第17話 銃を手放した男
メイルゥがハンソン一家を壊滅させたことは、すでに街中の噂であった。
ただでさえ流入民との摩擦により消耗しているサムザの国民にとって、これほど胸のすく出来事が近年あっただろうか。
なにかと方々で事件を起こしていた彼らだけに、これには自国の民のみならず、流入民の間でも感謝の声が漏れ聞こえていた。
ハンソン一家の行いによって、すべての流入民のイメージが決定付けられるのは不本意だ。
それこそがサムザに暮らす外国人たちの偽らざる本音なのだろう。
この事件をきっかけにして救国の英雄メイルゥの名声はさらに高まったが、困ったのは司法の現場である。
色々と話に尾ひれがついて面白おかしくなってはいるが、とどの詰まりは殺人が絡んでいるとなると、いくら国家を救った英雄といえども裁判沙汰である。
ましてや国外から来た移民者の命を奪ったとなれば、それこそ国際問題に発展しかねない。
しかし現場に残された被害者ハンソンの遺体は、黒焦げの丸焼きにされながら新品同様の衣服は着たままという奇妙な有り様だった。
これには事件を担当した警官たちや裁判官も頭を抱えた。
民間の魔法使いに対するイメージというのは、かのエドガー・ナッシュをはじめとする幻想小説家の努力の賜物で、不可能を可能にする超常的な能力の持ち主ということになっているが、さすがに国益を左右する、司法、行政、立法の国政機関においては、すでに魔法使いの能力に関して正確な認識がなされている。
それゆえ本件の不可解さたるや、前代未聞の怪事件として流布されることになったのだ。
実際にメイルゥもきちんと警察機関に出頭して、ありのままを語ったが、ハンソンの死因に関しては自分にも分からないと証言した。
結果、証拠不十分ということで釈放と相成ったのである。
これに関してはサムザ公国の現国王、ならびに小説家エドガー・ナッシュや人狼卿ルヴァンまでもが自国の政権者に助勢を嘆願し、彼女の正当性を訴え、減刑もしくは無罪を主張した。
ひとえにメイルゥの人徳の為せる業である、と。
裁判官も苦悩の末、その求刑を認めざるを得なかったのである。
晴れて無罪放免となったメイルゥだったが、ひとつ面倒事も増えた。それは――。
「
買い物帰りの坂道で、メイルゥの後ろを金魚のフンよろしくくっついてくる一党があった。
みな彼女に対して、きらきらとした尊敬の眼差しを向けている。
誰あろう、かつてハンソン一家と呼ばれたゴロツキたちの、その構成員だった男たちだ。
「姐さん! 買い物帰りですかい。お荷物持ちましょうか?」
ハンソン一家においてゴロツキどものリーダー格だった男が、メイルゥ相手にしっぽを振っている。牙の抜かれた虎ではないが、ずいぶんとおとなしくなったものだ。
ちなみに彼らをしばいたことに関しては、正当防衛が成立している。
「いいよ。それになんだい、その姐さんってのは。あんたらの
「そんなぁ~。あのとき言ってくれたじゃないすか、あたしんとこに来いって」
それはハンソン一家へと乗り込んだときに、メイルゥが軽い暗示を掛けて彼らを勧誘したことを言っているのだ。サラのこともあり、そのまま
本人たちの都合のいいところだけ記憶に残っているのである。
「気の迷いだよ。それに引っ越しの手伝いをさせてやったじゃないか。手間賃は払ったろ。あれじゃ足りないってのかい」
「そ、そうじゃないよ、姐さん! おれたちゃ姐さんの心意気に惚れたんだ! 銭金の問題じゃねえですぜ!」
「弱ったねぇ……」
そこまで言われてしまっては無下にも出来ない。
かと言ってこのまま付いてこられては、なし崩し的にメイルゥ一家を名乗ってしまわれないかが心配である。彼女はやりたいのはあくまで小商いで、ヤクザものになる気は毛頭ない。
