第4章:天秤

 加納恭爾の底知れなさ。

 彼の成した悪意を知れば嫌でも警戒してしまう。だが、あえてオーケンフィールドはそれらを一切考慮せず、ただ敵を粉砕することだけを考えていた。

 オーケンフィールドなりの加納恭爾のプロファイリング、彼の最も恐ろしい点は悪意ではなく、それを隠す巧さにある、と考える。完全冤罪、自らが擦り付けた罪を前に彼は裁く側としてただの一度も揺らがなかった。

 だからこその完全、なのだ。

 きっと彼は死の淵に立っても本当の意味で揺らがない。完全なる感情のコントロール。表情は何の参考にもならず、それを元にした読み合いは無意味どころか悪手。そういう手合いが一番嫌う行動を取ろうと、英雄は初めから腹を括っていた。

 初志貫徹。渾身の正面突破、である。

「ハッ!」

 黄金の拳が加納恭爾を抉る。歪む顔、には目もくれずオーケンフィールドは連打を、攻撃を繋げていく。あえて相手が与えてくれる隙や視線など、本来武が拾うべき要素を捨て、己がやりたいことだけをやる。

「愚直が過ぎるよ」

 それゆえ被弾も増える。だが、その分有効打も――

「シィ!」

 増える。絶対に受けてはならぬ攻撃は虚無と次元、この二つのみ。メギドの大炎、超重は力ずくで、天候操作はそもそも問題ない。

 それ以外は全て力押し、である。

 冷徹に、無情に、ただ圧殺する。

「英雄とは思えぬほど、醒めた眼だ」

「知らなかったのか? 俺は別に善人じゃないぞ」

 相手のオドを削る作業。やるべきことをシンプルに、わざわざ複雑にする必要はない。自分が削り果てる前に、相手を削り切れば良いだけのこと。

「冷たい正義の味方もいたものだ」

 オーケンフィールドの拳が加納恭爾の頬を穿つ。

「…………」

 問答無用。幾重にも打ち付ける拳が加納恭爾を削っていく。自分が善人だとは思っていない。自分が温かな人間だとも思っていない。

 組織として不協和音を生むゼンを無理やり当て嵌めたのは己。いや、そもそもアストライアーという組織自体、彼と共に歩む理由を築くためだった。

 ハンス・オーケンフィールドはエゴイストだと彼は定義する。

 求められた役割は果たす。それは強く生まれた者の義務だから。前の世界から続く立場が、強さが彼にそう振舞わせていたが――

 本当の自分はそこにいない。本当の自分など求められていない。

 世界も人も、友ですら自分には英雄を求めている。

「……さっさと終わらせよう」

 ならば、終わらせるしかないだろう。魔王を討ち果たせば、英雄の役割は消える。そうなった先、友くらいは本当の自分を受け入れてくれたなら、充分この戦いには価値がある。彼最大のモチベーションは、そこにあった。

 だから、障害は摘む。

「……ちィ」

 加納恭爾は顔を歪める。歪めようが何をしようが、この男は勘定せぬと決めている。ならば、平静を装う意味も消えた。

(本当にこいつらは、英雄という人種は厄介極まる。同じ眼だ。辿り着いた理由は異なれど、こいつもまた目的のために手段を選ばぬ冷たさがある。彼らと比較して甘さがあると思っていたが、どうやらそれは仮面の方か!)

 地面に叩きつけられた加納恭爾が見た貌は、かつての敵が見せた悠然と野生、どちらとも異なっていた。無情、まさにその言葉が当てはまる。

(なるほど、この男、本来は例外を設けぬ性質。全てに平等。つまり、差がなく本当の意味で個に興味はない。そういう、怪物。それは、まずい――)

 味方には背中しか見えぬところで浮き彫りになった本性。

 仮面の上では世界の常識に、その場の環境に則った態度を取るのだろう。ゆえに彼は皆と同じように己を憎んでいるはずだった。その憎しみを、怒りを、上手くコントロールすれば加納恭爾ならば操ることが出来る。

 だが、この男は仮面の下で自分に、何一つ感情を持っていなかった。怒りも悲しみも、全てはフェイク。せめて自分を排除しようとする動機さえ掴めればコントロールが叶うかもしれないが、この状況でそれを語り出す男ではないだろう。

