EX:英雄、去る

 悪夢を振り払うように、怪物は咆哮する。千を超える腕を生やし、先ほどと同じ攻撃を、先ほど以上の力と速さで行う。

『馬鹿の一つ覚えかよ!』

「それなら容易い」

 ゼンは崩壊した遊園地内を駆ける。あの炎は対象に当たるまでその他を破壊することなく弾む。その絶妙な角度とコースは厄介であり、普通の人間であれば混乱し捌き切れないところだが、対応するは人間にあらず。

『そいつぁオイラにゃ通じんぜ!』

 言動に反し凄まじい演算能力を誇るギゾー、彼が盾を操る以上エラーはない。瓦礫の突起や、歪みなどでイレギュラーしようとも、そもそもこの遊園地内ぐらいであれば彼は全て網羅できる。計算の内、である。

 これだけならば多少スペックが増そうと問題はない。

「E・オリゾンダス!」

 一撃必殺の斧を構えて、ゼンは突貫する。相手が力業で受けて来るなら二の矢で沈める。押し切れるようであれば、そこまでであろう。

『ほいほいほい、残念賞! ディフェンスに定評のあるギゾー様だぜェ』

 ギゾー操るE・アルクスの壁を越えられず、巨大な力を振りかぶったゼンを間合いにまで通してしまう怪物。振り抜くのみ、ゼンは躊躇なく全力で斧を振る。

 一撃のみに注いだ彼自身による最大火力であったが――

『「なッ⁉」』

 ゼンも、ギゾーも、驚愕する。怪物は『キャッキャ』と嗤う。罠にかかった虫を見て、無邪気に笑う子供のように。

 斧は、彼の眼前で停止していたのだ。そこにまるで見えざる壁があるような、そんな感覚にゼンは顔を歪める。これがあるから、怪物はあえて温い攻撃を連打して来ていたのだ。理性を欠いてなお、いや、欠いたからこそ、無邪気なる子どもは自由で奔放な発想が出来るのかもしれない。

『バン!』

「がっ⁉」

 千本の腕の中に隠していた、銃身と化した腕。おそらくこれはミノス・グレコが魔族として備えていた能力であろう。先ほどまでは使いこなせなかったのか、もしくは使いたくなかったのかわからないが、その威力は同じ魔力量であっても破壊力を引き上げる。そこに渾身の魔力が乗ってしまえば――

『相棒!』

 咄嗟にギゾーがE・アルクスを重ね防ごうとするが、全て貫かれゼンの片腹を吹き飛ばす。盾も鎧も容易く貫通する威力に、ゼンは顔をさらに歪める。

『あらよっと!』

 他の盾で、空中で錐揉みするゼンの身体に体当たりし、怪物の間合いから主を遠ざけるギゾー。その判断は正しく一瞬後には怪物は百本の腕を銃に変え、あらゆる方向に撃ち始める。さながらトリガーハッピーのような乱射。

 当然、遊園地はさらに破壊されていく。

「……『キッド』はこの遊園地を、傷つけたくなかったんだな」

『そういうことかい。で、今の奴はそんなの関係ねえからぶっぱなしまくっているってか。純粋無垢な子どもってのは怖いねえ。分別がねえ』

 ここまで威力が引き上がってしまうと、跳弾させるには力が足りぬのだろう。ただでさえボロボロに崩壊した遊園地が、凄まじい勢いで原形を失っていく様は、何とも言えぬ哀愁に満ちていた。

『で、あの壁はなんだ? そんな力使う魔族なんて聞いたことないぜ』

「……おそらくだが、加納恭爾の、魔族としての特性だ」

『は? そりゃねえよ。あんな強能力、使わなかった理由がねえだろ。最後の戦いであんにゃろうが手を抜いてたとでも言うのか?』

「いや……最終戦では俺もあっちも強過ぎて、能力自体に使う意味が無かったんだと思う。一定以上の力があればこじ開けられるんだろう。それなら使わなかった理由も理解はできる。攻略法も、簡単だ」