「そういやあんたら、いまなにでしのいでんのさ」
「へえ。倉庫にあるハンソンが買い占めた
「適正価格だろうね?」
「え? いやそれは……ははァ」
「ったく……」
メイルゥは懐から札束を取り出すと、それをゴロツキに投げて寄越した。
驚いたゴロツキたちは、まるで火のついた爆弾でも手にしたかのように、おっかなびっくりに仲間内で押し付け合う。
「それで差額を埋めて、半値で売ってやんな。それからね、あたしんとこへ魔賊というヤツらの情報を持ってきな。細大漏らさずだよ」
「へ、へい! やったぞおまえら! 姐さんからの初仕事だ!」
うおおおおお、と叫んだ男たちは、転がり落ちる勢いで坂道を下っていく。
なんだか火に油を注いだような気持ちになって、メイルゥはいさかか早計すぎたやもと心に苦いものを感じた。
坂道を登り切ると、そこには風俗街を見下ろすようにして一件の建物がそびえている。
枝分かれした道に挟まれるようにして建つそれは、メイルゥが住まう新居だ。
バネ仕掛けになったスイングドアのうえには、黒猫のサラをモデルにした看板がある。
メイルゥ商会と刻まれたその看板には、ほかにもポーンショップ(質屋)や図書館などといった店の概要が記されていた。
メイルゥが店のなかへと入ると、バーカウンターのまえに見慣れぬ男が立っていた。
手足が長くすらっとした体型だが、ひ弱な印象は微塵もない。
むしろそのコート姿の背中には、ただならぬ気配を背負っていた。
「悪いね。一応、酒も置いてるけど、うちは飲み屋じゃないのさ」
メイルゥがそう悪態をつくと、男は静かに振り返った。
褐色の肌を持った異国の顔立ちをしている。
頭髪は綺麗に剃られており、カタチのいいスキンヘッドだ。
クセの強そうなチリチリの髭を、短い長さに切りそろえていた。
唇は分厚く、眼光は鋭く。
まるで信念の塊のような存在感を示している。
「ほぅ」
その
彼女はそのままバーカウンターのなかへと入り、手荷物をその辺に置くと、背面にある棚からショットグラスと酒を取り出し、なみなみ注いで彼に出した。
「失礼したね。これは詫びの一杯さ」
男は無言でその一杯を煽ると、腰に巻いていた革製のベルトを外し、カウンターの天板へと置いた。ベルトには左右対象にホルスターが下がっており、二丁の拳銃が納められている。
「金に替えてほしい」
言葉少なに男は言う。
低く、そして鋭い声だった。
メイルゥは一度、男の顔を見上げると、あらためて質草を確かめた。
「ふん。リボルバーかい。ブレイクアクション(中折式)とか言うヤツだね」
二丁の拳銃はそれぞれ双子のような同型のものだった。
リボルバーと呼ばれる回転式弾倉を持った拳銃で、ハンマーを起こしトリガーを引くという動作をワンセットとして一発ずつ弾丸を発射させることが出来る。
この銃の装填数は六発。一度に六発の実包を回転式弾倉へと装填することが可能だ。
ハンソン一家のゴロツキたちが持っていた自動拳銃と違うのは連射が利かないということ。
しかし操作の熟練によってはそれ以上のスピードで射撃を行うものもいるし、なにより誤動作が少ないということでいまだに愛用者も多い。
またこの拳銃で特筆されるべきは、中折式という機構を採用していることにある。
トリガーガードの前方にある軸を中心として、銃身、弾倉、そしてボディ前部をワンセットとした大きなひとつのパーツが、半円運動をするかのように可動する。
この可動を行うことにより回転式弾倉を露出させ、撃ち終わった空の薬莢を一挙に排出することが出来るのだ。
従来の回転式拳銃が一発一発、実包を出し入れしていたことに比べれば、装填速度は飛躍的に向上したと言える。
しかし、いいことばかりではない。
