最終章:光と音

 天には神、地には魔。

 一つ一つのスペックを鑑みれば幾度絶望しても足りない物量。

 神の張り付いた笑みが怖い。

 魔の獣面が、怖い。

「……俺より、優秀なのも全部、王クラスまで操り人形かよ」

 今はアストライアーに与しているヒロは顔を歪ませ、地にはびこる魔の軍勢を見つめていた。もし、自分がこちら側にいなければ、同じように操り人形として意思を奪われ、獣として行進に参加していただろう。

「哀れだな」

 赤城勇樹が無理やり引っ張ってくれなければ、アルファが戯れで自分を引っ張り回してくれなかったら、見えない景色があった。

「き、君、合図はまだかな? 我々の準備は、もう出来ているぞ」

 声のかけられた方に振り向くと、とある騎士団の団長がそこにいた。

 気が張っている、というよりも喉元まで出かかっている恐怖を押さえつけるための勇ましさ、必死に恐怖と戦っているのだろう。彼らの多くが勇ましいことを言いながら、武者震いだと笑っているが、そんなわけがないのだ。

 魔族に転生し、彼らよりずっと強い己ですら恐ろしいのだ。

 虚勢の一つでも、張りたくなってしまうのも理解できる。ここにいて、敵も味方も怪物だらけなのに共に戦おうとしている彼らは、凄い。

 ヒロは素直にそう思う。

「大丈夫っす。合図まで待っていてください」

「し、しかし、敵がかなり迫っているように見えるが」

「それが狙いっす」

「へ?」

「敵もバケモンですけど、味方も充分バケモンですんで」

 ヒロは自分を引きずり回した男、彼が主導になって戦場を組み上げていく様を見ていた。手足でしかなかった自分には見えていなかった頭の深さ。

 彼らの深淵を覗いたのだ。

「魔族どころか、人族も含めていい顔、しないだろうなぁ」

 損得の世界で生きてきた怪物。彼らは情を利用することはあれど、情に流されることはない。アカギが自分には見せなかった貌。

 スーパーマンたちの、裏の貌。

 仕掛けが、発動する。


     ○


 意思無き獣に防ぐ術はない。

 意思奪われし神に防ぐ術はない。

「……魔術式、何だ、あのカタチは? それにあれは、アルスマグナ?」

 加納恭爾が知らぬ術式が軍勢の進行途中に現れた。ロキたち魔術師たちが今、仕掛けたならば加納でも気づく。魔術の発動というのは機微無しで適うものではないから。だからこそ、あれは事前に仕掛けていたものなのだ。

 結晶体の、魔力の塊が、術式と共に煌めく。

「誘導に乗らなかったことが仇になったか。それとも、苦肉の策か」

 加納は哂う。

 術式を見て、イヴリースの演算能力が弾き出した答えに、彼は世の皮肉を、無情なる英雄よりもなお、温度の無い策を見て、哂う。

 これぞ、人の業。

「破滅の光、それも、今までとは規模の桁が違う、か」

 続々と発動し、凄まじい光と熱量、おぞましき毒が天へと上る。

 世界が、揺らぐ。


     ○


『胸糞悪ィな』

『……エルの民も、同じ貌をしている。耐えろ、イヴァン』

『ハッ、直接被害にあってたら、どうだったかな』

 この光は、ある意味で今の状況を生んだ元凶である。この光が、魔界を恐怖に陥れ、世界のカウンターである英雄を呼んでしまった。

 英雄と呼ぶにはあまりにも歪んだ男であったが。

『落ち着きなァ、ルシファー』

『……俺は、落ち着いている』

『ったく、さっき男連中でクソダサい技名叫んでいた時は元気だったのに、こんなことくらいで一々揺らいでんじゃないよ。あるもん使って何が悪い? 全力尽くして勝ちをもぎ取るための、戦いだろうに』

『わかっている!』

『なら、どんと構えてなァ』

 魔族の多くにどよめきが奔る。皆、遠目でも見ていたのだ。この光が紅き星を焼いた光景を。世代など関係ない。あれは平等に死を招く。

『……毒が来るぞ』

『それの対策をしてるから、この規模の術式組んでんのさね』

『ぬう』

 魔術師たちが防壁を張っているが、それだけで防ぎきれるほどあの毒は甘くない。ひと一人の魔力が源泉であればまだしも、大勢の魔力を結晶化させたロキ式アルスマグナを媒体に、魔力断裂を起こしたのだ。