 敵も味方も、世界すら欺いた分厚い仮面の下――

 無情の求めるモノなど、加納恭爾には理解できない。何故ならば加納恭爾は対極であって、無ではないのだ。真逆だが愛はある。むしろ誰よりも深い。

 だから、この怪物を加納恭爾は理解できない。

『あれを出せ!』

 ミノスに命令を出す加納恭爾。その間もオーケンフィールドは手を休めない。しっかりとミノスに視線を向けながらも、自分の役割を全うする。

『……怖いな、あのガキ。あれを気圧すかよ。くっく、とっておきを出すぞ』

 ミノスの号令が放たれたと同時に、瓦礫と化した城の地下から地面がせり上がってくる。天高く、伸びた先には煌びやかな巨体と腐臭に満ちた巨体が、ふた柱。

『死してなお、朽ちぬ身体と絶えぬ妄執。きっちり葬ってやらないから、墓からこぼれ出ちまうんだぜ。僕たちみたいにね。なあ、カシャフ』

 先ほど遠くで立ち上った黒き十字架。何となく予感はあった。こうなる予感は。蜜月は終わり、彼女もまた終わることが出来た。それが納得のいく終わりであれば良い、とミノスは想う。自分はたぶん、そうはならぬから。

『特別製だ。宝石王ガープ! 邪欲龍王ファヴニル! 起動し蹂躙せよ!』

 合図と同時にふた柱が立ち上がる。

「……ぎゃは、ガープにファヴニルかよ。冗談じゃねえぞ」

 ロキやフラミネスが顔を歪めるほどの相手である。

 片方は突然変異で生まれた第四世代最強の魔王ガープ。その身体は如何なる攻撃も通さず、その輝きは熱線による破壊をまき散らす。

 六大魔王に戦争を仕掛け敗れたが、そもそもベレトらを突破し、ベリアルを起こすところまで行った怪物である。

 もう片方は竜族の異端児、魔界、人界、天界を問わず金銀財宝を集め、それを己が宝物庫で愛でるを至上としていた邪龍ファヴニル。腐肉と骨の痛ましき姿だが、他の魔族の肉を流用し成り立たせている。元々は第一世代でも屈指の戦力。

 どちらも本来の力は魔界でもトップクラスである。

 死体ゆえ、戦力は落ちているはずだが、問題はどこまで落ちているのか、である。彼らの仕込みである以上、制限はかかっていないと見るべき。もし、ほぼ全盛期のままであればあのふた柱だけで全滅の可能性もあった。

『…………』

 宝石王の身体が、瞬いた。色とりどりの閃光が、複雑に交差し、地面を幾重にも焼き絶つ。そこにいたはずの人ごと、一瞬で蒸発していく。

「……噂にはしていましたが、厄介なものですね」

 エル・メールは圧倒的な破壊を前に顔を歪めていた。

 意思無き破壊とてこれほどの規模、これほどの威力なれば趨勢が覆る可能性はある。実際に、あれの登場で皆が一斉にオーケンフィールドへ視線を集めた。

 一部を除いて――

「さあ、全滅の危機だ。どうする、英雄?」

 加納恭爾の切り札なのだろう。確かに制限なしで暴れていい存在ではない。意思無き欠陥を差し引いてなお、その戦力は他の王クラスとは一線を画していた。

 確かにオーケンフィールドが必要な局面、かもしれない。

 だが――

「すまない。今日は初志貫徹と、決めている」

 オーケンフィールド、加納恭爾への攻撃の手を緩めず。全滅の危機であっても相手の策には乗らない。これは最終決戦なのだ。そうすると決めている。

 だから、全力で、最速で、最善手を指し続けるのみ。

「…………」

 無言に、無情に、ただただ相手を削る。

「……ッ」

 そしてそれは加納恭爾にとって最悪の展開でもあった。彼らが掲げた正義、今まではその甘さをついてきたが、最後の最後でオーケンフィールドはそれを捨てた。いや、最初から個人としては持っていなかったのだろう。

 皆が望むから、皆が抱くから、彼の仮面には正義があっただけ。

 義務感の極致により培われた社交性の底、そこには第一、第二の彼らをも上回る非情の眼があった。必要ならば、それを求められるのであれば、オーケンフィールドは私心を交えず断ち切ることが出来る。そもそも私心がないから。