ボディを分割式にした結果、強度面に課題を残すことになり、あまり強力過ぎる弾丸は使用出来ないとされているのだ。
もちろん、メイルゥはこの拳銃を見るのも初めてだ。だが金貸しをはじめるに当たってかなりの本を読んで知識を得たし、なによりもこのところ懐かれているハンソン一家の残党たちから、裏社会の色々を耳にしていた。
銃本体にはエングレイブ(彫刻)も施されていない質実剛健な仕様だ。
ブルーイングが鈍く輝き、あくまで実戦向けといった風格がある。
むしろホルスターのほうがいい革も使っているし、職人の見事な手仕上げによる一品だ。
査定には少し色をつけてもいいが、さほど変わるものでもない。
「ん? メダリオンにサラマンダーか。珍しいね。普通、銃器や蒸気機関にはトカゲのレリーフはいれないものだよ。古い因習との決別を意味する」
メイルゥは目ざとく、拳銃のグリップに描かれたトカゲの意匠を見つけた。
すると男は絞り出すような低い声で、彼女の言葉に続いた。
「……だから銃は呪われた」
「言うね。気に入ったよ――これでどうだい」
メイルゥはいずこからか、数束の紙幣を取り出すとカウンターのうえに投げた。
男は目だけでそれを追うと「これだけか?」と聞いた。
「中古の買い取りなんざ、これで限界だよ。ましてや鉄砲の取引にはお
「……いや……いい」
男は札束を懐に入れると、足早にその場を立ち去ろうとした。
だがメイルゥはそれを咎めて「待ちな」と言った。
「おまいさん、名前は? べつに本名じゃなくたっていいんだよ。単に質草の管理のために聞いてんのさ」
「……ブラック」
「ブラックさんね。で、買い戻しに来る気はあんのかい」
「おれにはもう……銃は必要ない。流してくれていい……」
それだけ告げると男は――ブラックは店を出ていった。
「気になるね」
立ち去るブラックの背中が坂道を下って次第に消えていく。
妙な胸騒ぎを覚えた彼女には、丸腰のあの男を放っておくことなど出来なかった。
するとメイルゥはバーカウンターのすみで、さっきから器用に本のページをめくっている黒猫を呼び付ける。
「サラ。つけな」
黒猫のサラは一度メイルゥの顔を凝視すると、また本へと視線を注いだ。
「ちょいと。あの男のあとをつけろって言ってんだよ。早くしな。見失っちまう」
そこで黒猫はようやく彼女のほうをしっかりと向くと「ええええええ」と人語で悪態をついたのだった。
「これからいいところなんだよぉ。べつにオイラじゃなくてもいいだろぉ」
まるで十歳ほどの少女のような、それでいて少年のようなしゃべり方だ。
首から提げた精霊石のペンダントを揺らしながら、全身を使って不満を顕にしている。
「うるさいね。また帰ってきてから読みゃいいじゃないか。しおり貸してやろうか?」
メイルゥは懐から大事そうに、あのものさしを取り出した。
彼女にとっては命のつぎに大事な、フレッドからのプレゼントである。
「いいよ! 行ってくる!」
黒猫のサラは勢いよく、バーカウンターから飛び出した。
はるか頭上にあるスイングドアをくぐり抜け、風俗街へ颯爽と走り出していった。
陽光を跳ね返し、若干の赤みを帯びる漆黒の身体が、あっという間に坂道へと消えていく。
スイングドアまで見送りに出てきたメイルゥは、その一部始終を見届けると、本棚が乱立する図書室へと視線を投げ掛けた。
「ルヴァン」
薄暗い図書室の片隅、物音ひとつ立てないでひっそりと読書を楽しんでいた男がひとり。
半獣半人の怪紳士にして剣聖。
人狼卿アイザック・ルヴァンそのひとである。
メイルゥの呼び掛けに応じて、読んでいた本を「パンッ」と閉じた。
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