 もはやその規模、かつてのそれとは比にならない。

『我が意、他が理、昏き廻廊より来たれ、大瀑布ガドル・ナハル』

『我が四肢捧げ、大地に根を張らん。大樹よ芽吹けロディナ・ルゴス』

 同時、二重詠唱。片方はギゾーである。

 月で水を発生させるよりも難易度は低いが、それでも本来フラミネスの専売特許であるはずの術式を容易く模倣してのけたのだ。

 これが、魔王ロキ。魔術の王、である。

『んー、オイラの詠唱も様になってんねえ』

「だーってろ、このポンコツ!」

 ロキの狙いは爆心地の地表、その環境改善にある。無理やり水で毒素を押し流すのはあくまで副次的な効果。まあ、それも効果は大きいが。

『まあ、偽造神眼の効果使わずに詠唱だけさせたのは自称魔王様が初めてだと思うぜ。相棒は絶対そんなんしないし、出来ないし』

 これで地表は何とか生物の生存可能な空間となる。

 それと時同じくして、

『ここだな』

 ベリアルが天空の空間を裂き、宇宙と繋げる。

 ゴウ、と大気がどんどん宇宙へと放出されていき、毒を含んだ大気が宇宙へと消えていく。これで大気も正常に近づける策。

 効果は直撃した彼らにのみ――

「しっかし、しれっとニュー魔光爆弾を組み込む辺り、魔王の素質があるぜ、アルファちゃんよぉ。もうちょい線が細いと思っていたけどなァ」

 ロキの言葉にアルファは苦笑した後、

「僕なんて甘い方ですよ。手元にカードがあるなら、誰だって使う。感情に対する言い訳なんて、後でいくらでも創れますから」

 真顔でそう言い切った。

 あのロキが僅かに怯むほど、そこに感情はない。削ぎ落としてある。

「……彼だって迷わない。忌まわしき、時代を、戦争を、社会構造を変えた光なれど、それでも使うさ。そこに必要があるのなら」

 この男もまた羊飼いの素養を、教育を受けた一人である。

「人間だもの、ねえ」

「ケェ」

 クーンは苦き笑みを浮かべ、パラスは顔をしかめる。

 彼らの世界にとっても、世界最大の覇国を消し飛ばした光である。思うところはあるのだ。特に、この規模になってしまえば、嫌でも想起してしまう。

 ある男が生み、ある男が遺し、託された王によって秘匿され、そして必要となる世まで繋げられた世界を滅ぼす可能性の光。

 人の業、王の業、世界の業。

 戦争を殺した最後の刃であり、戦争の構造はこれ以前とこれ以降に分けられる。誰もが笑顔ではない。この光を前にして、人は笑顔でいられない。

「……こ、これで、終わったのか?」

 誰かがそう呟いてしまうほど、その光は巨大で、おぞましかった。

 ともすれば、シンの軍勢よりも――

 ダン、何か、巨大な音が、前方より発生する。

 ダン、ダン、ダン、続く音。それが何か、本陣の皆が知るまで時間はさほど必要としなかった。眼前に広がる粉塵の奥、防壁に張り付く手、手、手、手。

 張り付いたそばから、何百人の魔術師が必死に構築している防壁がひび割れていく。ぴしり、みしり、ひび割れ、砕け始める。

「ベリアルさんはまだ回廊を塞がないでください」

『承知した』

「総員戦闘準備! ここからが、本当の戦いだ! 破滅の光が与えたダメージは残っている。命を惜しむな! 命ある限り、戦え!」

 アルファの咆哮と共に、防壁が崩れ去る。

 そこより押し寄せるは熱を帯びた大気。それをまといし、美しさを失った醜悪なる神の軍勢。美しき貌は溶け、翼はどろりと垂れ下がる。

 魔の軍勢も数を減らせど、襲い来る。彼らもまた甚大な被害を被っていた。それでも歩みを止めることはない。止めることは出来ない。

 そんな意思など、とうに奪われているから。

「く、来るぞ!」

 天地共に、シンの軍勢が押し寄せる。

 もはや、阻むものは何もない。

「ロキさん!」

「もうあの嬢ちゃんが繋げている。イケるぜ、新術式」

「よし、勝つぞ!」

 戦闘、開幕。

 エルの民が、人の弓兵が、天へと矢を射かける。ただの矢であれば効果などないが、それらは全てドゥエグの鍛冶師たちがウィルスやカナヤゴの成長を、彼らの作を見て我も我もと真似たもの。彼らには劣れども、ただの矢じりにあらず。