 万人にとっての正義の味方とは、こういうカタチなのかもしれない。

 真の平等に熱はなく、偏りなき博愛に真の愛は宿らない。

 しかして、世界が求めるままに、請われるままに振舞う彼は強い。迷いがないから。こういう局面で迷わないから、加納恭爾の策が通じない。

「そろそろ、か?」

「ハンス・オーケンフィールドォ!」

 無情の眼が魔王の底を見抜く。アルスマグナから無尽蔵に近い魔力の供給はあれど、その流量には限界点があるのだろう。弁を設け、ラインを繋いでいる以上、物理的にそれは避けられない。魔術でもそれは同じ。

 ロキの講義を経て彼らはそれを理解した。どちらも様々な制約、制限、ルールの上で成り立っているモノであり、何でもできる夢の技術ではない。

 アルスマグナが別の場所に煌めいた時は狂いかけた計算だったが、破壊を繰り返すことで供給速度を理解し、それを上回る攻撃を続けている。

 繰り返せば相手の魔力は底をつく。シンプルな答え、である。

「世界が、人が、友が勝利を求めた。ならば、俺が成そう。誰がために!」

 正義は揺るがない。バイアス無き純粋の拳が悪意を打ち砕く。

 それに――

『ォォォォオオオ』

 邪欲龍王ファヴニルの口から放たれた漆黒の炎。相手の身体に粘りつく呪われし炎が敵味方問わず戦場を飲み込みかけた瞬間、ある一転が輝いた。

 まるでスポットライトに照らされるように彼女は立つ。

「さあ、スーパースタァのお通りだ」

 熱量を奪い、炎を無力化する。通常の方法では消え辛いはずの呪われし炎も、アプローチを変えればそこらの炎と変わらぬモノと化す。

 その分輝きを強める『銀星』シャーロット・テーラー。

『…………』

 宝石王の熱線も奪い尽くさんとするも、さすがにそれはキャパシティオーバー。「うげ」と言葉をこぼすが、幾重にも拡散する熱線の前に『水鏡』が生まれる。それは跳ね返り、複雑に絡み合う別の熱線と相殺し、消えた。

「意思がないんじゃこの程度が限界だけど、ね」

 跳ね返りの計算、決して容易いものではないが、それをさらりとこなして見せるのが『水鏡』アリエル・オー・ミロワールである。

 上位勢と変わらぬ新たなる力。もはや局面においては上位をも凌駕する新星たち。分散する大星を除けば味方陣営で最多撃破数を誇る九鬼巴は黙して雑魚狩りに徹する。怪物には怪物をぶつければいい。自分はやれることをやるだけ。

 戦うべき相手と戦えば、良い。

「代わります、『斬魔』さん」

 滑るように気配なく現れた九鬼巴。全身血まみれだが全て返り血である。

「助かるでござる!」

 オーケンフィールドを除けば最大火力である彼の本領はあちらでこそ発揮される。ならば、やるべきことは彼の代わりに対峙する敵と戦うこと。

『強いな、女』

「ただの非力な乙女です」

 言葉は通じずとも、言わんとすることはわかる。『斬魔』を止めていた彼は前の世界で相当鳴らした手合いなのだろう。九鬼巴の持つ武人としての感覚が反応している。それに彼女は微笑み、しっかりと『眼』を合わせた。

『そして、嫌な眼だな、女ァ!』

「武人なれば」

 勝機は、筋は、視える。

 送り出された『斬魔』を阻まんとする者たち。しっかりと指示はされているのだろう。彼の火力は敵味方共に周知されている。

 つまり、阻む者がいると同時に――

「この俺がシャドーやってやるんだ、決めろよ!」

「ふんがー!」

 その道を切り開かんと潰れ役を買って出る者もいる。第七位『ヒートヘイズ』、第八位『轟』、そして、もう一人、いや、もうひと柱――

『邪魔だ、チビ共!』

 巨人ネフィリム。彼女らの協力で大きく道は開けた。

 その瞬間――

「牙凸ゼロスタァァァイル!」

 お得意の物真似がさく裂した。冗談みたいなネーミングセンスだが、その一撃は伊達にあらず。ゼンの秀作『グレートオークカタナ弐式改』、丈夫さを極めた逸品に製作者は言った。これで思いっ切り振っても壊れない、と。

 使用者は笑った。嗚呼、彼は理解してくれている、と。

 彼の、『斬魔』の、キング・スレードの能力は『壱点突破』。肉体活性系だがシュウらと異なるのは持続力が低いという点だった。それに比例して一瞬の爆発力は桁違い。身体はもちろん、名剣でさえ耐えられないほどに。