『それ以前に使わなかった理由は?』

「単純に好きじゃなかったんじゃないか、あれが。他者を拒絶する壁、あの男にとっては自分の弱さの、象徴に感じたのかもしれない。魔族に成った者なら何となくわかると思う。魔族の姿は、フィフスフィアとは別の意味で自分を映すから。強さも、弱さも、あられもない形で……俺も、魔族の姿は好きじゃないしな」

『なるへそね。だとしたら、お坊ちゃんが使わなかった理由も見当がつく、か。そりゃあ使いたくねえよな。加納恭爾の強さならともかく、弱さなんてのは』

「ああ」

『んで、どうしやすかい? あのガキんちょ、今は銃を撃ちまくるのが楽しいのか適当やってるけど、そろそろ飽きるぜ。ガキは飽き性だしな』

「力ずくでこじ開ける」

『そりゃあ名案だ』

「盾を強化する。時間を稼いでくれ……少し時間が必要だからな」

『オーライ。このギゾー様を信じな』

「いつも信じているさ」

『んひょ、照れるねこのこのぉ』

 ゼンは義手の方の袖を引き千切り、外気にさらす。

「力を借りるぞ、二人とも」

 そして、新たなるエクセリオンを二つ、生み出す。リウィウスの剣などを主に咀嚼し、ずっと考えていたのだ。彼女たちの力を再現できないか、と。

 何のためにと問われたならば、少し答え辛いのだが――

『行くぜェ! トリガーハッピーキッズめ、お仕置したらァ!』

 ギゾーが操る盾、さらなるひと工夫を加えたそれは面体がキラキラと輝いていた。水面が光を反射するかのように、鏡のように、煌めく。

『アソボ、アソボ』

 銃口が飛翔する盾に向けられた。無邪気な子どもは当然、躊躇いなく引き金を引く。破壊力は先ほどまでと同様、多少頑丈になった程度でどうにかなるものではない。だが、ギゾーは意に介すことなく射線に盾を差し込んだ。

『アソ、ボ?』

 魔力の奔流が、盾に触れた瞬間軌道を捻じ曲げられ、それを幾重にも重ねることで、撃ち放った張本人に向かって進行する。理解及ばぬ現象に、怪物は驚き首を傾げる。防ぐのではなく、弾く。それも正面からではなく、滑らせながら角度を変え、それを重ねることで相手の攻撃を跳ね返したのだ。

 まあ、当然――

『……?』

 拒絶の壁が自身の攻撃すら弾くのだが。

『エクセリオン・ミロワール。とりあえず鏡でテメエの姿でも見ておけよ。どう見てもTPOに反したツラしてるからなァ。けっけっけ』

 魔装によってアリエル・オー・ミロワールの能力を模倣したものがこの盾である。正面から受け止められぬ威力でも、やり方次第で、同じ強度でも対応することは出来る。扱うにはそれなりに脳味噌が必要だが、そこは偽造神眼、問題はない。

『アソボ?』

『ったく、頭使うぜこん畜生。よくもまあ人の身で、こんなもん使いこなしていたな、あの嬢ちゃん。このギゾー様にリスペクトさせるなんて、大したもんよ!』

 自分の思う通りにならぬ羽虫。それが頭の上をひらひらと挑発的に舞うのだ。子どもなら当然苛立つ。その手に武器があるのなら、躊躇はすまい。

『オマエ キライ』

 銃口が一斉にギゾーの操る盾に向く。

『へっへ、キッズはチョロいぜ。見とけよ、こっからがギゾー様の遅延ショーだ。目にもの見せてやる。神造兵装、舐めんなよォ!』

 水鏡が空を舞う。子どもはそれに注力する。

 その隙に、葛城善はもう一つのエクセリオンを起動していた。エクセリオン・シルバースター、能力は周囲の熱量を奪うもの。シャーロット・テーラーの能力を模したそれは、義手を媒体として造り替えた『銀の腕』に熱量を集める。

 じゅう、放熱が充分でないのか『銀の腕』と肉体の付け根が焼ける。顔をしかめるゼンであるが、それぐらいは想定済み。こんなもの、我慢出来ぬのであれば彼女に顔向けなど出来ないだろう。ボロボロになっても美しかった、焼け爛れた彼女に。