 制限を受けぬ神々にも、その矢は突き立つ。

 とはいえ、突き立つだけ。彼らの動きを阻むほどでは、ない。

「空は、任せなァ!」

 粉塵を引き裂き、地響きと共に飛翔するは赤き戦乙女。この日のために喰らいに喰らった質量全てを解放する。

 紅蓮が天を焼く。

 そして顕現する、紅き守護竜。敗れた者が流れつく島、最後の拠り所を近代に至るまで戦い、守り抜き、育んだ一族の末裔である。

 それが彼女のカタチ、彼女の魂に刻まれた真の姿。

 未だ、極北の地は彼女と道化の王が交戦した熱によって、灼熱の地獄絵図となっている。それほどに、彼女は強く、試練によってさらに力を増した。

『我らも参るとするか』

『そう、ですね』

 トリスメギストスの言葉に応じ、神化するエル・メール。一瞬、咎めるような視線がどこぞから飛んできたが、彼女は一笑に付す。

 月で使い切れなかった命、ここで使わずしていつ使う。

 痩せても枯れても神族の戦闘タイプエル・メールと、シン・アポロンとマスター・テリオンの直系であるトリスメギストス。

 ここで、最後の命を燃やす所存。

『さぁて、ま、とりあえずやれるとこまでやるか、ヴントゥ』

『ああ』

 竜族ふた柱もまた魔獣化、竜化して空を舞う。

 ベリアルの軍勢や、空を飛べる者は皆、天に上がった。もちろん地上戦も重要だが、戦力的には空こそが主戦場であり激戦区となる。

 弓兵たちの迎撃があっても、戦力的には差は大きい。

「対空射撃、途切らせないように! 少しでも空の負担を軽減させるんだ! 大丈夫、術式は稼働中だ、死ななければ、僕らは戦える!」

 指示を飛ばしながら、一兵卒として矢を射るアルファ。

 気づけばクーンの姿は彼のそばから消えていた。その立ち回りにアルファは微笑む。あの手の男は見えている時よりも、見えていない時の方が怖い。

 敵軍の中に紛れ、少しずつ敵を削ぎ落としていくだろう。

 加えて意思無き流れ弾は、彼の周囲に集まるように出来ている。敵軍に紛れた方が、不幸にも降り注ぐものを押し付けやすいと彼は笑っていた。

「加えて、空が翼ある者の領域とは、限らない」

 彼らが動き出したのを見て、アルファは笑みを深めた。


     ○


 紫電が空を舞う。それは加納恭爾も知っている。麒麟は空を駆けるもの、彼がそうして戦うのは当然のこと。

 想定外はもう一人、

「ふっふ、そういう、飛び方もあるのか。これは私のような老人では思いつかないな。ユニークかつアニメチック、という言い方が旧いかな?」

 アストライアー第四位『斬魔』が空を駆けるのだ。他の者は大概羽ばたいたり、飛んでいるが、彼の場合は文字通り、駆けている。

 踏み込んだ瞬間、足先に魔力を集中し、空気の壁を蹴って進んでいるのだ。笑ってしまうほどの力技。だが、だからこそ彼の動きはこの場全ての空を舞う存在とは一線を画す。急加速、急発進、急旋回、思うがまま。

 力で無理やり加速し、力で無理やり減速する。

「なるほど、彼らが四番目に彼を置いていたわけだ」

 ただの火力担当であれば、オーケンフィールドやシュウたちが『キッド』より上の序列に置くわけがない。そこには意味があったのだ。

 空を駆ける最大火力。制限がかからぬとはいえ、神の軍勢の末席である天使クラスでは歯が立たない。鎧袖一触、それなりに強い神族でもそれこそ戦闘タイプ、王クラスでもなければ対応は難しいだろう。

 その『斬魔』と互角の宗次郎。

 その二人をも単純な性能では圧倒する第二位『クイーン』。

 今思えばよくできた序列であった。

「ならば、意外と大したことないのかな、八位は」

 加納は問いかけるように彼を見た。

 未だ動きを見せぬ、男を。


     ○


 アリエルは悔しそうに笑う。自分の能力は反射と魅了、後者は彼らの意思無しでは発動すらしない。この軍勢そのものが彼女にとっては弱点を突かれているようなもの。折角反射以外も磨いたのに、この軍勢には効果が無いのだ。

 所詮、道半ば。彼女は自嘲する。

 今思えば、続けていたとしてもトップに立てたかはわからない。シャーロットは激怒するだろうが、本当のトップを見てしまうと、どうにも自信を失ってしまう。山巓を登り切った、踏破者というのはやはり格が違うのだ。