 だが、とうとう『斬魔』の本気に足る最高耐久の武器を得た。

 今こそ見せよう、あまねく全てを穿つ刃を。

『……!?』

 先ほどから如何なる攻撃をも寄せ付けず、揺らぐことなかった宝石王が吹き飛ぶ。敵方全てが驚愕し、味方は笑みを深めた。

「むう、まだ加減しているでござるなァ」

『…………』

 宝石王の身体に、確かに刻まれた傷。ベリアルの軍勢との攻防、ベリアル寝起きの癇癪を二度経てなお、傷つかなかった身体に今、刻まれる。

「ここは拙者が任された!」

 どん、と仁王立つはアストライアー最高火力、第四位『斬魔』。

「ゼロは、本当はゼロ距離用」

 ぼそりとつぶやく第八位『轟』だったが誰も聞いていなかった。

 もうひと柱、ファヴニル相手は――

『最終決戦なれば、私も出し惜しみなしで参りましょう』

 神化したエル・メール・インゴッ『ド』が立つ。エルの民必死の制止も聞かず、彼女もまたこの地で命を賭す覚悟を決めていた。

『光よ、在れ』

 邪欲龍王を穿つは光の剣。三つの翼をはためかせる彼女の美しさはこの世のものとは思えぬほどであった。歪な枚数の翅が少し、痛々しいだけで。

「ババアが、無理してんじゃねえよ!」

 ロキが歯を食いしばる姿を、かすかに一瞥し、彼女は微笑み、舞った。

 かつて大戦の折り、幾度か交戦した相手。

『セラス・アクティース』

 美しさの極致、光の剣が生み出される。

『アペイロン』

 それが無数に、巨大なる円を描きながら発生していく。その数、千を超える。

『ォォォォォオオオオ!』

 自身の身体を貫いた光の刃を無造作に噛み砕き、ファヴニルもまた羽ばたき、宙を舞った。相手を敵と認識したのだ。意思無きとて身体が覚えている。

 仇敵たる神族のことは。他のは薄過ぎて感知できなかったが。

『情報じゃ神化出来なかったはずなのに。キョウジもいい加減だなぁ』

 ミノスはため息をつく。とうの昔に羽ばたけなくなった遺物。その翼は千切れ、地に堕ちたがゆえに生き延びた唯一の戦闘タイプ。そう聞いていたのに。

 最後の羽ばたきだけは取っていたのだ。来るべき時のために。

『こりゃあ、負けるねえ』

 ミノスは微笑んだ。どうやら、終わりはこちらに傾いた。切り札に応じる手を持っていたこと、何よりもオーケンフィールドが一切迷ってくれない。そうなってから地力も跳ね上がっている。互いに伸びたが、此度は正義が勝った。

 搦め手を使い過ぎたのだ。せめてどちらか一方でも残していれば、まだ勝ち目はあっただろうに。闇の王は命令無しで戻ってこない。道化の王はここまで帰って来ない以上、何らかの妨害にあっていると見るべきだろう。

『さあて、次はどう生きようかなぁ。ねえ、カシャフ』

 終わりを望む男は静かに敗北を受け入れた。

 あとは加納恭爾がしびれを切らし、アルスマグナのシステムを自ら破壊し、意識ごと全てを失って抗う道のみ。そうなれば勝ち目はあるだろうが。

 そうなれば彼らは全魔力を用いて彼を魔界へと送り込むだろう。今回彼らがここまできた術式を用いれば不可能ではない。そしてそうなればオリジナルに近づいただけの意思無き獣など即座に六大魔王が滅ぼしてしまうだろう。

 やはり、詰みである。

 ニケが戻ってくれば戦力的には盛り返せるが、ミノスはその思考にも首を振った。今のオーケンフィールドはニケを無視するだろう。そんな状況でニケ自身動くわけがないのだ。彼なら待つ。加納恭爾を殺した後、縛りのなくなった万全のオーケンフィールドと戦うことを望むだろう。ならばやはり、詰みである。

