第1章:黒き十字架

 あと五秒、いや、三秒あれば拘束が解ける。解けるのだ。国栖 一条が全ての魔力を賭して作り上げたこの糸も、今の状態であってもモノの数秒で攻略できる。適うのだ、この窮地を脱することは。あと、三秒。ほんの少し、時間が――あれば。

「テリオンの七つ牙が一つ」

『魔を滅する刃』

「『エクリクシス!』」

 魔王にとっての絶望が迫る。回避は――不可能。

 ならば――

『死ねェ!』

 殺して、奪って、勝つ。いつも通り、いつも通りのことをするだけで――

「オー・ミロワール!」

 その拳が、ゼンに届くことはなかった。その力ごと、アリエルが捻じ曲げたのだ。跳ね返すことは出来ずとも、そらすことなら出来る。並走していたアリエルは、最後の仕事を果たした。希望を無事、送り届けるという役目を。

「お前の目に映るモノがお前だ。絶望を知れ、魔王!」

 テリオンの七つ牙最強の攻撃力、魔を滅する刃エクリクシスが魔王アンサールの身を貫いた。刃に揺らぐ炎が、魔を感知する。

「俺は、俺は、アンサール・アリ――」

『悪いな将軍。相棒な、近現代史苦手なんだわ。テメエのことは知らねえってよ』

 ゼンが縦に断ち切る。その傷跡から、爆発的に、凄まじい大炎がアンサールの全身を飲み込んだ。一瞬で、炎に飲まれ、断末魔すら魔を滅する炎は吐くことを許さない。

「終わり、だ」

 そして、背を向けたゼンの背後で王の崩御、断末魔の代わりに現れる、黒き光、王の墓標たる黒き十字架が世界に現れた。

 それは、本当の、完全な、決着の合図である。


     ○


「将軍、申し訳ございません。自分には、もう無理です」

「この期に及んで、愚かなことを。お前が俺の命でどれだけ多くを殺したと思っている。お前は俺の友、共犯者だ。今更、神がお許しになると思ったか?」

「貴方には、わからないでしょうね」

「……何の話だ?」

「貴方が私に命じ、私が実行させた爆撃で、私の友が、家族が、死にました。貴方は、それを実行させる私の顔を見て、楽しんでいたのでしょう?」

「くだらんなァ。その銃を下ろせ。俺にそれを向ける意味、わからぬ馬鹿ではあるまい」

「ええ。そう努めてきました。でも、限界なのです。これも、貴方にはわからぬ感覚でしょう。貴方は、いえ、お前は、この世界にいてはならない。いちゃいけないんだ!」

「馬鹿が」

 先に俺が撃った。またしても俺が勝った。そのはずだったのに――

「ぐ、がは、もっと、早く、こうしておくべきだった」

 そいつは、死にぞこないの癖に、俺を、撃ち殺した。

 ようやく知る。思い出した。強者の天敵は、弱者なのだと。俺は身をもって知ったはずなのに。俺は忘れていた。覚えてさえいれば、あの眼を、覚えてさえいれば、俺は――


     ○


 その十字架は、何かの始まりを予感させるには十分な証明だった。


 ロディナにて――

「フラミネス様!」

「見ておりますよ。何度見ても、良いものですね。絶望がまた一つ、世界から消えた」

 大樹の国、ロディナは歓喜に沸いていた。

「貴方の英雄かもしれませんよ、フランセット」

「無事であればそれで、私は――」

 フラミネスの親類であり召喚士見習いのゼンに救われた少女、フランセット・オーク・ドルイダスは嬉しそうにその光景を見ていた。そう言いつつも、彼女の中には確信があったのだ。きっと、彼の一念が岩をも通したのだと。

