第4話 逃避する能力だけは桁外れに高いようです

 なんだ……何が起きたんだ?

 俺は仰向けのまま両手で痛む鼻を押えた。

 壁の次は女の子の膝か。グレードアップはしているけど、痛いほうにアップしているじゃないか。


 見事に膝蹴りを決めた女の子は、クルッと方向転換。


仮想変態バーチャルヘンタイだあああああああああ!」


 そんな叫び声を上げながら、今度は駅舎のほうへ逃走を開始。


「ああ、そうか……」


 俺はこの袴では走りずらいと思い、袴の両裾を手で引っ張り上げ、すねを露わにした格好で腰を落とし、丁字路で女の子を待ち構えていた。

 その体勢で「こっちへおいで」と言ったものだから、どうやら不審者と勘違いされたようだ。




「うみゃゃぁああああ!!!」


 慌てて駅舎の中へ入ってしまった女の子。

 ノーブルショートの髪に、大きな瞳。初恋の子に似ている。不純物がない真っ白な雪のよう。透明感がある。

 もし俺が小学生だったら、間違いなく恋に落ちているね。


 大量のスライムが一斉に駅舎へなだれ込む。中は行き止まり。どこにも逃げる場所がない。

 俺が驚かせてしまったせいで、こんなところへ逃げ込んでしまったのだ。解決策を捻りだそうと、慌てて思慮を巡らせる。

 そういえば……。


「逃避スキル【煙幕】があったな。あれを使ってみるか!」


 適当に「忍法、煙幕!」と唱えると、右手に黒いピンポン玉が顕現された。これが煙幕を発生させるアイテムだろう。

 それをスライムの足元へ叩きつけた。




 その瞬間、目が潰れそうになるほどの閃光が弾けた!

 瞳に映るすべてのものが真っ白で、何も見えなくなるほどの白、白。白!

 視界は上下左右、目尻の先っぽまで白一色に染まっている。


 次に耳をつんざく爆音。

 視覚と聴覚に強い異常を感じ、方向感覚の喪失と見当識の失調を起こす。異常なまでの音圧に、心臓が停止したような錯覚。


 光と音のあとは、真っ黒な煙。

 煙が辺り一面を覆いつくす。真っ白だった視界が一気に真っ黒へと変わり、脳の処理が追いつかない。

 自分で発動させたから何とか気を失わずに済んだものの、もし他人に突然この忍法を使われたら、間違いなく失神していただろう。


「ホヘニャハヒ……」


 案の定、女の子は何か意味不明な言葉を発しながら失神。俺は慌てて駆け寄り、身体を支えた。スライムも活動を停止している。




「煙幕の効果があるうちに、安全な場所を探すか」


 視界は悪いが、ここは毎日通勤している駅の前。街の様子は違っても、地理はしっかりと頭に入っている。


「ここから渋谷方面に進めば山手線を渡る橋があって、その先は代々木公園になっているはずだ」


 俺は女の子を抱き上げ、走り出す。


 女の子は白いキャップに、白地に赤いラインの野球用ユニフォーム。そしてキュロットスカートを穿いている。右手には小さな斧。

 妹指数の高い可愛らしさに、思わず胸が熱くなる。


「だけど俺の長年のネトゲ経験でいうと…………残念ながら、中身はおっさんだ。こんな可愛い妹系の女の子が実在するはずがない!! だけど、それの何がいけないっていうんだ? 中身なんかどうでもいい。大事なのは俺を癒してくれるその姿だ。仕草だ。愛嬌だ!」


 興奮しながら数メートル先も見えない――黒い世界を駆け抜ける。


 視界は黒一色だったが、その黒い煙が明滅を始めた。目がおかしくなりそうなフラッシュと、狂ったように響く雷鳴がひっきりなしに続く。

 時折、路面からビリリと痺れるような衝撃を食らうが、俺の気分は意外にも上々だ。


「仮想世界の俺、速ええ!」


 恐怖心がないことはない。だがこの子を軽々と持ち上げられる筋力や、リアルよりも気力、体力、瞬発力、持久力、すべてが上。爽快な気分なのだ。


 スピード感を楽しみながら駆けていると、ときどきスライムが視界に入る。

 スライムは大きさで分別すると二種類いる。駅前にいた大型のものと、中型犬サイズのちいさなもの。

 しかし襲ってこない。

 煙幕の効果範囲内にいるせいか、それとも煙で視界が遮られて動けないのか分からないが、同じ場所でぼよんぼよんと弾んでいるだけである。


「結構走ってるのにまだ煙しかねえ。俺の煙幕、どんだけ煙を吐き出したんだよ!」


 もう百メートルは走っている。そろそろ代々木公園に入るぞ?




