第4章:幸か不幸か
ニケは最強である。間違いなく人類最強の器であった。
それでも無敵ではない。フルアーマーライブラの主砲、三位一体のそれがとうとう最強を穿つ。拳ごと、半身を吹き飛ばしていた。いや、吹き飛ばすなどという生易しい光景ではないだろう。焼き、溶かす、ねじ潰す。
「かっか!」
それでも最強は笑った。相手にオーケンフィールドがいないのであれば、自分に比肩する存在などいない。だから笑う。
それは何処か空虚で――
「借りは、返す主義なんだよ!」
「あン?」
隙だらけであった。それでも対武人相手では隙にならぬのがこの男。身体が、遺伝子が勝手に反応してしまう。それゆえの最強であった。
技の積み重ねを、血の積み重ねで吹き飛ばしてきた。
それがニケ。ゆえに――
『コレで、御相子、ダ!』
「なッ!?」
藤原宗次郎、麒麟児の剣は通った。身体が反応しないのだ。彼の中に積み重ねが存在しないから。生まれた時から寝たきりで、立つことすら出来なかった男である。立つ、歩く、その時点でどこか常人とはズレていた。
剣はもっと、ズレている。そのズレが、最強を断つ。
『麒麟連牙!』
ニケはすぐさま相手の特性を理解した。肉で、骨で、この男は体を動かしていない。常に脱力状態、まるで死人のように揺蕩う。その代わり、彼はオドで全身を稼働させていた。ごく自然に、それが当たり前だと言わんばかりに――
「テメエ!」
このマッチアップを推したのは大星とアカギ、どちらもニケと交戦し武によって敗れている。先祖代々、あらゆる地方の武と戦ってきた血の記憶を相手取るのであれば、積み重ねの外で戦うしかないというのが彼らの結論。
その理想に最も近いのが歩行の段階から積み重ねの外であった男、この天才であった。『斬魔』が何故か呼吸が合わぬでござる、との引っ掛かりから判明した天才が天才たる所以。持たざる者ゆえに辿り着いた天衣無縫の剣である。
最強と正面から打ち合える有資格者。
「小癪だな、オイ!」
『マダ、マダァ!』
「つーかテメエの相方ぶっ飛ばしたのはシンの方だろうがァ!」
『ドッチ モ オナジダ!』
「……かっか、話にならねえ!」
未だ再生叶わぬ半身。片腕を欠いた状態でこの天才と打ち合うことにニケは笑みを隠し切れない。再生にオドを使えばその分スペック差が縮まる。何よりも藤原宗次郎、元より強かったが今となっては完全なる王クラスに至っていた。
オーケンフィールドと戦う前、前菜にしてはボリューミーである。
それに――
『我も、おるぞ』
神化したトリスメギストスもまた宗次郎と挟む形でニケに向かう。
陽炎による牽制と、この中では抜けた火力による援護。
『カッカッカッカッカ!』
さしものニケも魔獣化する。しかし、臆する二人ではない。アルスマグナを破壊するまでの足止め、必ず役目を果たして見せるとトリスは意気込む。
それが残りわずかの、己が命の使い道である、と。
そう、この戦いの戦術目標はアルスマグナの破壊である。
残りの戦力はそれの破壊を担当する。対するはニケの率いる軍勢、彼の力を信奉する者たちである。当然のように力強きものばかり。
何よりもアルスマグナを抱くように守るは毒の王カシャフ。
毒竜である彼女が空中で守るのだ。先ほど先制攻撃で狙わなかった理由。翼竜である彼女の機動力を一発で仕留めるのは難しいという判断であった。
『アラ、残念、ネェ』
彼女は白木繭子を、蜂須賀サヤを一瞥に残念そうに微笑んだ。
「……逃げ場なし。やるしかないわね」
「……う、うん」
見たところニケの部下は男性中心。スペック的に篭絡できるかは微妙なところであるが、弱い相手であれば何とかなるかもしれない。
二人は同時に魔獣化する。蜂須賀サヤは女性的な要素を残しながらもスズメバチのようなフォルムに変態し、白木繭子は白き粒子をまき散らす蝶のようなカタチと成る。力強き蜂須賀と儚げな白木は対極の雰囲気を有していた。
『気を付けろ、相手はサヤとマユ、男殺しだ!』
『おいで』
白木繭子は両手を広げる。それは弱々しく守ってあげたくなるような――
『気をしっかり持て! 操られるぞ!』
そんな毒を秘めていた。
「露払いは我らが」
「お任せあれ」
同時に神化するアルフォンスとゼイオン。炎の騎士と黒鉄の騎士がゼンの前に立つ。彼らが前衛として後衛のゼンを守る。
今回のゼンは後衛を、弓手を担当する。フルアーマーライブラ第二形態、トリスメギストスではなく今度はゼンと融合する。己が魔力炉とゼンの魔力炉、ニコイチのエンジンを搭載した重火力形態である。
男性陣からは絶大な支持があったが、女性陣の反応はシブい。
「やりやすかい」
漢気メーター前回の竜二が拳を打ち付ける。自分の主である宗次郎があれだけ楽しんでいるのだ。誰にも邪魔はさせぬと意気込む。
「なら、おいちゃんもやろうかねぇ」