 彼女たちに恥じぬように生きる。二人が葛城善の背中を見つめていたように、彼もまた彼女たちの背中を見つめていた。

 いつか、また出会ったときに、恥じないよう――

「もっとだ、もっと、俺に、力を!」

 パキ、パキ、大気が、地面が、少しずつ、凍てつく。

 怪物がそれに気づいたのは――

『キライ キライ キラ、イ?』

 自分の眼に違和感を覚えたため。空気が乾く、違和感程度だったそれが拡大していく。こぼしたよだれが、足元でパキパキ、と音を立て凍った。

『アアアアアアアアアアアアアアア!』

 怪物はそれに気づく。もはや隠す気もなく、輝けし銀の煌めきに。周囲の気温を零度以下とするほどに、集めに集めた膨大な熱量。

『バレたぜ、相棒』

「充分だ。突貫する。援護は――」

『任された』

「頼む!」

 それを以てゼンは創造する。材料が多ければ良い物が造れるわけではないが、材料が足りねば造れない物があるのもまた事実。『銀星』の力を借りてやりたかったことはその材料集め、今できる全てを賭した最強の剣を生むための、準備である。

 熱量を集め魔力に変換する機構、これは擬似的な魔法使い状態であった。外付けの拡張パーツ、もっとブラッシュアップすれば無限に戦うことも適うだろう。熱源さえあればより強く、より永く、戦えるのだ。

『キライキライキライキライキライキライキライキラィィィイ!』

 本能的に危機を感じ取ったのか、拒絶の叫びと共に荒れ狂う砲火をゼンに向ける。しかし、それはギゾー操る水鏡の盾が軌道をそらし、着弾を防ぐ。ゼンの道を貴人の残滓が整え、麗人の手を借りて新たなる刃を生む。

 ゼンは走る。

 熱量を変換し終えた腕がさらに形を変える。その様は、どこか剣の柄を彷彿とさせた。そして、そこから刃が伸びる。虹の刃、さらにそれを覆うように真紅を帯びる。これが今の、ゼンが手段を選ばずに出せる最大火力。

 ゼンが、迫る。

『魔を滅する刃改め』

「普く万象を断つ牙」

『「エクセリオン・エクリクシス!」』

 森羅万象、全てを断ち砕く剣、その一撃は――

『アアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!』

 怪物の全ての火力を前にしても、拒絶の壁も、全て貫いて、怪物を穿つ。

「帰ってこい、『キッド』!」

『おはようの時間だぜ、キッド』

 無敵の刃を形作る真紅が消え、中身の虹が怪物の身体に融ける。

『なんだ、やめ、これは、まさか⁉』

 後戻り出来ぬはずの深過ぎる魔獣化が、少しずつ人の形を取り戻し始める。ありえない、と彼は思う。まだ、自分でも完全に魔獣化を、魔族化した者を、元に戻す術は確立していないのだ。自分では出来ないと、思ったから。

「お前が思っていることまでは、俺にも出来ん。だが、加納恭爾らを含む、その身体に流れる奴らの因子を大元であるロバート・キッド・ノイベルグから取り除くことは、出来ると思った。異質なモノを異質なまま取り込んでいたからな」

「くそ、なんで、こんな、僕の、鎧が、力が、剥がれていく」

 彼の体の中に在った悪意の王たちが、消えていく。それと同時に剥がれていくように、ボトボトと彼の身体を更生していた王を模した何かが、零れ落ちていく。

「嫌だ。もう、嫌なんだよ! わかれよ、ゼン。怖いんだ、ずっと、夢を見る。子どもたちが、僕をあの眼で、そして僕もまた、首をもぎ取られて――」

「死んだら、その夢は終わるのか? そんなにも世の中は都合が良いのか? 死んだらすべて、何もかもが消える。それは楽観視し過ぎだ、『キッド』」

「それしか、それを信じるしか、僕には――」

「逃げるなとは言わん。だが、逃げ方は考えた方が良い。俺も、かつては現実から逃げようとして、ものの見事にどん底に落ちた。救いはあったんだ。そこら中に。手を伸ばすこともなく、耳を傾けることなく、努力することもなく、安易な逃げ道に縋った。死だって、さほど変わらん。より深い後悔を招くかもしれん」

