第4章:絶望と希望

 信じ難い、と『ヒートヘイズ』、ネフィリムは愕然としていた。

 アストライアーが繋げた三大戦力、戦い方次第では王クラス上位層とも渡り合えるトリスメギストスにエルの民唯一戦闘タイプの神族として君臨するエル・メール、そこに魔術を極めたロキが加わったのだ。圧倒するはず、どれだけ低く見積もっても拮抗するはず、だった。しかし、現実はあまりにも想定とかけ離れる。

『あ、ありえぬ』

 神化したトリスメギストスが膝をつく。

「……ッ!」

 ロキは空中で磔、どうやっているのかナイフで四肢を貫かれ、固定されている。動かそうにも固定されている原理がわからないため対処不能。

 しかも気道もナイフで貫かれ、発声も出来ない。

 四肢、口、ここまで潰されると魔術の発動自体が封じられてしまう。

 そして、エル・メールは――

「ぐ、が」

 首を掴まれ、死の淵に瀕していた。

 質量を、命を削ることで光速を得た彼女の姿を捉えることなど、神族や魔族でもごく一握りの王しか出来ないのに、道化の王は難なく成し遂げた。

 あまりにも強過ぎる。異常なほどに。

「ハァ、何と言うか、退屈、デスねェ」

 先ほどまで『ヒートヘイズ』と渡り合っていた時にはあれほどヒートアップしていた道化の王クラウン。かの眼に今は熱などない。

 ただただつまらない、という感情だけがそこに在った。

「……折角熱くなっていた『ヒートヘイズ』さんも冷めてしまったようですし、こうなってしまうと興ざめ以外の何物でもない、デスねェ」

 トリスメギストスらとて侮っていたわけではない。ニケと戦い敗れた経験は今もなお深く刻まれている。それでも戦えたのだ。ニケ相手であれば勝てずともそれなりに渡り合うことは出来ていた。トリスメギストスだけで、である。

 それが三人揃ってこのザマ、普段泰然としているトリスメギストスの表情が、今ばかりは困惑に染まり歪んでいた。道化の王がニケよりも強い、であればわからなくはないのだが、問題はそれほど強く感じないこと。

 対峙し、戦い、圧倒されてなお劣っているとは思えないのだ。

「俺との戦いは手、抜いていたのか?」

 『ヒートヘイズ』の問いにクラウンは笑みをもって振り向く。

 その手にエル・メールの命を握りながら。

「いいえ。本気でしたよォ。まあ、私の能力『サーカス』は封じさせていただきましたが。それもこちら都合。出来ることが、カードが多すぎても捌くのに迷うだけ。ゆえに縛っただけのこと。彼ら相手は脳みそを使う必要がないので優雅に切らせて頂きましたが、正直私にとっては貴方一人の方が厄介でした、はい」

「……それは、いくらなんでも」

「無自覚、デスねえ。確かに個々のスペックはそこそこ強いです。それは認めましょう。ですが、御三方とも根本的に頭が悪いので無意味なんですよ、その力」

 道化の王がエル・メールを放る。無造作に、もう戦えぬだろうと投げ捨てた。

 その瞬間、大きく息を吸い込み、エル・メールが光と化す。

 道化の王の死角に現れ、その剣を――

「こうやって私があえて作った死角に喰いつく浅ましさ」

 小ぶりなナイフ一つで止める。まるで初めからそこに剣が来ると分かっていたかのように。視線を向ける気もない。答え合わせに興味はないと目が語る。

「しかも、光速で動けるのは質量を減じた状態でのみ。攻撃に転じる際は実体化が必須。つまり、移動を省略しただけと考えればただの見た目が若いだけのババア。しかもォ、見た目に反して随分、軽い質量デスねェ。もう、限界じゃないですかァ?」

「……くっ」

「ああ、殺しませんのでその辺で草でも毟っていてください。私、基本的にこの世界の、いや、この時代の人間ですか、興味ないんですよ。人でも興味ないんですから、魔族や神族なんて論外。私、結構こだわり派なので、犬畜生を殺して愉悦を感じられるほど安上がりではないんデス。悪食のアンサール君とは大違い」

 その眼に偽りはない。そして、実際彼は金の森への急襲でこちら側の人を殺していなかった。ただの一人も、である。つまり、あのボールは全てランダムなようでミリ単位まで操作され、英雄を狙い撃ちしていた、ということ。

