第2章:獣対獣
スラッシュは彼女を守りながらすたこらさっさと逃げ出していた。火は自分たちの種族の天敵であり、マグマだろうが火山弾だろうが直撃すなわち死、と言うこの状況は中々笑えないものがある。
「スラッシュ、急がないと陛下に殺されちゃうよ!」
「畜生、あんにゃろう俺の獲物なのに横取りするつもりだ!」
「……どーせこの状況で私たち戦えないじゃん」
「俺ならやれるもん!」
「もんって……きっしょ」
「くっそー!」
飛んできた火山弾を赤い拳で吹き飛ばしながら彼女ともどもベリアルの『癇癪』、その安全圏を目指す。とにかく距離を取ることが重要なのだ。スライム種である彼らにとってはすでにこの状況が地獄であるが、このままなら間違いなくこれ『以上』に成る。
六大魔王ベリアルが暴れ始めた以上、此処から先の展開など魔族であれば誰でも理解している。だからこそ、さほど火に弱くない、むしろ強い連中でさえ全力で逃げている。逃げなかったのは、側近の化け物どもか本物の馬鹿。
「あいつ、ガープの眼を取りに戻ると思うか?」
「どっちの刺客かにもよるじゃん?」
「……今のイヴリースは知らねえけど、収集王絡みなら――」
「這ってでも取りに行かないと死んじゃうからねー」
「こうなってなきゃ俺が張り込んでたのによー」
スラッシュは悔しそうに嘆く。あの男の戦い方は、およそ魔族らしい戦い方ではなかった。生まれ持った特性、牙や爪で戦うのが魔族ならば、彼の趣向を凝らした戦い方は魔族とはかけ離れたものである。それが人間の特性なのだろう。
そして、彼ら若い世代、五百年も生きていない若手の中でも異端中の異端、種族の特性と関係の無い闘争を求めるスラッシュやアバドンのような変わり者にとって、あのオーク種の男、イヴリース製のヒト交じりは大いに興味をそそった。
特にアバドンの執着はかなりのものである。
(俺は種族の壁を超えるために特性を捻じ曲げたが、あいつの場合は素の方『が』クソ強いのにやたらこだわりが強いからな。龍族の戯れを取り入れたり……特にロキが人間引き連れてきてからだな、あいつの『病気』が酷くなったのは)
変わった戦闘スタイル。多くには理解されないそれを求めているアバドンにとって、ゼンの戦い方は刺さるものがあったはず。他の連中はオドの内蔵量やスペックを知って興味を失ったが、変わり者のアバドンだけは『先』を知りたがっていた。
リベンジに燃えるスラッシュにとっても興味深い、おそらく状況に観念して出さなかった底。アバドンはそれを知るためにあの場に残った。
(いくらお前でも、其処に残るのはやばいだろうに。それほどに人族の戦いが見たいか。テリオンの成りそこない、造物主が生み出した最後の出来損ない共の――)
スラッシュの思考は其処で途切れた。
否、巨大な火山弾を前に思考している暇が無くなったといってもいい。自身の天敵である火、それを捻じ曲げるために得た力成れば――
「スラッシュ! 逃げて!」
「馬鹿言え! 其処から逃げねえために俺はァ!」
その拳、巨大な炎をも打ち砕く。
「……すっご」
「惚れ直したろ?」
「……この前ダサかったから差し引きしてイーブンで」
「よっしゃ、こっから点数稼ぎまくるぜ!」
不可能を可能にした雄、スラッシュは自身の主であるベリアルから距離を取る。
自分たちが目指す先、本当の怪物はあの御膝元で悠然と『待って』いる。今の自分にはその力はない。あれは所詮『癇癪』。いち魔族にとっては致命であっても、本当の地獄は此処からなのだ。其処に参加するためには、あの『癇癪』をへらへらと受け流しつつ、あの場に止まってもさして問題無いほどの力が必要。
まだまだ遠い。世代の、力の壁。
「お前はそいつに、か弱き人族に、何を見た?」
スラッシュの視線の先、大噴火とも呼べる噴煙の中、アバドンは待っているのだろう。必ず来ると信じて。あの男であればきっと――
○
「とにかく逃げるぞ!」
「あっ、火が消えたにゃ!」
地面の隆起によって生まれた小山を飛散した瓦礫に乗って滑り落ち、そこかしこで隆起やひび割れ、マグマが噴き上がる地獄をゼンたちは駆け抜ける。ガープの眼は絶対に入手せねば自分が死ぬ、のだがこの状況では逃げの一手しかない。
とりあえず距離を取って、そこから再起を計る。出来ないことは出来ない。色々あって死にたい気持ちはある。死の可能性があるから躊躇出来るほど上等な生物ではないと本人は思っている。だが、だからと言って死の確率が十割という場面で突っ込む蛮勇は出来ない。自殺する勇気があるならとっくにやっている。
それが出来ない弱さ、そして今、あそこに戻るのは自殺と同じだとゼンは判断する。微塵も可能性がない。ギゾーもまたその判断に賛同を示した。
