いた。

 「紅蓮?」

 試しに彼女の名前を呼んでみたが、当然返事はない。

 清流は思わず振り返って辺りを見回した。

 もしかしたら、この近くに紅蓮がいるのではないか。どこからか、「清流、ここよ」、なんて言ったりして出て来るんじゃないか。

 けれど、どれだけ待っても彼女は現れない。

 蔵の中にもう一度目を凝らしたが、見えるのは蔵の土壁のみ。

 清流は蔵に背を向けて、庭園に向かう。

 もしかしたら、この庭園のどこかにいるのでは。

 そんなことまで頭をよぎる。だが、この広い庭園内をくまなく探すのは時間がかかる。

 それに、屋敷の者が何時起きて来るとも知れない。

 清流が頭を抱えた時、池の方で何かが跳ねる音が聞こえた。

 そちらに目をやると、一匹の真っ赤な鯉が池から顔を覗かせてじっとこちらを凝視している。

 清流は迷わずそちらに近付いて行き、片膝を付いて尋ねた。

 「もしかして、紅蓮がどこにいるのか知っているのか?」

 しかし、鯉は口をパクパクと動かすだけ。

 「頼む、知っているなら教えてくれ!」

 清流は藁にもすがる思いで、鯉に懇願した。

 すると突然、こちらを見つめていた鯉が清流にくるりと背を向けて、ある方向に向かって一直線に泳ぎ始めたのだ。

 清流も立ち上がり、鯉の後を追い駆けて行く。

 鯉は陸地の近くまで近付いて行くと、そこで泳ぐのをやめた。

 楕円形になった池の周りを駆けていた清流も足を止める。

 鯉が顔を向けているのは屋敷の外の方。

 「まさか、屋敷内から出たのか?」

 驚いて尋ねる清流に鯉が振り返る。こちらに近付いて来ると、また口を開けたり閉じたりを繰り返した。

 その口の動きはまるで、「早く行け」と言っているように見える。

 清流は笑みを浮かべると、「ありがとうな!」と礼を口にして、屋敷の門の方へと急いだ。

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