 自分たちの世代、前後十年で最も評価されていたアーティスト。

 それが彼。

「そろそろ本気出してくんないと、自信喪失した甲斐がないんだけど、ね」

 八位だったのは『轟』という人間。強靭な体を手に入れ、はしゃいでいた少年でしかない。アリエルは痛感する。

 踏破者とは、もはや人ではないのだと。


     ○


 矢を掻い潜り、天使が本陣に舞い降りる。張り付いた笑顔、血の涙を流しながら彼らは軽く人を撫で、破壊する。

 これが、制限がかからぬ魔族と対を成す種族。人を壊すのにわざわざ武器を用いる必要もなければ、息一つで五体が千切れ飛ぶ。

「あ、ああ」

 如何に精強なる空の守護者も、絶え間なく天へと向けられる矢も、全てを阻むことは出来ない。制限がかかった魔族たちならともかく、無制限の神族はどうしようもなかった。眼前に立てば、それで終わり。

 抗し得る術など、無い。

「退いてくれ、俺がやる!」

 ヒロは魔獣化し、得手とする総合格闘技のタックルで天使のひと柱を拘束、騎士たちから遠ざける。同じく制限などない者同士。

 それでもヒロは顔を歪めた。

「くそ、ニケが言っていた通り、か。世代が旧いと、戦力が桁違いだ。末端の天使でこれかよ。これじゃ、現地人はマジで歯が立たない!」

 マウントを取ってぶん殴る。シンプルかつ最も強い姿勢だが、それでも抵抗する力が伝わって、それに冷や汗をかく。

 思っていた以上に強い。これでは――

『逃げなさい、人の子よ』

「しまった!? 逃げろ、おっさん!」

 ひと柱に時間をかけ過ぎ、別の個体が彼らの前に立ち塞がったのだ。万事休す、この実力差では、おそらく今繋げている術式では間に合わない。

 確実に、殺される。

『許せ、人の子よ』

「泣けば、許されると思ってんじゃねえ!」

 全力で、殴り、砕く。

 それでも、おそらくは間に合わない。

「……か、覚悟は出来ている。死んでつわものたちの時を稼ぐのも、我々の役目だ。そうだろう、皆」

「はい!」

 血の涙を流し、それでも手を止められぬ天使が頬を膨らませる。

 その吐息一つで、彼らは死ぬ。

 だが、その吐息が彼らに向けられることはなかった。

 天使が、突如、自らの軍勢に向けて攻撃を始めたのだ。

「へ?」

 それもひと柱だけではない。一定の範囲に入った天使、全てが。

 いや、まだ侵入を許していないだけで、魔族も同様に。

「……マジか。これが、八位かよ。クソチートじゃねえか」

 命拾いし、腰砕けになりそうな騎士たちを見て、ヒロは笑う。

 突如の同士討ちが止まらない。


      ○


「……なるほど、音での感覚操作。『水鏡』も行っていたが、あれは受け手に大きく依存していた。事実、歪んだ私には通じなかったし、正常とされた価値観を持たぬドゥッカにも、使わなかったところを見ると効かないのだろう」

 本陣から頑として動かなかった理由は彼こそが最終防衛ラインであり、文字通り反撃の切り札、というところか。

「だが、君には関係ない、か。芸術というのは恐ろしい。君クラスになると、受け手をねじ伏せ、自分で塗り潰すわけだ。実に怖い、が」

 加納は自軍に指示を送る。鼓膜を、それに準じた機能を持つ部位を破壊し、機能を停止させろ、と。これで彼の術は容易く砕ける。

 確かに恐ろしいが、客観視できるポジションから操作できる今の状況ではさほど脅威ではない。加納は買い被りだったか、と自嘲するも――

「……能力が、止まらない?」

 止まらぬ能力に、加納は目を見開く。


     ○


「音楽は耳だけで聞くものじゃない。振動を五感で感じて、体感するものだ。そんな小細工、俺の前では無意味だ」

 ヴォルフガングは敵にだけ届く振動で、演奏を続けていた。彼は今、弾いていない。姿勢もピアノを弾くそれではない。

 ただ体を軽く揺すっているだけ。

 それでも何故か、皆には演奏する姿が見えてしまう。

 音として、振動として、届いていない味方にすら、そう魅せる。これが頑迷なるクラシックの世界を、序列を、しきたりを、権威をも、破壊しつくし唯一無二となった男。国境を、人種を、言語を超えて世界を魅了した男。

 ヴォルフガング・ヴァン・ローラウである。

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