 首輪を使う手もあるが、それをしてしまえばニケはただ強いだけの獣と堕す。今のオーケンフィールドをどうこうできる戦力ではなくなってしまう。

 状況は終局に向かう。ミノスの望んだ、終わりへと――

 自らの破滅が迫る。

 さらに正義の刃がこちらに現れた。

『おいおい相棒! ありゃあ懐かしのガープだぜ!』

「……覚えていない」

『かー、最後までそれかーい!』

 トリスメギストスがさらなる正義を連れてきた。ここにきてウコバクを撃破したゼンや元人間の魔族組、神族組が合流してしまえば――

『勝てるぜ相棒!』

「ああ、勝てる!」

 天秤は完全に正義の側に傾く。今更、何をしても覆らぬ趨勢。

「ゼン、待っていろ。すぐに終わらせる!」

 オーケンフィールドの言葉に、拳にわずかな熱がこもる。

「……なる、ほど」

 それを加納恭爾は見逃さなかった。ゼン、葛城善、ギィ、幾度も自らの思惑を阻んだ弱き特異点。無情の英雄、その例外を、知る。

 ならば――

『虚無よ、奔れ!』

 加納恭爾は偽造虚無を発生させる。当然、オーケンフィールドは回避行動を取るが、狙いはそこに在らず。狙うは一点、例外を穿つ。

「しまっ――」

 オーケンフィールドが気付いた時にはもう遅い。虚無の重さはゼロ。ゆえに速さは人の目視できる速度ではないのだ。

『「アルクス」』

 されど、その虚無は容易く七つ牙の盾に阻まれた。そうしてくるのが分かっていたかのような展開速度。ゼンもまた加納恭爾という男を、シン・イヴリースという存在を理解していたのだ。いく度も煮え湯を飲まされたから。

 その痛みが、傷が、彼から緩みを奪っていた。

 トリスメギストスの背から睥睨する眼。明らかに雰囲気を身にまといつつある。すでにその他の枠は大きく超えていた。彼もまた英雄なのだ。

 かつてはそうでなかったと言うだけで。

「シン・イヴリィースゥ!」

「ご、ガァ!?」

 さらに火力増す無情の英雄の拳。彼の逆鱗を刺激してしまったのだろう。だが、加納恭爾は苦境に笑う。揺らぎがないのであればどうしようもなかった。

 しかし、例外はある。ゆえに揺らす手は、ある。

『ミノォス!』

『はいはい、やりますよ』

 端正なる美少年ミノスは魔獣化する。牛の王、怪力にて敵を圧殺するだけの王であったが、それは自身の得物を排した姿でしかなかった。

 本当の彼はかつて己が扱っていた商品を五体で再現し、怪力を生んでいたオドを用い大火力で遠距離から制圧するスタイルこそが真骨頂。

『総員、トリスメギストスの背、バトルオークを狙え!』

 ミノス自身の火砲が合図。シン・イヴリースの命令にはゆるゆるとしか従わぬ王たちも彼の命令には比較的素直に従う。それは生前の立場の差。

 あくまで個人の範疇であった悪の加納恭爾と裏の王として君臨したミノスの差。地力で勝ろうともその恐れは消えない。彼の逸話を知るものであればなおのこと。

 全軍が現れたゼンを、狙う。

「…………」

 加納恭爾はその間、オーケンフィールドを凝視していた。今までどれだけ味方に窮地が訪れようと小動もしなかった男が、またも揺れた。

 加納の笑みが深まる。やはり、と確信を得た。

『おいおい相棒。めっちゃ狙われてんじゃん』

「参ったな」

「ご安心を、我が主」

「我らがおりますれば」

 ゼイオン、アルフォンスがゼンの前に立つ。死してなお、このポジションは譲らぬと両名は覚悟していた。己の弱さに絶望し、神の力に縋った自分たちに彼は奇跡を見せてくれた。生きる意味を得た。生きて成す役割を得た。

 ミノスの火砲を打ち払う二人。

『『死守』』

 希望はある。それは彼らの背に。神化した彼らは空戦を得手とする魔族と交戦を開始する。弱き心を補う強き身体を得た。ようやく、戦える。

「あっしも守りやしょうか。どうやらそれが、一番あの王にとって都合が悪いんでしょうや。宗さんをお願いしやす」

 硬き鱗を身にまとう漆黒の竜、竜二もまたゼンを守るように立ち回る。

『へっへ、いい感じだなぁ』

「ああ、助かる」

 ゼンもまたトリスメギストスの背からグロムによる援護を敢行。強き王を狙い、弱体化を狙っていく。これが一番大局における効果が高いと踏んだのだ。

 彼もまた歴戦の戦士。場数は嘘をつかない。

「弾幕形成! 敵をトリスメギストスに近づけるなァ!」

 アルファの指揮により地上の弓隊もまた空中に狙いを絞る。

 それに地上も――

『狙うぜェ!』

「させんよ」

 遠距離戦を得手とする魔族を狙うは英雄の血統、レイン・フー・ストライダー。絶望した理由はゼイオンらと同じ。希望などないと思ったから。自分が希望に足る存在ではないと思ったから。だから剣を置いた。