 もう彼はただの魔族でしかなかった。改造するための因子を失い、ただ一人の存在としてのみそこに在る。守ってくれる鎧は全て剥ぎ取られた。

「安易な選択は身を滅ぼす。今が最悪などと誰が決めた? 俺たちの知らぬ絶望がこの世界のどこかには広がっているかもしれない。そんな後悔だけはして欲しくないんだ。沢山傷つけて、傷ついた者たちを、俺たちは知っているはずだろ?」

「……でも」

「俺とお前は同類だ。真正面から向き合って、目を背ける力もない。どこまでも追ってくる怨嗟、後悔から逃げ切ることも出来ない。悪夢だ。夢は簡単に醒めるのに、こいつは消えてくれない。酷い話だよな」

 ゼンはかつて自分が守るべき者たちにそうしたように、泣きじゃくる子どもを抱きしめる。一人ではないと、そう言い聞かせるように。

「本当だよ。僕が何したってんだ。良いことをしようとしたんだ。彼みたいに、君みたいに! それなのに何で、何で僕らが割を食わなくちゃいけないんだよ!」

「俺もそう思う。被害者には言えないけれど、俺の内心だってそんなもんだ。醜い感情はいつまで経っても消えてくれない。格好いい完全無欠の英雄になんて成れっこない。未だに俺は逃げるために戦っている、偽善者だ」

 泣きじゃくる子どもが其処にいた。頑張って、大人のように振舞って、正義の味方を、力を持つ者の義務を果たそうとした子どもが泣く。

「これを消す方法は俺にもわからない。でも、和らげる方法は知っている。善いことをするんだ。誰に向かっても胸を張れることをして、いつか死んだ先でごめんなさいと言って、許してもらえる日を迎えるために」

「長過ぎるよ。今でさえ、心が折れそうなのに」

「大丈夫、俺が一緒だ。俺の方が間違いなく長生きだろうしな」

「…………」

「それに、お前はとても優秀だ。俺は馬鹿だからよくわからんが、きっとたくさん救えるはずだ。救えなかった人よりも、ずっと多くを」

「これから取り返しがつかないほど増えるよ」

「でも、お前はそれを必要だと思っているんだろう? それでもやった。だけど、飲み込めていないなら、その先でそれより多くを救えばいい。やり方は、むう、今思いつかないが、大丈夫だ、『キッド』なら、絶対に思いつく」

「なんだそれ。適当だな、ゼンは」

「馬鹿だからな。だけど知っている。お前たちは沢山いる人々の中で選ばれた、本当にすごい奴らだ。その眼で俺は見てきた」

「……僕は無様に負けただろ?」

「俺よりも沢山の子どもたちを救おうとした。魔族の研究も、俺たちを元に戻すための研究だって、『キッド』にしか出来ない凄いことだ。俺は誇りに思う」

 葛城善は知っている。誰かの真似であっても、彼が戦災孤児を一人でも多く救おうとして、あのワンダーランドを築いたことを。トリスメギストスの助力を得るまで自分たちの眼となり、大洋を見張っていてくれたことを。

 仲間であれば誰でも知っている。

「自分なりの方法で全力疾走して、そうしたらきっと子どもたちも許してくれるさ。そこで、胸を張ってごめんなさい、と言えるような人生を送ろう」

「……それを君は逃げると言うのかい? 本当に、馬鹿だね」

 許してくれと言うために、その資格を得るために救い続ける。真っ直ぐで、ともすれば愚直で、少し不純。だから、響く。

「みんなは許さないよ。今更僕がそっち側に行くことを」

「それは皆を侮り過ぎだ。お前たちの考えぐらいある程度把握している。敵を悪だと思っていない。演じているかどうかぐらい、わかる。そもそも純粋な悪なんてこの世に存在するとも思えない。加納恭爾ですら、俺はそうじゃなかったと思っている」