 いつだって彼は絶対に諦めなかったから。

 不器用だけれど――だからこそ愚直に前進する人だから。


「斬魔さんがたまげて腰抜かしてるぞ」

「強いのによくわかんないところで小心者なんだよなあ」

「……めっちゃびっくりした、でござる」


「シュウさん! ティラナ、やりましたよ!」

「シュウさん言うなってのに。見てるよ、ったく、情けねえけど、いつ見ても良いもんだ。希望が湧き上がる瞬間ってのは。やったな、ゼン。皆」

「俺らが増援に行ければ――」

「言うな。俺も含めて、誰一人殺されずに負けたんだ。気を付けるべきは王クラスだけじゃない。俺だって勝ったことはないが王との交戦経験ぐらいはあるさ。下手な王クラスより、あの魔人は強かった。言い訳になっちまうけどさ」

「まあ、ここは素直に称賛しときましょう」

「ああ、本当に、よかったなあ」


「素晴らしい。さすがは貴方の見込んだモノ。紛い物では、なかったようだ」

「大星さん。結局ティラナの連中、独力で倒して見せたんですね」

「独力ではある。が、色々と絡み合った結果だ。引き寄せたのは、彼だろうが」

「は、はあ」

「英雄は何人いてもいい。本物であればなおさら、だ」


「クイーン、見ていますか? どうやら、オーケンフィールド、キッド無しで、王殺しを成したようです。素晴らしい。本当に、素晴らしいことです」

「見てるよ。まったく、お菓子がまずくなる。あの下にどれだけ多くの死体が積み重なってるのかって話。それを全部背負う? 冗談じゃない。折角重責から逃れられたんだ。第二の人生くらい好きにさせろっての」

「……誰にとっても選択の時は来ますよ、クイーン」

「……うるさい」


 ロディニア大陸の南側、そこで驚天動地の戦いが繰り広げられていた。

 少し前に砦の崩落を見て、情報が断絶されていた理由を知った。想定はしていたが、それでもこの先の『大穴』以外で王クラスが出入りしていたという事実は、軽くない。こちらに、自分にだけは情報を渡さないという強い意志を感じた。

 何らかの妨害、魔術的な、敵もコードレスのような術が使えるのか――等々。されどあれを見て安心した。ゼンは、きっと役目を果たしたのだ。彼はそれを正義と呼ばないだろうけれど、偽善と蔑むだろうけれど、それでも、他者にとってはどちらも一緒。

 きっと、彼の背は英雄に見えたはず。

「おいおい、何だあれ? アンサールのやつ殺されたのか?」

「……アンサール? アンサール・アリ・シャッビーハかい?」

「おお、たぶんそんな名前だったぜ。長くて覚えられねえからアンサールってことしか覚えてねえけど。なあなあ、早く続きやろうぜぇ」

 怪物は地団太を踏む。そこだけ切り取るとキュートに見えるが、そのたびに大地が揺れ、地震が起きる様を見て、可愛いと思うものは皆無であろう。

「大物だなあ。同時代における悪を挙げろと言われたなら、五指には必ず入る超ビッグネームだ。たぶん、かなり強かっただろ?」

「ん? 俺の方が強いぜ?」

「そりゃあ知ってるけど、他に比べてってこと」

「そだなあ。たぶん強いな。ちょっとシンに似てたし。でも、俺のが強い。だから、よそ見すんなって。俺だけを見とけばいいんだよ、オーケンフィールドォ!」

「……君ってやつは、わかったよニケ。でも、所用が出来た。すぐに済ませよう」

「ハハ、俺にそんな言葉吐けんのは、お前くらいのもんだぜ!」

「ねぎらいの一つ、直接会って言いたいからね」

 凄まじい衝撃。周囲一帯が吹き飛ぶほどの強さ。だが、それはこの男が、オーケンフィールドと言う男が本気を出しただけに過ぎない。全身にみなぎるオド、その総量は並みの王クラスを遥かに凌ぐ。正真正銘、世界が選んだ唯一の英雄。

 オーケンフィールド対ニケ、再開。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る