第89話 得意技はアイアンクロー
戦野珠姫のある日常。
「おっかしーなー……、なんで洗剤だけ見つからねえ……」
ある日ひょんなことから偶然お年寄りを助けて就職先と新居が見つかり、今日はその引っ越し先での荷崩し。
(って言っても得意技を披露しただけで何したってワケでもねーけど)
あの日大学に用事があって出掛けると、見知った顔の刑事が乗った警察車両がサイレンを鳴らしてかっ飛んでいった。ので飛び乗ってやった。
『よう、七条さん』
『相変わらずだなキミは』
用事は急ぎでもないから後回しにしたんだが、これが間違いだった。
『武蔵野デパートの立体駐車場でヤクザがお年寄りに絡んでいるという通報があったんだ。通報者はキミの弟さんだ』
『何やってんだアイツ』
助けるとなんと武蔵野グループで一番偉い人だとか。
(無いものは無い!しょうがねえ買ってくるか)
まだ引っ越したばかりの土地で迷子になりやすい。とはいえ歩くのもめんどくさい、でも歩かないのもただの怠惰か。新車の慣らしついでに実家まで走るか。金のある弟を脅して買わせた新車だ。
「……、新車は臭いって聞くが確かに臭いな。消臭剤も買うか」
先週納車されたばかり。実は契約直前でガソリン車からハイブリッド車に変えている。親父がへそくりを持ってやがったからだ。これとは別に小遣いに100万ほど取った。
「お母さんいるー?」
「あらタマちゃん。どうしたの突然」
ガレージに車を入れて庭から居間に回る。いつもぐうたらなお母さんだ。いつも居間でゴロゴロしながらテレビを見ている。この家になってからはこの人が家事をしているところは見たことないし、自分の部屋に戻っているところも見たことがない。というか通常ありえる、というかいわゆる普通というものに定義されるごくごく一般家庭の主婦としての、いやそれ以前にごくごく普通の女性としての生活をロクに見たことがない。
「ちょっと商店街行ってくるから車置かせて」
「は~い、行ってらっしゃ~い」
いい加減着替えろババア。もう昼近いぞ、いつまでパジャマなんだよ。
「胸がこぼれてるよ」
「いーのいーのー。誰も来ないし、いるのはタケちゃんだけだし~」
「だらしねえ……」
将来こんな大人にはなるまいと決意を固め、実家を後にして商店街まで歩く。大きいデパートが建っても商店街は健在だ。中学や高校の帰りなんかよく買い食いしたもんだ。大学生になってからはよくオマケしてもらったっけ。一人暮らしにはありがたい。
「って帰ったら昼飯の時間になるのか。ついでに買い物していくか」
商店街に入ると相変わらず賑わっている。まあ、武蔵野デパートは歩きや自転車だと遠いしな。一通り揃っていて歩いて行って帰ってこれる方が楽だ。
「おはようございます、姐さん」
「ちーっす」
近所のワルはだいたいダチだ、なんて聞くがあたしの場合は違う。
「姐さん!おはようございます!お疲れさまです!」
「おう」
近所のワルだったヤツらはだいたい舎弟だ。
(昔は荒れてたけどもうそんなことはないし……、ノーカンノーカン……)
きっかけは同じ中学のヤツが絡まれていたことだった。割って入ったら間違って絡んでいたチンピラをボコしてしまった。これは私から手を出したのではないから正当防衛を主張しておく。しかしそこから来る日も来る日もちぎっては投げ掴んでは殴り、気付けばテッペンを取っていた。
(おかげでこの歳なのに男の一人もいやしねえ……)
顔を合わせればだいたいのヤツは頭を下げて挨拶する。年齢に関係無くだ。やっちまったよなあ……。しかも商店街の跡継ぎばっか荒れてたもんだからそりゃこうなるよなあ。というか商店街の旦那連中は一体どういう家庭内教育を施したら跡継ぎの野郎ども揃ってグレる自体に陥るのか甚だ疑問である。そしてそんな連中がガン首揃えて舎弟になるときたもんだから、事情を知らない人から見たらもはやどこぞの組のお嬢と思われてもいたしかたない。
(さて、そろそろ帰るか)
多くはない買い物も終えて、車を取りに実家に戻ろうとすると後ろから呼び止められた。
「姐さん姐さん!ちょっと来てちょっと!」
「あんだよあたしはもう帰るぞ」
「取っ組み合い始まっちまったんでさあ! なんとかしてくれよ!」
「さんざんあたしと喧嘩してたくせに止めらんねーのかよ、鈍ってんじゃねーのかお前ら」
しかしもうこの商店街に荒事は似合わない。かつての三国志よろしく群雄割拠の混沌とした店同士の潰し合いは今の商店街しか知らない人が聞けばそれは嘘だろうと大抵がそう言う。この商店街を短期間で盛り返すのには結構な苦労とバカどもの矯正が必要だったが、七条さんという警察側のコネと指導の甲斐性あって、今では武蔵野デパート以外ではここしかないと評価されるまでに賑わっている。
「しょうがねえなあ……ったく」
駆り出されても仕方ない。舎弟の面倒見るのも役目だ。喧嘩両成敗。正しい悪いに関わらず喧嘩したら両方ぶっ飛ばす。
「ああ、疲れた。なんで買い物してくるだけでこんな疲れてんだ……」
新居に帰ってきて冷蔵庫に買い物を入れてベッドにダイブする。昼も食わずにもう午後の三時だ。今からまともに作って食べたら夕飯が入らない。いや、入らないことはないのだが、これでも年頃の女ではあるのだから、年頃の女ではあるということはもちろん体重というものが頭の先にチラつくのだ。とここまで思い至ったところで肝心なことを失念していたことに気が付いた。
「あ…、洗剤忘れた……」
もういいや。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます