第3章:幻想の舞台

 バレエとは歌詞、台詞を伴わない舞台舞踊である。

 言葉ではなく踊りで、音楽と共に世界を表現していく。そのための研鑽は並々ならぬものであり、魂と肉体を削ってダンサーたちは舞台に生きる。

 彼女もまた、本来はそう生きていた。

 そのために必要な才能は全て与えられ、次代の、時代のスタァになるはずだったのだ。もう一つの側面、貴族の令嬢という立場さえなければ。

 彼女は何処までも飛躍していたはずである。

 今、この時、顔を上げただけで、腕が舞っただけで、物語り始めた刹那のように。神と成った者よ、刮目せよ。彼女は創造主である。

 水鏡の先で幻想を紡ぐ者である。

「なんだ、これは――」

 貴族の令嬢、アリエル・オー・ミロワールの能力は反射であった。相手の全てを跳ね返す強靭な意志、高貴なる魂を現したモノ。

 それは強い能力であった。応用する頭脳さえあればトップクラスの能力であり、彼女はそれも兼ね備えていた。十分強かったのだ。

 だが、今と比較するとまさに天地の差。

 水鏡の先の自分を取り戻し、完全なるオドのコントロールを得た彼女が紡ぎ出す幻想は、其処に何もなくても世界を創り出す。物語るのだ。

「…………」

 存在しないはずの幻想を。

『一球入魂ッ!』

 エーリス・オリュンピアの頭上に星が煌めく。

 伸びやかな美しい軌跡、その入り口で爆ぜ散る神であったモノ。突然の破壊に困惑しつつも再生し、一旦距離を取ろうとするが、神なるモノは水鏡に映ったまま。つまり、彼女の射程に、領域に踏み込んでしまっていたのだ。

 もう、遅い。

「ぐ、がァァアアアアア!?」

 彼女のプリエ一つで水鏡が揺れる。そして、雷が落ちる。その破壊力は王クラスとも遜色ない魔人タケフジのモノと似ていた。彼らが知る由もないことだが。

『乾坤一擲ッ!』

 虹がかかる。彼女の世界に囚われた哀れなるモノ。

 何かの指が浮かぶ。悪魔的な笑みをもって、嗚呼、彼女は悪意をも表現するのだ。あの日、あの時受けた絶望すら糧に、彼女は舞う。

『ハナマルをあげましょう!』

 悪意の閃光が、神なるモノを穿つ。

 その一挙手一投足に蒼き光をたたえながら――

「理解、不能」

 とてつもなく美しく、気高く、触れ難き存在。

 人はそれを神と呼ぶ。

「あら、ごめんあそばせ」

 かつて世界中に愛された妖精のような子役がいた。まさにスーパースタァ、世界中が彼女に見惚れ、彼女に恋をした。だが、その彼女は劣化コピーだったのだ。少なくともその時の演技にオリジナルを超える要素はなかった。

 バレエ関係者しか知らない奇跡、バレエ関係者が口をつぐまねばならなかった大スポンサーの娘、知っているのに語ってはならない、真の天才。

 奇跡が其処にいた。

「……何という、美しさか」

『バケモン カヨ』

 その攻防、とも呼べぬ一方的な蹂躙を見て神に成った者たちは己の立ち位置を知る。それは味方も同じこと。

「運が良かったですね。私相手なら戦いにはなりますから」

「……なんだ、あれは」

「アストライアーの英雄、『水鏡』のアリエル・オー・ミロワール、です」

 信じ難い景色。圧巻の即興劇。

「あはァ、全然勝ち方わからねー!」

「アストライアー、これほどか。あのレインが折れるわけだ」

 紫電と真炎の衝突すらかすむ、至高の芸術。

 水鏡に彼女は自分の幻想を、ありもしないはずの世界を描くことが出来る。それに魅せられたなら、水鏡の中に囚われたもの同じ。

 その中で起きることが対象者の認識によって現実となる。

 つまり、発動条件は――

「なるほど、理解した」

 雷速、よくよく縁のある速度域でアリエルは背後を取られる。

 背後を取ったのはアニセト。

「要は、見なければその能力は発現しない」

「あら、ご明察」

 英雄の末裔、レインですら知覚し切れなかった神の雷。ただの雷速ではない。ルシファーと渡り合っていたユピテル族最強のゼウスであればその雷は物理を超え光速に達していたと言われている。つまりこの雷、見た目はただの雷だが――

「速い、わね!」

 速度域は可変、最低値で雷速、である。

「人の身で良く見切る」

「そりゃあどうも!」

 目を瞑った状態のアニセト。だが、その状態であっても問題なくアリエルを捕捉してくる。やはり、モノが違うのだろう。他の連中とは。

 種族のスペックが違い過ぎる。

 それでもアリエルは優雅に捌く。水鏡の強能力、反射は健在。

「……なるほど、人為的な英雄召喚を侮っていたようだ」

 跳ね返し、相手の懐に踏み込むアリエル。アニセトは攻撃せずに後退する。知恵無き獣であればここで攻撃し、反射の餌食と成っただろう。

 だが、あいにく彼は大魔術師、ロジカルな存在である。

「先日の魔族も含めて、貴様が一番強いな」

「さあ、あいつはもっと強いかもよ?」

 どんな状況でも冷静に対処するのが魔術師の資質。

「であっても、問題はない。すでに準備は最終段階に入った」

「……どういう――」

 アリエルとアニセトの間に騎士が一人割り込んできた。筋骨隆々、鋼の体躯に烈気を帯びた視線、その鋭さは今のアリエルに警戒を抱かせるほど。

「アニセト殿、ここは私が承る」

「任せた。我が騎士ゼイオン」

 外の世界から来たアリエルでも知っている高名な騎士、ゼイオン。エーリス・オリュンピアで長く一位を張ってきた男である。その剣は金剛を断ち、その体躯は如何なる攻撃も通さない。攻防一体の力を持つ男。

 アニセトは彼に任せ、この場を後にする。何かがあるのだ。

 アリエルらよりも優先すべき何かが。

「派手にやり過ぎたな。初見ならば、私は死んでいた」

 当然の如く、ゼイオンもまた目を瞑っている。それでも問題はないのだろう。それが神に成ったことによる副産物か、元々の能力なのかはわからないが。

「アニセトの目的は何?」

「答えると思うか?」

「そう、答えたくなるようにしてあげる」

「ふ、総員、アニセト様より命令が下った! この娘以外は卿らに任せる。この娘の死角にて戦え。さすれば問題は、ない」

 元一位、最も強い男の言葉で留まっていた者たちも動き出す。

「悪いが付き合ってもらうぞ、英雄に魔族、この機を置いて他にはない!」

「トモエ、死なない程度に頑張りなさい!」

「さす、がに、厳しいです、ね!」

 消耗させたひと柱と万全のふた柱に囲まれながら、敵の技を見切り立ち回る九鬼巴は尋常ならざる武人であるが、さすがに状況は劣勢。

 魔族組も麒麟男は面白がっているが、竜人男はふた柱に成った時点で敗色濃厚。スペックの開きが大き過ぎた。このままでは勝てない。

「……ちィ。他の奴も初見で間引いておけばよかった」

「よそ見は厳禁だ」

「しっかり見えてるっての!」

 黒鉄の騎士と謳われた男、その能力を向上させる形で与えられた種族がグラディ族、全身を至高の盾とする権能を持ち、神族でも指折りの防御力を誇る。

 その堅牢なる体躯は己の全力攻撃すら寄せ付けぬ防御力を持つ。

 つまり――

「効かんな」

「ちィ」

 カウンターを主体とするアリエルにとっては厄介な相手であった。

 目算の狂いは早々にアニセトによってアリエルの能力がバレてしまったこと。この地に来てから今まで見せたことはなく、即座に理解できるモノでもないと踏んでいたが、それが少々甘い目算であったと彼女らは知る。

 腐っても大魔術師、その英知は決して侮ってはいけなかった。

 見抜かれてさえいなければ、すでに決着がついていたほど今の彼女能力は初見相手には強い。それこそキッドクラスの厄介さはある。

「まあ、奥の手はあるけどね」

「戯言を」

「さて、どうかしら」

 矢が、ゼイオンの眼を穿つ。

「ぬう!」

 さすがのグラディ族でも目までは硬質化出来ない。ゼイオン以外にも矢は敵めがけて飛翔しており、間隙を突いたそれは全弾命中、相手を混乱させる。

「弓兵を仕込んでいたか。それも『複数』」

「あと、私も――」

「ぬうッ!」

 カウンターなど怖くないとばかりに飛び込んできたアリエルを迎え撃つゼイオン。片目が塞がっているからと言って、好機と見た愚か者を殺そうと全力で攻撃する。それが反射されると同時に別方向から攻撃を加え、沈める。

 その狙いは――

「づ、ォ!?」

 アリエルのカウンターにて肩を穿たれ、潰えた。

「……素晴らしいな。受けた力を絞って、威力を増した、か」

「そ、ただ返すだけが能じゃないってね」

 シュバルツバルトの訓練で得たオドのコントロール、それによって得た反射の応用。本領発揮できずとも、踊らずとも彼女は英雄なのだ。

 謎の弓兵による援護もある。状況はまだ、イーブン。


     〇


『……おや、私を裏切るのかな、同志アニセト君』

 暗闇の中、アニセトは顔を歪めて映像の先で嗤う男を睨んでいた。

「初めからそのつもりだ。わしは貴様を知るために転生の術式を与えた。十分理解した。シュバルツバルトとの接続も断たれた今、究極の安寧を得たわしならば貴様にも届こう。いや、超えるはずだ。計算上、な」

 パチパチパチ、嘲るような拍手にもアニセトは笑みで応える。

 エーリス・オリュンピアだけでは足りないが、より多くを喰らえば充分届く計算。そして彼らは己を邪魔できない。シン・イヴリースかニケ、どちらかのカードを自分に切った時点で、オーケンフィールドは必ず動き出すだろう。

 英雄と魔王、睨み合いの中、生まれ出でる第三極。

 もはやシン・イヴリースでも止められない。

『君は私に似ている。安寧を求めるところがそっくりだ。私もそのために究極を求めているし、私たちは友達になれると思ったんだが、残念だよ』

「わしを討つか、シン・イヴリース」

『その必要が生まれたなら、そうしよう』

 映像が消える。最後のセリフ、まるでそうはならないと言っているような、そういう色を帯びていた。許せぬ、とアニセトは顔を歪ませる。

 端正な神の顔が歪むと、こうも醜いのか、と第三者がいればそう思っただろう。

「見ておれ。我が秘術、完成によって全てがわしにひれ伏すのだ。たとえ、貴様が生きておってもな、第一の男――」

 自らの挫折、その名をつぶやきアニセトは最終段階に入る。

 世界を見よ、これが大魔術師の総決算である。

 この虚構の都市、真の意味を今――

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