「それに関しては、僕は反対意見だね」

「ああ、それも良いさ」

「……怖いなあ」

「らしくないな、『キッド』。優秀な自分を押しつけてやればいい。利用価値があるんだぞ、と胸を張って売り込めば良いさ。昔のお前ならそうした」

「……中二病だったんだよ」

「無理して大人を気取らなくてもいい。歳を取って思ったが、思ったよりも人間は成長しないものだ。俺なんて皆よりも十年は余分に生きているのに、馬鹿なままだし察しも悪い。結局は人それぞれだと思う」

「充分成長してるよ、君は」

「そうか?」

「そうさ」

 沈黙が、崩れ去り、原形を失った夢の跡に漂う。

「君は僕に逃げるなと言って、その口で逃げろと言うんだね」

「むう、冷静に考えれば変な話だな。すまん、口下手なんだ」

「いや……君はとても優しくて、それでいてとても厳しいんだな、って思っただけだ。あーあ、こんなことになるならさ、君をあっちで気に入るんじゃなかったよ」

「そう言われると傷つくな」

「死にたがっている奴を張り倒して、生きろと言うんだ。そのぐらい我慢してよ」

「ああ、わかった」

 かつて『キッド』であった者は「ありがとう」とつぶやいてゼンから離れる。もう大丈夫だろう、とゼンも深追いはしない。

「少しだけ時間をくれないか? やるべきことを考えたい。やるからには、今度こそ間違えたくないからね。いいかな?」

「ああ、良いと思う」

 こうして、かつて子どもたちの夢の楽園であった場所と共に、『キッド』もまた終わりを迎えた。これからは偽善者と共に逃げ出す日々を始める。

 それは少しだけ胸躍る明日など――

「……え?」

 思って、いた。

『相棒、こりゃあ、どうなってんだ?』

 目の前に突如現れた魔術式、ロバートの知るそれとは違う紋様のそれは、ゼンにとって見知ったものであった。あの時、第四の男として召喚された時の紋様である。虹色のそれは世界の選定である証。

「……とうとう、か」

 ゼンは顔をしかめながら、鳴り響く悲鳴の下へ歩を進める。聞こえるのだ、莫大な悲鳴が。あの時の比ではない。いったいどれだけの悲鳴が重ねれば、こんな不協和音が生み出されるのか、想像も出来なかった。

『相棒の言っていた、俺には観測できない悲鳴、か。別の、特異点があるのか、加納恭爾みたいなやつが、あの先にいるのか、いい予感は、しねえわな』

「だが、助けを求める声がするんだ」

『なら、しゃあねえわな』

 ギゾーはお手上げです、と言った様子で口をつぐむ。

「待つんだ、ゼン!」

 だが、その道行を阻もうとする者がいた。

「少し、疑問だったことがある。僕がアールトの計画を手伝っていた際、第三段階の戦力を構築する中に、対葛城善の文字は存在しなかった。君ほどの戦力、あえて意図的に省いているのか、何か個別に考えがあるのだろう、と思っていた。けれど、君がいなくなることを知っていれば、無いのは当たり前だ」

「…………」

「嫌な予感がする。まるで全部仕組まれているみたいで……一旦保留にすべきだ。オーケンフィールドとも相談してないだろう? この世界にも君が救うべき人が、まだたくさんいる。今焦って旅立つことなんてない!」

 自分で何を言っているのか、わからない。だけど、行かせては駄目だと理性ではなく何かが、それこそ予感が告げていた。

 これが最後のような気がして――

「アストライアーの戦力は整っている。俺一人の穴はそれほど大きくない。俺にしか出来ないことは、たぶん、もうこの世界にはないよ」

「そんなことあるものか!」

 自分を救ってくれた人にそんなこと言って欲しくはない。

「違うんだ、『キッド』、いや、ロバート。俺はもう、随分保留していた。今の世界はとても居心地が良くて、家族もいて、友人だってたくさんできた。だから、必死に聞こえないふりをしていたんだ。今日まで」