 ふと視線を感じて目線を落とすと、抱えている女の子と目が合った。白いキャップの下から大きな瞳が覗いている。

 キャップの正面には卵が転がったような形の銀のワッペン。そこには紺色で「ぶ」とひらがなが一文字だけ描かれている。変わったデザインだな。


「気がついたか。爆音で驚かせちゃってごめんな。俺も初めて使ったから、こんなスキルだとは思わなかったんだよ」

「ううん。お兄ちゃん、助けてくれてありがとう」


 どうやら、助けようとしたことは理解してくれたみたいだ。

 女の子はお腹の上にミニサイズの斧をちょこんと乗せて、大人しく抱えられている。


「いいってことよ。見た目小学生! こんな可愛い女の子を抱えて走れるなら、たとえ中身が干からびたおっさんでも、苦楽を共にするぜ」

「アバターは好きなように顔貌を変えられるようになってたね。TS願望がある人にも優しい設計だね~」

「せめてゲームの中だけでも可愛くありたいとか、毛がフサフサ生えていたい。そんな願望があるもんだよな」

「もう降りた方がいい?」

「いや、大丈夫。今の俺は体力が無尽蔵にあるような気が!」




 代々木公園でようやく、澄み切った視界を取り戻した。

 ここはチカチカした街とは打って変わり、やたら緑の多い場所になっている。足元は芝のような短い草。


 振り返ると、ゲリラ豪雨を降らせる積乱雲に似た黒いもやが、原宿駅付近を埋め尽くしているのが見えた。未だに稲妻も立て続けに発生している。


「なんで初心者冒険者のスキルが、こんなに強烈なんだ!? バグか?」


 視界が良くなったお陰で、周りの状況がはっきりと分かるようになった。憩いの場であるこの広場が“スライムが密集している牧場”と化していることを目の当たりにして、俺たちは絶叫しそうな表情で顔を見合わせた。


 女の子を抱えたまま、再び激走を始める。走る走る。ひたすら走る。








 どれだけ走り回っただろうか。


「ハァ、ハァ……」


 息があがってきた。

 無尽蔵にあると思っていた体力が、Emptyの警告を発している。バーチャルなはずの肺が、悲鳴をあげている。ふくらはぎもパンパンに張り、足が前へ出なくなってきた。


「疲労に筋肉の張りに肺の痛み。ゲームに必要ないパラメーター多すぎ! どんだけリアルに近づけたがってるんだよ」

「このリアルさ。こんなに没入感のあるゲームは初めてだよ~」

「ハァ、ハァ……ここはリアル以上にリアルだ。スライムに殴られると滅茶苦茶痛い。だから、なんとしてでも逃げ切りたいところだけど。ゴメンな。助けてあげられそうもないや」

「お兄ちゃんは、よく頑張ったよ!」


 明るい声が返ってきて、少し救われた。

 優しい子だな。だからこそ助けてあげられなかった忸怩じくじたる思いが、明日から俺の心を痛めつけるに違いない。

 まあ、ゲームだから気に病むことはないのかもしれないけど、痛覚がやけにリアルだから、つい気にしちゃう。


「戦闘不能状態になったら、どうなるんだろうか?」

「最初の建物に戻されるのかなあ?」

「俺がスライムをひきつけ、その間に君を逃がす。という格好いいこともやってみたい。無事に逃げ切ったら祝杯をあげよう」

「お兄ちゃんの屍を盾にして逃げるなんて、できないよ~」

「あっ。俺は死ぬ前提なのね……。じゃあいっそのこと、俺の屍を踏んづけてゆけ!」


 万事休す。と諦めかけたとき、何かがこちらへ向かって来るのが見えた。




 それはジグザクに飛びなからやって来る。まるでアニメの忍者のように。


 俺はスライムに一発殴られ、さらに二発目を食らう。女の子が殴られないように庇う。なんとかそれだけは出来ているようだ。


 俺は走りながら、何がやって来たのか目で追った。








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