あの場に居て良いのは王クラスだけ。
裏を返せば、今あそこに残っているのは王クラスのみなのだろう。ベリアルの側近、自分の対処如きでは動く気配すら見せなかった本当の怪物たち。
それ以外で――
「何だよ、逃げてたのかー。読み外したぜ」
残るという選択肢を取った怪物、まさに怪物なのだろう。王クラスに片足、否、もしかすると本当の実力は其処に類する可能性を持った一匹の魔族。あの時、ゼンは見せたがあの男は魔獣化の欠片すら見せなかった。
魔界の純魔族が、あそこまでヒトに近い形態で過ごしていることは稀である。元が人族であるからこそ、自分たちは名残でヒトに限りなく近い形態に落ち着いているが、彼らの多くはそうしない。そうする意味も意義も無い。
だが――
「逃げるなよ、戦おうぜェ」
こいつは違う。おそらく、あの場に残り続け、必ずガープの眼を、その死骸を求めてやってくることを信じて待ち続けた愚者。死骸ごと噴火に巻き込まれ、先ほどまでの彼らと同じように宙に放り出されながら、無傷でここまで吹き飛んできた怪物。
ガープの死骸の上に腕を組んで仁王立つアバドン。ゼンを見つけ、にんまりと微笑む。
「そォら、プレゼントだ!」
死骸を蹴り、ゼンの目の前にガープの死骸が到達する。まるで壁のように、地面に突き立った死骸。噴火に巻き込まれ、マグマに晒されながらも当然のように無傷な身体は死してなお王クラスの怪物性を保ち続けている。
そして飛来する、もう一匹の怪物。
「さァ、やろうぜ。俺に勝ったら、こいつをやるよ。眼が欲しいんだろ?」
死骸から抜かれた眼を片手で玩びながら、アバドンは無造作にゼンの前へ飛び込んでくる。凄まじい加速、まるで人間のような無駄のない合理的な動き。
「勝ったら、なァ!」
轟、命を打ち砕く拳がゼンの頬を撫でた。ギリギリの回避、その先にはガープの死骸が。拳が産んだ破壊の余波で吹き飛ぶ死骸。その表皮にはかすかに傷が生まれていた。この状況で無傷だった王の死骸に傷を生む一撃。
「ふっ、ふっ、ふっ」
ゼンは一瞬で臨戦態勢を取る。魔獣化、魔力炉の開放、魔獣の鎧を顕現させ、機動力を追加。ここまでの段取りを、本能が用意させた。この怪物を相手取るならば、これだけの備えをすべき。最低限、これだけしてもなお、まるで足りないのだから。
「良い反応だ。そのスペックを跳ね上がる奴どうやってんだ? ヒト族ってのは皆そうやってんのか? ま、でも、あんまり興味ねえや。俺はさ、ただ強い奴には興味ねえんだ。自分が変わり者だって自覚はある。でも、仕方ねえだろ?」
独特の構え。だらりと脱力した所作。其処からまるで『祈る』ような所作で掌底を繰り出す。何故『祈り』だと思ったのか、ゼンにもそれは分からない。何故か知っている気がしたのだ。それが何故かも、どこの何を見てそう思ったのかも――
「が、はッ!?」
『相棒!?』
何も無いはずの虚空に撃ち抜かれた衝撃で吹き飛んでしまったが。
「な、んだ、これは」
『あんにゃろう。何で龍舞を使う!? あれは龍族が造物主たちを想ってヒトの形態でやる儀式の一部だろうが! それを何で別の種族が』
血を吐くゼン。ギゾーの叫びは一欠けらすら理解の外。
「良く知ってんな目ん玉。面白いだろ、これ? 前、ガープの野郎に起こされた時にさ、陛下を止めに来たルシファーの部下、ドラクルだったか? あの龍族が戦闘で使ってたんだ。かっけえから、目に焼き付けて、何十年もかけてようやくモノにした」
アバドンは獰猛に笑う。
「マナに干渉してよ、オド以外で攻撃するなんて、魔法使いみてーだろ?」
『……そりゃあそうだろ』
「爆速で回した思考を垂れ流すな、ギゾー。わかるようにするか、黙っていろ。頭が焼き付きそうだ。端的に痛い」
『わりい。さすがにただの魔族が、龍族以外がこんなもん使うなんて聞いたことなくてよ。オドじゃなくてマナを利用するってのは、ある種族の特権なんだ。個を超えた先、蒼の彼岸を越え、全、世界と化した種族。『魔法使い』だけ。例外は、そもそも種族として特別な役割を振られている龍族だけ、なはずなんだが』
「意味が分からん」
『とりあえず気にすんな。完全な『魔法使い』なら世界全てが敵と成るが、龍舞ならあくまで手足の延長線に世界があるだけ。オドみたいに個人の色がねえから見えねえが、分かってりゃかわすのは難しくねえよ』
「だから意味が分からんと――」
「そろそろ続きだ。いくぜェ」
『良いから集中! くっそ長い見えない手足があると思えばいい!』
「なるほど。ごふっ!?」
『ほんっとセンスねえな相棒!』
かわせず、またも直撃を喰らうゼン。鎧が一撃で大きく砕け、剥がれ落ちる。
「想定より長かった」