 しかし、あの日希望を見た。虹の剣を友が、レイが振るう様を見た。

 希望はある。ならば、戦える。ならば、命を賭せる。

 友もまた同じ判断をするだろう。

「数を振ると造りの甘さが露呈する、か」

 一撃必殺、レインと同様に地上からの砲撃手を止めんと敵を切り捨てていくウィルス。まだまだあの日振った希望の剣には届いていない。

 嫉妬と感謝、入り混じったそれもまた剣の肥やし。

「ぶはは、私も空を舞いたいものだなぁ」

 同じく地上部隊のカナヤゴもまた自身専用のエクセリオン(仮)と名付けたハンマーを振るっていた。エクセリオンが剣である必要などない、とは彼女の言。

 ウィルスなど目から鱗が落ちたと感銘していた。

『ハッハ、嬢ちゃんたちも守ってくれているぜ』

 ガープやファヴニルの攻撃にもさらされたが、それは『水鏡』と『銀星』の能力が完全にシャットアウトした。アリエルは「ふん」と鼻を鳴らし、シャーロットはウィンクを一つ送ってくる。らしい反応にゼンは笑みが零れてしまう。

「俺も貢献せねば、なァ」

『先輩だしな!』

「その通り、だ!」

 大星の動きもまた誰に言われることなく遠距離戦を可能な敵に絞られていた。まさに『破軍』の名に相応しい制圧力である。

 いや、彼だけでなく全軍がそう展開し始めていた。

 その影響力を見て、加納恭爾は眼を見開く。彼の登場から明らかに全軍の士気が跳ね上がった。末端までもが引き上げられている。

『……おいおい』

 ミノスもまた愕然としていた。揺らぎ、と加納恭爾は見た。オーケンフィールドのわずかな逡巡を見てミノスも同じ意見だった。

 だが、違うのだ。あれは揺らぎどころではなく――

『この僕が、見立てを誤るかよ。善悪問わずこれだけの怪物どもが集った場を、あれが征すのか? ハハ、何て時代だ。僕が滅ぼされるわけだぜ』

 あれが、本当の中心。加納恭爾は、シンの軍勢は見誤っていた。

「今更気付いたか。もう遅い、シン・イヴリース!」

 無情だった男は加納に拳を打ち付ける。削られるオド。

 もはや一刻の猶予もない。

 理性を捨て、力を増す。究極の一に、オリジナルになってしまえば、この窮地は切り抜けられるはず。捨ててしまえばしばらく取り戻すことは出来ない。

 千年か、万年か、長き時を要するはず。それでも滅ぶよりはマシ。

 シンの知識によって宇宙には相当数の知的生命体が存在するとわかっている。ならば、絶望を観測する相手には事欠かぬということ。

 今は、まだ――

「お前の負けだ!」

「……負けても、死なねば、立つ瀬は――」

 加納恭爾は覚悟していた。負けてもいつかに繋げるための選択肢を取る覚悟を決めていた。その先に絶望があると信じて、自身を満たす未来があると信じて。

 ほんの僅かな差であった。本当に、あまりにも幸運な――

『あ、ああああああああ、ああああああああ!』

「な、んだ!? いきなり!」

『相棒!?』

 そしてアストライアー側にとってはあまりにも不幸な、邂逅。

「え?」

 闇の王が突如城の上空に現れたのだ。そして、そこにトリスメギストスが、つまりゼンたちが飲み込まれる。底なしの深淵、爆発的に広がっていく闇。

 怒れる闇の王。まるで痛みに悶えるような仕草。かの存在を知るものであれば信じ難い反応である。痛みなどあの生き物には無縁なはず。

 だが、それは確かに現れ、ゼンたちを飲み込んだ。

 そしてその瞬間を――

『虚無よ』

 絶対に揺らがぬ、初志貫徹を決めていたはずの、無情の英雄の揺らぎを加納恭爾は見逃さなかった。狙いすました虚無が、オーケンフィールドを、

「あっ」

 削る。右肩が、消失する。綺麗な断面である。心臓は其処に血管があると信じて血を送り込むし、脳は痛みを伝達しない。

 血が、噴き出る。誰もが呆然と闇の空を、そして地上の鮮血を、見つめていた。希望は確かに在ったのだ。あと一歩、ほんのわずかな、掛け違い。

 天秤が、一気に傾いた。

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