第44話 時の旅人(6)


「これが、俺が俺となった理由だ。んで、さっき見ただろ?そんな俺を見捨てた女が、今更俺に謝って来たんだぜ?


 何もかもが終わった今になって。


 ははっ!ふざけんなよって話だよな」



 真琴は拳を握り締めながら、そう言う。その拳には静かな怒りが込められている。


「……」


「今は、弱いあいつの代わりに俺が怒りを引き受けているんだ。


 こいつの心にかかるストレスが許容し難いレベルに達したとき、俺はあいつの代わりに怒りを発散させているわけだ。


 んで、なぜか、俺じゃないとギフトの力も使えないみたいだ」


「二重人格ってやつか?」


 どこかで聞いたことがある。


 幼い時に虐待などを受けた子供が自分を守るために、もう一つの人格を生み出すことがあるという。


「いや。違うなぁ。俺は意識も記憶も共有してるぜ。それぞれが別々の意思を持っているわけじゃねぇ」


 確かな自信を持ってそう言う。


「今こうして話しているのも、父親を殺したのも、真琴という一人の人間の意思でしたことだ。どちらかのせいにはしない。それを決めたのも、それを実行したのも、真琴だからだ。


 その事実からは絶対に逃げねぇ」


 真琴は立ち上がり、エレベーターを指差す。


「さて、次の階に行こうぜ。早く行かねぇとまた文句言われるだろ」


 真琴は、それでよかったのだろうか。


 俺が口を出しても仕方のないことだとは思うけれど、それでも真琴は納得しているのだろうか。


 母親と再会できたのに、こんな関係のまま別れてもいいのだろうか。


 真琴が抱え続けて来た憎しみも、捨てられた悲しみも、十分に分かった。


 だからといって、それが全てとは限らない。


 真琴の母親が本当に真琴を捨てたのだろうか。真琴を見る眼差しは、愛しの我が子を見つめる目だった。


 そんな人が、本当に?



「なぁ、真琴……」


 真琴にそう声かけた時。


「きゃぁぁぁぁあぁ!」


 突然、オフィスから女性の悲鳴が聞こえた。


「っ!?」



 この、悲痛に混ざり合うような悲鳴は今までに何度も聞いたことのある。


 そのどれもが、死の危機に瀕した瞬間に出す恐怖に満ちた悲鳴。


 まさか。


「グギャァァァァ!!」


 悲鳴の直後に餓鬼の声が聞こえる。



「餓鬼が出たのか!?」


 くそっ、嫌な予感が的中した。


 いくつもの悲鳴や怒声が聞こえ、オフィスから死に物狂いで逃げる人が溢れかえっていた。


 俺と真琴は走ってオフィスに駆け込む。逃げ惑い、廊下へ溢れてる人の波を掻き分けて中の様子を見る。避難者達はパニックに陥り、目の前の恐怖から逃げ出すことで精一杯になっている。


 俺の言葉など耳には届かない。


 ようやく見えた先では、爬虫類型の餓鬼が暴れまわって人を食らっている。



「人に化ける餓鬼か……だが、なんで急に現れたんだ?」


 人に化けるあの餓鬼には知性がある。俺たち『ドリーマー』がいる中で正体を現せば、殺されるデメリットしかないのに。


 このタイミングでなぜ……


 違う。俺たちが……来たからか?




「いやっ!離して!来ないでよぉ!」


「グギャァァァァア!!」


 餓鬼に片足を掴まれた女性は涙を流しながら抵抗し、餓鬼の腕を何度も足で蹴る。


 餓鬼は暴れる女性が煩わしかったのか、足を掴んでいた腕を振るい。


「痛い痛い痛い!!いやぁぁぁぁ……ぐがっ!?」


 力強く女性を壁に叩きつける。


 骨の折れる鈍い音と肉が潰れるような音が聞こえ、声が止む。


 叩きつけられた女性の体は人形のように力なく動かなくなり、首が折れて潰れた頭からはボトボトと血が滴り落ちる。




「……っ……あ」



 人達が逃げ惑う中、逃げ遅れた真琴の母親が腰を抜かしたのか地面にへたり込んでいる。


 なんであんな所に!?