「真理の探究者、でしたか? ギャグですねェ。そこのジジイは人交じりゆえ、無い頭を使うから嵌めやすくて仕方なかった、デスよ。下手なフェイントは進行方向を教えるだけ。貴方も視えていたでしょう? 陽炎に混じった本体がありありと」

 『ヒートヘイズ』は口をつぐむ。確かにあの幻影はない方が良かったとすら思えた。フェイントの達人である彼からすると、覚えたてのそれを披露するジュニアの技と変わりない。そしてその感覚は積み上げた先に彼らがいるから。

「前情報からするとロキは厄介かと思いましたが、所詮はケダモノとのハーフ、しかも不老不死なんてクソみたいな能力を持っているせいで、攻撃への反応が薄すぎる。受けてもいい立ち回り、超萎えます。彼は魔術への執着だけ、デス」

 ロキとて侮った立ち回りをしていたわけではない。相手が正体不明の能力を持つことは理解していた。だから普段に比べると慎重な立ち回りを心掛けているはず、だった。だが、クラウンはその警戒込みで薄いと断じていたのだ。

 根本的な、この世界における警戒の、思考のレベル。

 その差が今の状況。戦力で勝ってなお圧倒される、光景。

 本来は自分たちが、英雄がそうせねばならぬ光景であろう。知恵を絞って巨悪を打倒する。それが普遍的なシナリオである。

 ただ、それはオールドタイプの物語なのだ。

 今は悪だって考える。知恵の絞り合いとなってしまう。それが現代的な物語であり、そうせねば読者は浸れない。それがリアリティ、当たり前、そこを外せばただの害獣駆除、陳腐な物語となり下がる。

 今回は新たな物語だった。ただ、それだけのこと。

「我らが王、キョウジ・カノウは絶望の供給源である貴方方に過剰な希望を抱かせてしまう。そこだけは少し不満デス。まあ、あの御方なりの考えがあるのでしょうが。ふふ、今までの王は考え無しだったでしょう。それはスペックが蟻と象の差ほどにあったから、デス。たまに蟻が群れを成してジャイアントキリングすることはあれど、象は普段蟻など歯牙にかけない。ですが、スペックが近づけば、話は別」

 道化の王はシルクハットをくるくると玩ぶ。

「悪者ってのは下っ端こそ馬鹿ですが、上のレベルは凄まじくキレる。お勉強ができるとかではなく、人物金を集める才能とでも言いましょうか。私たちシンの軍勢も同じデス。上は頭を使わせるとそれなり、デスよ。もちろん、英雄たちほど生産的ではないかもしれませんが、悪知恵はそれなりに働くのです」

「……何の話だ」

「ここから先、楽に勝たせてはあげませんよ、というお話デス。私、キョウジ・カノウ唯一のフォロワーたる道化の王はもちろん、残っているカードは代えの利かない強力なものばかり。貴方方がよく知る王クラスも、今残っているのは本領を秘めている者ばかりと思ってください。環境が歪めたノーマルというのも味があるものデスよォ。まあ、悪としてはまがい物でしかありませんが、ねェ」

 ある程度の戦力差であれば知恵や工夫で覆せる。今までアストライアーがやってきた戦い方であったが、忘れてはならない、彼らもまた積み重ねの先からやってきた知恵を持つ者たちなのだ。知恵の種類は違うかもしれないが――

 その力は決して表のそれに劣るものではない。

「ああ、そうでした。一つだけ、聞いておかねばいけませんでしたねェ。何故、この森が襲われると思いましたかァ? 私相手ゆえ備えは不足でしたが、他の王であれば丁度いい塩梅、でしょう。圧倒し過ぎず、常の備えとしてもおかしくは、ない程度。ですが、それは重要拠点とこちらが認識していた場合、デスよねェ」

 そう、この金の森はアストライアー側にとっては重要拠点だが、この情報は固く閉ざされシンの軍勢に届いていないはずなのだ。人も多くない辺鄙な森をわざわざ王クラスが急襲する理由はない。だから備えは丁度良く見えてやはり過剰なのだ。