『いや、当たってんだから長さじゃなくて上下左右のズレだろ』
「……次はかわす」
習うより慣れろ、当たりながら、それでもゼンは適応し始める。
(……何なんだこいつ。技術がすげえのは認める。でも、普通に戦った方が間違いなくつええだろ。少なくとも一撃の威力はクソほど落ちてやがる。こんだけ貰ってんだ。鎧アリでも、普通の攻撃ならとっくに相棒は死んでるっつーの)
速さも、威力も犠牲にして、それでもなおアバドンは面白い技を使う。楽しそうに、踊るように、舞うが如く、祈るような所作で世界に干渉し、その一撃は虚空を操作し、ゼンに向かう。龍族にとっても児戯、儀式の一部でしかない舞い。
「……どうなっている?」
「どうしたァ!?」
「手を抜いているのか?」
「……お前もそう見える口か? ヒト族なんだ、分かってくれると思ったんだがな。綺麗な動きだろ? カッコいいと思うだろ? だからそうする。俺はこいつが好きだ。こういうかっちょいい動きが好きなんだよ。だからやる。それだけだ!」
「……悪いが、俺には理解できない」
「残念だ。しっかし、お前レベルにすぐ対応されたんじゃ、俺の弱さが悪いよな。納得させたきゃ本気の俺を超えるぐらいじゃないと意味がない。分かるぜ、手を抜くな、そう言いたいんだろ? ったく、好きだよな、俺たち」
「……すまん、意味が分からないんだが」
「照れるなよ、戦い、好きだろ?」
ゼンは内心「いや、全然好きじゃないけど」と思った。顔にも戸惑いが出ている。しかし、良くも悪くもアバドンは人を見ていなかった。否、魔族ならば当然戦いは好きなのだ。たまにニャ族のような例外はいるが、それでも戦ってこその魔族。
殺し合って、生き残ってこその魔族。其処に疑問などありえない。
「んじゃ、良い頃合いだし俺も、この前みたいに戦ってやる。本当はあれで勝ちたいんだが、まだまだ練習不足だ。あと二百年ほどくれ。つーわけで、こっからは殺し合いな。俺も本気出すんだ。お前も、出せよ。あとそこのニャ族は邪魔だ、消えろ」
「ふにゃ!?」
「ミィ、全力で距離を取れ。俺の周りも、安全じゃなくなる」
「……ふにゃあ。お別れにゃの?」
「生きてたら会えるかもしれない」
「じゃあ頑張ってにゃ! まだ鍵を外してもらったお礼が出来ていないにゃ!」
「……あ、ああ。一応感謝はしてくれていたんだな」
「にゃ!」
ミィは一歩、後ずさる。
その瞬間――
「往くぜ」
アバドンの姿が消える。爆発音よりも早く、ゼンの前に到達した豪速。その拳打は当然のように音の壁を超えていた。警戒し、魔力炉をフル回転させ、オーバースペック極まりない状態で、ようやくそれをかわす。ひ弱な身体、かわすだけで悲鳴を上げた。
「やるねえ」
「どうも」
ゼンもまた高速で武器を展開する。地面にいくつも突き立つ武器たち。
「おおっ!? かっけえ!」
「ここで死ぬ気は、無い!」
地面の剣を拾い、アバドンの攻めを迎え撃つゼン。黒き刃はアバドンの豪拳の前にへし折れた。だが、威力は減衰する。それでかわし、別の剣を抜き放った流れで、下段から打ち上げる。縦一閃、真っ直ぐな剣がアバドンを薄く裂いた。
『活路は前。相手が最高速に達する前にかち合え!』
「そのつもりだ!」
相手が強者なればこそ、距離を詰めて殺し合う。その計算された蛮勇にアバドンは笑みを浮かべた。やはりヒト族は面白い。もっと見たい。だから、たっぷりと殺し合おう。
ミィは衝突の激しさに怯えたのか、気づいたらいなくなっていた。
それで良いとゼンは思う。この相手と戦う以上、どこかで抜き放つ必要があるのだ。自身の切り札、王を殺すために得た七つの牙を。
「この状況でどこまでやる気だ?」
回答は予想が出来ている。それでもゼンは問うた。
「もちろん、どっちかが死ぬまでさ」
アバドンは躊躇いなく答える。死の間際ですら、きっと純粋なる戦闘種族である彼は同じ笑みを続けるだろう。心の底から戦いが好き、それが全身に溢れている。
今だけはゼンもまた自分を騙そう。そう思い、彼らと同じ笑みを浮かべた。
『……騙す、ねえ』
ギゾーは主の言い訳を哂いつつ、今にも自分たちの足場すら安全ではなくなりそうなこの地獄で戦わんとする二人の獣を見た。戦いが好きで好きでたまらないといった貌。
『ま、やりねえやりねえ。こーいう馬鹿、嫌いじゃないぜ、俺もさ』
ジョークグッズが見守る中、二匹が吼えた。
そして同時に動き出す。スペック差はある。工夫で消すにも限度がある。
ゆえにどこかでゼンは切る。
テリオンの七つ牙、差を埋めるために得た最強兵装を。
先に仕掛けるは――
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