第13話 送り物

 途中で少年と別れた清流は、彼が教えてくれた道を言われた通りに歩いていた。

 一日に二回も人里を訪れるのは今回が初めてである。我ながらよくやるものだと苦笑してしまう。

 ふと顔を向けた先に桃の木があることに気付いた。

 「桃の花……」

 清流は呟いた後、引き寄せられるようにその木に近付いて行く。見上げれば、夜空の闇の中に優し気な桃色が夜風に乗って揺れている。

 太く立派な幹に手を伸ばしたその時、突然身体から煙が出始めた。

 術が掛かった時と同じ様に、彼を包んでいく。

 (よかった、そろそろ術が解ける)

 煙が晴れた後、手鏡を出して自分の姿を映してみる。赤みを帯びた腕、真っ赤な目、赤黒い髪、そして人間よりもずっと長い耳。

 どれも魍魎のあるべき姿だ。

 清流は安堵あんどして鏡をしまうと、目の前の木に登り始めた。ゆっくりと桃の花に手を伸ばす。

 

 ——桃の花も梅のようにいい香りがするのかしら?――

 

 紅蓮が前に話していたことを思い出して、試しに花弁を鼻先に近づけてその香りを嗅いでみた。

 でも、やっぱり桃の甘い香りはしなかった。

 清流はそのまま瞳を閉じる。髪をかす紅蓮の後ろ姿がまぶたの裏に浮かぶ。

 今夜も歯の欠けたくしで髪を梳かしているのだろうか。

 目を開けてから、花弁を手に取り懐にしまう。

 木から降りた後、彼女のいる屋敷へと急いだ。


 ※※※


 蔵に近付いて行くと、中から紅蓮が起き上がるのが見えた。

 どうやら寝ていたようだ。

 「紅蓮、すまない。寝ていたのに」

 「ううん。それよりも、来てくれて嬉しい。今日も来ないものだとばかり思っていたから」

 紅蓮は嬉しそうに微笑んでみせた。

 眠っていたところを邪魔してしまい申し訳ないと思っていたが、彼女の笑顔を見て安心した。

 「もう来てくれなかったら、どうしようと思っていたわ」

 「昨日は来れなくて悪かった。実は、この前約束した桃の花を持って来たんだ」

 清流は懐から先程取って来た桃の花を取り出すと、彼女に渡した。

 桃の花は先がとがっているのが特徴で、色味も少しだけ濃い。

 「これが桃の花? あなたの言う通り、梅の花と形が違うのね」

 そう言うと、花弁を自分の鼻へ近づけた。

 「やっぱり香りはないのね」

 「ああ、さっき俺も紅蓮と同じことをした」

 「あら、どうして? あなたは香りがしないのを知っているのに」

 「深い意味なんかない。でも、もしあんたの言う通り甘い香りがしたらいいって思ったんだ。まあ、案の定何の香りもなかったけどな。それから、もう一つ渡したい物が」

 清流はもう一度懐に手を入れた。櫛を取り出して彼女に見せる。

 「これは?」

 半月の形をした櫛の持ち手部分には桜の花の彫刻が施されている。

 「前使っていた物は歯が取れていたから、新しいものを」

 「どうやってこれを……」

 「買ったんだ」

 「買った? お金を持っているの?」

 「持ってるよ。俺の仲間がよく人間に化けて人里へ遊びに行くんだ。金はその仲間から貰ったんだが、俺には必要ないから」

 「それで櫛を?」

 「ああ。金は俺が持っていても仕方がないから、だから紅蓮は気にしなくていい。使ってくれ」

 清流は格子の間から櫛を渡す。手に取った紅蓮は少し驚きつつも、その櫛に視線を落としたまま、

 「分かった、大切に使うわ。ありがとう」

 笑みを浮かべて礼を述べる彼女に、清流が頷く。すぐに続けて、

 「紅蓮、髪を梳かしてみてくれないか? その櫛で」

 「使うのがなんだか勿体もったいない気もするけれど」

 紅蓮のその言葉に清流は苦笑する。

 「今、使うって言ったじゃないか。それに、その櫛の方がきっと髪も梳かしやすいと思うぞ?」

 紅蓮は頷くと、清流から渡された櫛を自分の髪の生え際に持っていった。撫でるようにゆっくりと櫛の歯を毛先に向かって滑らせていく。

 彼女の長い髪に通された櫛の歯は、一度も止まることはなかった。

 「どうだ、紅蓮?」

 その様子を見守っていた清流が尋ねると、

 「とても使いやすいわ。大きさも丁度いい」

 「そうか、それならよかった」

 「ええ、本当に素敵な物を。私はいつも貰ってばかりね」

 「そんなことないさ」

 「私もいつかあなたにお返しがしたい」

 紅蓮はそう言いながら、櫛を指の腹で撫でた。真っ白な手の甲に火傷の跡が見える。

 火傷の跡を目にした時、清流の脳裏にの出来事が蘇った。

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