 保留にしてきた理由が、自分であることを知り、ロバートは目を見開いた。

「安心しろ。昔の俺はともかく、今の俺は結構強いぞ。第二のイブリースか何か知らんが、すぐに倒して帰ってくるさ」

 確かに今の葛城善は強い。この身で存分に味わった。しかも技術の進歩と共にまだまだ彼は飛躍する余地がある。そういう能力なのだ。

「俺は必ず戻ってくる。約束だ」

「……わかった。僕から、皆に伝えておくよ」

「助かる」

 彼ならば帰ってくる。そんな確信と同時に不安もある。

「行ってくる」

『旅立ちは突然に、ってな。お土産は任せとけい!』

「あっ」

 あっさりと、ピクニックでも行くような雰囲気で葛城善とギゾーは旅立った。その瞬間、魔術式はふっと、世界から消え失せる。

「…………」

 この日を、ロバート・キッド・ノイベルグは生涯忘れることはないだろう。自分が『キッド』と決別した日であり、生き方を定めた日であり、そして――


     ○


 戦いを終えたアストライアーは皆、疲れ果て倒れ伏していた。

 そんな中、

「ん、誰かな?」

 オーケンフィールドの携帯が振動する。それを取り出し、登録のない番号であることを確認しながら、とりあえず出てみる。

「はい、ハンスですが」

『……ロバートだ』

 その名を聞いてオーケンフィールドは目を輝かせた。さすがはゼン、かつての仲間をしっかり引き上げたのだと思い、自然と笑みがこぼれてしまう。

『僕の研究施設を用意して欲しい。必ず役に立つ』

「既に手配済みだよ」

『……相変わらずだね。そういうところ、昔からあまり好きじゃない』

「あはは、俺は君のそういうところが好きだけどね」

 和やかな会話、それを見て皆相好を崩す。九鬼巴など結構バテていたのにすすすとオーケンフィールドに近寄り、聞き耳を立てようとしていた。

 ちなみに彼女の頭には葛城善しかない。

『……もう一つ、伝えておかないといけない』

「なんだい? 予算の件ならプレゼンしてもらわないと――」

『葛城善が召喚された。僕の知らない術式だ。魔族のそれとも違う。おそらく、君たちが呼ばれたものだろう』

 オーケンフィールドの顔は硬直していた。聞き耳を立てていた九鬼巴もまた、呆然自失となる。耳に入っていた声が、音が、頭に入ってこない。

「す、すまない。もう一度、聞き違えたかもしれない」

『今、この世界に葛城善は、いない。旅立ったんだ、彼の意志で』

「嘘だッ!」

 ハンス・オーケンフィールドらしくない狼狽。九鬼巴はぺたりと力無く崩れ落ちる。他の面々も異常事態に気付いたのか、近寄ってきた。

『必ず戻ってくるとは言っていた。だから――』

 言葉が耳をすべる。入ってこない。

 これは本当に現実か、と英雄は飲み込めぬ現実を前に立ち尽くす。信じられない。信じたくない。まだ、ずっと、彼は――

 アストライアーの、正義の柱が、揺らぐ。


     ○


 その様子を遠目で見つめる男は首を振る。

「彼らはどうしたのでしょうか、アルトゥー」

「ノン、私はアルだよ」

「あ、そうでした。すいません」

 申し訳なさそうに俯くアテナを見て、アルと名乗る男は苦笑する。相変わらず何でも真剣に受け止めすぎる。不器用で真面目、人の根とは中々変わらないもの。

「早く行きましょう。回収すべきものは手に入れたのでしょう?」

 不機嫌そうな顔つきのクララが彼らを急かす。

「ああ。アルフレッド大王が初代アテナに託した手記、過去を編纂するならば筆まめだった彼から拾い上げていくのが良い。何よりも、彼が歴史上初めてシュバルツバルトを能動的に操作した男だからね。見落としがあるかもしれない」

「そうですか。まあ、あまり興味ないですが」

「君はそうだろうね」

 アルは苦笑しつつ、打ちひしがれる彼らを見つめる。

「……そうか。今日だったのか」

「何がですか?」

「今はまだ知る必要のないことだ。誰にとっても、ね。彼らの健闘を祈ろう。アールトさんは手強いよ、ハンス君。彼が優しいのは能力が足りぬ者に対してだけ、足りる者相手に手抜きしてくれるほど、彼は甘くない」

 アテナは疑問符を浮かべながら歩き出したアルの背中を追う。今は自分に出来ることをやる。やるべきことは見えないけれど、やりたいことはあるのだ。

 鍵は、

「イチャついてないで、早くしてください」

「随分不機嫌だね」

「昔から人の恋路を見ると無性にむしゃくしゃするのです。何故か知りませんが」

「……良い性格ではない、かな」

 彼女である。


     ○


 暗闇の中、アールトは英雄の旅立ちを映像越しに眺め、ため息をついた。来るべき時が訪れたのだ。運命、などと陳腐な言葉を使いたくはない。

 あれは人の執念であろう。

「応えましょう。私もまた、全身全霊を賭して」

 指を鳴らすと明かりが灯る。そこにはずらりと生物を培養するポッドが並んでいた。その中には、歴史上でも名高い悪意の器が漂っている。

 これより始まるのは史上類を見ない悪逆非道。汚名は全て魔王が被ることになる。だが、彼は思うのだ。そんなもの、大したことではない、と。

 本当に苦しいのは自分などではない。

 彼はそれを知っているから。ゆえに彼は道化として舞台に上がる。

 悪を振りまき、正義の前に無様に敗れ去る、無様な道化を演ずる。只人が成した自分の想像を超える旅路に、万感の敬意を抱きながら。


     ○


 葛城善が辿り着いた場所は何とも形容しがたい書庫、のような場所であった。ここに至った途端、鳴りを潜めた悲鳴の数々。不気味な沈黙が漂う。

 銀色の、薄靄がかった世界。

 そもそも、この場に音など本当に在るのだろうか。

「ゼン⁉ 何で君が」

「なんだ、この状況はよォ」

 しかし、そこに音が生まれる。葛城善以外の存在を得たことで。

「ライブラとフェネクスか?」

『何で君がって、そりゃあこっちのセリフだぜ。どうなってんだ、これ』

 機構魔女ライブラ、不死鳥フェネクス、およそ共にいるのが想像し難い組み合わせであろう。ほとんど絡みらしい絡みなどなかったはず。そもそもフェネクスはロキが大嫌いで、その造物である彼女たちも好きではなかったと、ゼンは記憶している。そもそものそもそもだが、魔族と魔術師は大体咬み合わせが悪いものである。

「……ボクらは召喚されたんだ。ついさっきね」

「俺もそうだ。しかし、久しぶりだが変わりないようでよかった」

 久しぶり、その言葉にライブラは怪訝な顔をする。

 隣に立つフェネクスも同様に――

「あん、何言ってんだよ。仮にも魔族が一年も経ってねえのに久しぶりって、いつの間に人族みたいな時間間隔になったんだ?」

「一年だと?」

『おいおい、こっちじゃもっと経ってるぜ。どうなってんだ?』

「……時間がズレている、のか。気になるね」

「どうでもいいけど、ここで何すりゃいいんだよ。軽く見渡したけど何もねえじゃねえか。本っぽいかと思えば、触れることも出来ねえしよ」

 触れることのできない本棚。ズレている時間。奇妙な状況がゼンとギゾー、ライブラとフェネクスを覆っていた。あまりいい気分はしない。

 あまりにこの状況、彼らにとって未知が過ぎたのだ。

 そして――

「あれ、地面が、消えて――」

 彼らの足元が、消える。突如、暗闇に放り出されたゼンは右往左往するしかない。誰もが混乱していた。景色が一変したのだ。

 銀色の薄靄がかった世界から、漆黒の暗闇へと。

「宇宙空間だ。とりあえず、私に掴まっておけ」

 ぼう、炎と化して魔獣化するフェネクスの身体にゼンとライブラは捕まった。月急襲の際、少しは経験していたが、突然そのまま放り出されるのとは勝手が違う。

「宇宙、ときたか。参ったね、これは」

「……何が、どうなって」

『おいおい、やべーぞ。大獄の先にいた奴だ』

「ちっ、何て物量だ。あの星、私らのそれよりもだいぶデカいのに、今にも覆い尽くさんばかり、か。ありゃあ無理だ、人の手でどうすることも出来ない」

 ギゾーとフェネクスは天敵の存在を感知していた。巨大な星を覆う銀色の存在、気配はない。音もない。ただじわじわと侵食している。

「あの星に、人がいるのか?」

「人族は知らねえけど、知的生命体はいるだろうよ。別に珍しくもねえ。それにしても、大した文明だな、あれは。第七法使いがあの大きさの星全体を網羅してやがる。対応している戦闘員たちも、どいつもこいつも化け物ばかり」