アカギの眼はただ一人を見つめていた。自分を憎む目、あの時から変わらぬそれを見て彼は微笑んだ。間違っていない。その眼を己に向けるのは何一つ間違っていない。だが、それを世界に向けるのは違うのだ。
その先には希望はないから。だから男はもう一度仮面を被る。
ロディナの職人に仕立てて貰ったおろしたてのスーツ。ドゥエグに造りを教えて造ってもらった時計。革細工師に頭を下げて作ってもらった革靴。どれもかつて身に着けていた本物には及ばないが、ある意味今の自分には合っている。
不精髭も剃った、髪も整えた。笑顔も完璧。
「よォし、前衛は俺たちに任せとけ!」
後衛はゼン、ライブラ、マユ。前衛はアルフォンス、ゼイオン、竜二、アカギ、サヤ、そして雄特化にして最高クラスの魅了によってマユが操った敵の軍勢。
舞台は整った。
『フフ、ヤンチャ、ネェ』
毒竜の咆哮と共に、アルスマグナを巡り正義と悪が衝突する。
○
戦いが始まった。
正義と悪の最終決戦が。これは正義側が仕掛けた戦であり、悪にとってこのタイミングは完全に想定外であった。だからこそ、このような掛け違いが発生してしまうことも、ゼロではない。運が良いのか悪いのかは、わからないが。
ロディナを、大樹を闇が覆っていた。先ほど希望を見送ったばかりの人々が闇に飲まれかけていたのだ。大質量交換術式を行った魔術師たちが休憩しているタイミングで現れ、抵抗することも出来ずに闇が全てを覆った。
「どう、なっている!?」
「くそ、足が、動かない」
「何なんだ、あの怪物。見たことない、攻撃も、手応えがない!」
人々を守ろうとするも、攻撃が一切通らないのだ。闇の中心で静かにたたずむ夜色の女性。その漆黒の髪より広がるは底知れぬ深淵。
「こ、こいつが、闇の王、か!?」
誰も見たことのなかった、名のみ伝わる王が、道化の王と並び称される怪物が、全ての戦力を吐き出したタイミングで現れたのだ。
こんな不運はあるだろうか。
否――
「これは、あちらにとっては幸運だ!」
こんな幸運があっていいのだろうか、とロディナを守護する者たちは哂う。不幸のどん底、自分たちでは守れないかもしれない。
それでもたった一国の血で、戦局を左右しかねない怪物を留めおけるのだ。こんな幸運はないと彼らは自分たちを奮い立たせていた。
「絶望するな、ロディナの民よ! 我らの血は、必ず希望へと結びつく!」
膨張し続ける希望に対する牽制、世界に絶望をひと垂らしするだけの行程であったが、それでもタイミングによってはこうも絶望が深まる。
英雄不在のロディナ、大局にとってそれは幸か不幸か――
「みんな、私の後ろから出ちゃ駄目ですよ」
フランセットは土と水の複合魔術、大魔術師フラミネスから教わった木の魔術によって結界を張っていた。とはいえ、対するは得体のしれぬ闇。何をしても防ぎきれず、どろりと零れだすそれを防ぎきる術はなかった。
「……ゼン、様。私が、必ず、子供たちを」
フランセット自体それなりに才能のある術師である。だが、フラミネスらのような規格外とは比べるまでもなく劣る。こうして子供たちを守ることにすら力が足りない。彼女は想い人の困ったような笑顔を思い浮かべ、内心謝罪する。
弱くてごめんなさい。守れなくて、ごめんなさい、と。
主無き大樹、すでに半分近くが闇に飲まれていた。
『あ、ああ、あああああ、ああ』
都市一つ、どこを見るでもなく、何かを感じいることもなく、夜色の女性は飲み込んでいく。底なし、奪い、喰らい、飲み込む。
深き闇、魔界にもないほどの異様。
『……随分と不可思議な存在だねえ。長く生きているつもりだが、貴様のような小娘を見たのは初めてだよ。食いでのあるナリしてるじャァないかい』
それは巨大な狼であった。銀色の体毛は他を寄せ付けぬほど鋭く、その眼光は慈しみなど皆無の野生そのもの。巨大な牙の合間から零れ落ちる涎は肉を、骨を溶かす。魔狼の中でもひと際大きく強い、第一世代の魔族。
『あ、ああ?』
『目も視えず、匂いも嗅がず、音も聞かず、当然のように味覚も、触覚もなしかい。生きているのか死んでいるのか、くっく、つまらない生き物だよ』
『ああ?』
魔狼の女王『大喰らい』フェン。
『まああれだねぇ。御馳走様って話さね』
数多の魔族を喰らい尽くし、生態系をも破壊した食物連鎖の王。
『あ?』
ひと呑み。ぺろりと闇の根源である女性を平らげる。
根源を喪失した闇がロディナから消え失せる。何が起きたか分からぬ者たちが呆然としている中、フェンは笑みを浮かべて彼方へと跳び出す。
より遠くへ、少しでも遠くへ――
腹の中で蠢く闇から子供たちを引き離す。
『このあたしが、ねえ。くっく、焼きが回ったもんだよ』
女王の口の端から、血と闇が、零れる。
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