 道化の王は『ヒートヘイズ』の眼を覗き込む。

 仄かな殺意を添えて――

「悪いが情報は与えられてねえよ。俺はここを守れ、そう言われただけだ」

「……でしょうね」

 その殺意は霧散し、消える。

「他の御三方は、果たしてどうでしょうか」

「同じじゃよ。わしらも知らぬ。ここに向かったのは自発的、じゃがな。まさかこうも容易くあしらわれるとは思わなかったが、末恐ろしいものじゃな」

「……なるほど。こちらも詐称は、無し、と。ではロキだけ回収していきます。正直、私としては必要ないと思うのですが、王の命ゆえに致し方なく、デス」

「そうは、させねえよ」

「一度熱の切れた貴方を殺すのはもったいないのですが、邪魔をするなら殺すまでデス。非常にもったいない。ああ、貴方も彼のように回収してしまいましょう」

 勝てぬと理解してなお、『ヒートヘイズ』は炎を立ち上らせる。格付けは先ほど済んでいる。現状では絶好調でも届かない。

 それでも時間は稼げる。そして、ロキ以外の二人が生き残ることは確定。ならばここで戦って情報を引き出せば、彼ら伝いでアストライアーに届く。

 ならばこの決死、無駄にはならない。

「私も、やる」

 急造だが身体がくっついたネフィリムが立ち上がる。回復力はさすがの王クラスだが、明らかに限界に達していた。立つので精一杯だろう。

「おい、無理してんじゃねえよ」

「そっくりそのまま返すぜ。球蹴り野郎」

「……ハッ」

 少しでも多くを引き出して見せる。熱は再加熱する。

 だが、臨戦態勢を取った二人に対しクラウンは何の構えも取らなかった。それどころか先ほどの発言から押し黙っている。挑発的な言葉もなく、まるで意識がそこにいないかのように。いったい彼の眼は虚空に何を見ているのか。

「……馬鹿な。この短時間で、ありえない数を。いや、それどころか、どこにいる!? どこに消えた!? 私の『サーカス』から脱出できるはずが」

 そして、いきなり道化の王の貌が歪む。今まで見せなかった慌てぶり。

 その理由は――

『ようやく――』

「――姿を見せたな!」

 道化の王クラウンの身体から剣が伸びる。その刃金は夜色、つまりは宇宙の色。道化の王の観測という傷を介してとはいえ、その刃は異世界を貫いて見せた。

「……ぐ、はっ」

 その剣がつけた傷より、夥しい質量が、臓物が溢れ出てくる。吐き気を催すほどの物量で溢れ出す魔獣の死骸。己の中から溢れ出るそれを見て、クラウンは顔を歪めた。討ち果たした数ではない。異世界を断つ剣を生んだことでもない。

 『腐臭』に満ちた死骸の中で機を窺っていたゼンの知恵、クラウンが最も評価するそれを彼が持つ意味、それに道化の王は仮面を剥がされたのだ。

 ただのノーマル、彼は転生ガチャで生まれ変わった全てを覚えている。もちろん自分が関わった、司会をしたものに限るが、ゼンの時も彼は司会であった。ゼンのことも覚えている。何の特徴もない平凡なノーマル、それだけのはず。

 それが今、今まで誰にも攻略を許さなかった己の能力と、何よりも道化を化かして見せたのだ。大した工夫ではないが、右も左もわからない彼らが容易く取れる手かというとそうでもないだろう。待つことが唯一の活路と身を潜めた。

 単純だが効果的。戦闘力、知恵、実行力、ここまで初見と隔たりがある人間は初めての経験であった。己が興味を持つほどの人間、ありえない成長。

 人間はそう容易く変わらない。だが、同時に彼は知っている。王クラスの中にも環境が歪め、高めた怪物がいることを。ゆえにありえないわけではない。人は変わる可能性を秘めている。されど、ここまでのは初めての事。

 今回は始まりを知るがゆえ、道化の王は見誤った。

「ここは、金の森なのか?」

『景色は違うがな。間違いなく元居た場所だ。おいおい、時間の流れまで違うのかよ、あのサーカス地獄はよォ』

 『腐臭』漂うそれらは死後、数日は経過している。

 彼らはそんな中を待ち切った。そして、道化の王を崩した。

「終わりだ、道化!」

『七つ牙が二ァつ!』

「『イグニス・グランツ!』」

 傷口を引き裂いて現れたゼンが炎雷を撃ち放つ。

「なる、ほど、危険デス、ねェ!」

 魔を滅し削ぐ弓剣が超至近距離で放たれた。

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