 この中で唯一、断片的ではあるが新人類の知識を有するフェネクスだけが状況を掴んでいた。おそらく、百人を超える第七法、セブンスフィアの使用者と、それを守りながら戦う無数の、新人類に比肩する戦士たち。

 科学的な部分はともかく、オカルト面での文明レベルは新人類と遜色ない、下手をすれば上回るであろう大戦力である。

 そしてそれが、

「……窮地、なのか?」

「見ての通り、な。じきに絶滅するだろうよ。母星があそこまで覆われちまったんだ。逃げる当てがなかったか、逃げ遅れたのかは、知らねえが」

 絶滅の危機に瀕していた。

「ならば、救うまでだ!」

「馬鹿言え! 相手は『レコーズ』だぞ! あの状況になった時点で、もう詰んでんだよ。文明を捕捉されちまった時点でな」

「助けてという声が聞こえる。俺が俺であるためにも見捨てることなど出来ん!」

「……クソったれが」

 不死鳥がぐん、と加速する。凄まじい速度である。

「……本来魔族は制限が解除されねえと、紅き星を出ることなんて出来ないんだ」

『いきなりどうしたんだよ、姐さん』

「私は元々、その制限が存在しなかった。マスターもその理由は知らなかった。エラーでイレギュラー、そう言っていた。だけどな、今こうなって、嫌な予感が頭をよぎるんだ。私は、このために制限が存在しなかったんじゃないかって」

『……んな阿呆な』

「勘違いであることを祈るぜ。いいか、絶対に銀色の状態の連中には触れるなよ! 戦うとすれば星を覆う光、無を有とする魔術、第七法を超えた先でだ」

「魔術? あれは魔術なのかい?」

「ああ、そうさ。五属性と、光と闇を合わせた魔術の極致。連中に対するほぼ唯一の抵抗手段、第七法、セブンスフィア。滅ぼしたくねえなら死ぬ気で術士を守れ。あの光が失われた時、あの星が、文明が、滅ぶ時だ」

「了解した!」

『……相棒よ、ちょいと長い旅路になりそうだな』

「そうでもないさ。あれを救えば良いだけ、大したことなどない!」

『簡単に言ってくれるぜ』

「まあ、それでこそ第四の男、世界を救った英雄だよ。よし、ボクも乗った。微力ながら力を貸そうじゃないか!」

「ちっ、能天気な連中だぜ」

『おろ、姐さんはバックレるかい?』

「……乗り掛かった舟だ。まあ、諦めねえ限りは付き合ってやるよ。こちとらマスターがいなくなって無職になっちまったからな!」

 不死鳥の羽ばたき、敵が、星が近づいてくる。想像以上の規模感、とても大局を変えられるような気がしない。それでもやる。

 先ほど偉そうな口を友に叩いた。帰ると約束もした。

 ならば、やるまでのこと。

「偽善を成す!」

『おおともよ!』

 見知らぬ星の危機に偽善者が、介入した。


     ○


 それから三年、既存権力が自らの恥部をさらけ出し、アールトと言う魔王を舞台に引きずり出した。権力基盤は跡形もなく崩壊し、世界中が荒れ果て、新たなる秩序の到来を願っていた。未だ願うばかりの人類に辟易しながら道化は舞う。

 対抗するはアストライアー。世界各国の新勢力たちと力を合わせ、旧き時代の悪意を操る魔王率いるフィラントロピーと戦いを開始する。

 人類史に残る大戦の始まり、人々は正義の勝利を願う。

 されどこの戦いに、葛城善の姿は、無い。

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