 逃げることを諦めた人間はあいつらにとって格好の餌でしかない。


 餓鬼は手に持っていた女性を投げ捨て、真琴の母親の方に興味を示す。


「グギャァァァァ!」


 そして、弾けるように跳びその鋭利な爪の生えた腕を振りおろし。



「危ねぇ!!」



 真琴が母親と餓鬼の間に入り、振り下ろされた餓鬼の腕を刃で切り落とし、蹴りを入れる。


 腕を切り落とされ、バランスを崩した餓鬼はよろめき、地面に転がる。


「何ボサッと突っ立ってんだよ!ノロマが!さっさと逃げろ!!」


 隼人がそう叫ぶが、母親は動けない。


「え、あ……真琴……」


「早く!!」


 真琴の叱咤にようやく体が動くようになり、立ち上がってその場を離れる。


 俺も真琴の隣まで辿り着き、餓鬼と対峙する。


 この程度の餓鬼なら、真琴一人でも十分だろうが、人の多いこの限られたスペースでは、武器も限られてくる上に、戦いにくい。


「狂犬」


「グルルッ!」


 影から這い出た狂犬は大きく跳び上がって天井を伝って走り、餓鬼の腕に噛み付く。


「ギャギャァァァ!」


 狂犬は餓鬼の腕を噛みちぎり、飲み込む。


「真琴!」



 餓鬼は痛みで狂犬にしか注意が向かっていない。だから、狂犬が気を引きつけている間に。


「おっりゃあぁ!」


 真琴が振り上げた刃が餓鬼の首を刎ねた。


 ゴトンと首が重力に従って地面に落ち、餓鬼の体は力なく崩れ落ちる。


 その音で、逃げ惑う人が足を止める。


 安堵と、どよめきが広がり俺と真琴に視線が注がれる。


 俺は餓鬼の骸を狂犬に飲み込ませ、一息つく。


 それと同時に、


「今の何!?隼人、貴方……一体……」



 目が合う。


 両親が俺を見る目が、変わった。


 理解できないものを見るような、


「ごめん、母さん、父さん。俺、行かなきゃ」


 俺は両親から目を背ける。


 自分の息子が化け物だと知ったらどう思うか。


 そりゃ、怖いよな。


 もう、帰ってこれないかもしれない。こんな俺は受け入れてなんてもらえない。


「ちゃんと、帰って来なさいね」


「っ……」


 それでも、両親は俺を待っていてくれるのか。


「……ありがとう」


 帰る場所は、まだあった。


 だから、真琴にも帰る場所があるはずなんだ。


「真琴、先にエレベーターに向かってくれないか?すぐ追いつくから」


「はい、大丈夫ですよ。早く来てくださいね」


 俺は真琴に先に行くように指示する。真琴は俺の言葉に二つ返事で頷き、オフィスから出て行く。


 真琴が完全にいなくなるのを確認してから、オフィスを見渡して目的の人物の元に行く。


「あの、少しいいですか?」


 真琴の母親を呼び止めた。


「真琴を置いて家を出て行ったのには、何か理由があるんですよね?」


 どうしても聞いておかなければならない。


 この人が、自分の息子を簡単に捨てた非情な親か、家を出なければならない理由があって罪悪感を感じながらも家を出た息子思いの親か。


 見極めなければならない。


 真琴の母親は逃げるように目線をそらす。その姿はとても弱々しく、怯えと罪悪感に苛まれているように見える。


「本当は、何があったんですか?」


 真琴の母親は声を震わせながら、告げる。


「私、心の病気に……かかってしまったんです」


「精神病、みたいなことですか?」


 小さく頷く。


「はい。今は、療養が上手くいっていて落ち着いていますけど。


 あの頃は、あの子が憎くて憎くて仕方なかった。世界で一番愛しているはずのあの子が、世界で一番憎く感じてしまって。私はそれに耐え切れなかった。


 愛しているのと同じだけ憎くてて。いつしか、この子さえいなければ、私はこんな目に遭わなかったと考えるようになって……苦しいのも、痛いのも、辛いのも全部あの子のせいに思えてしまって……


 目が合うたびに真琴が私を嘲笑っているように見えて、私は……殺意を抱いてしまった!あれ以上一緒にいれば私はあの子を殺していた!最も愛しているはずのあの子を……私は!この手で!」


 真琴の母親は自分の震える手を見て、涙をボロボロと流す。


「だから、私にはもうあの子を愛してあげる資格なんてないのです。そんなことは勝手な言い分だと十分に分かっています。こんなことはただの言い訳だということも。


 どう言おうと、私があの子を置いていってしまったことに変わりはありません。けど、今日、あの子に一瞬でも会えて良かった。


 貴方みたいな友達がいてくれてよかった。


 大きく、育ってくれてよかった」


 真琴のことを語るこの人は、本当に真琴のことを愛していたのだろう。


 だから、耐えきれなかった。だから、側にいられなかった。


「そうですか……」


 それでも、よかった。




 俺は真琴の母親と別れて、真琴が待っているであろうエレベーターへ向かおうとオフィスを出ると、真琴が立っていた。


 今の会話、聞いていたのか?


 真琴は顔を上げずに真っ直ぐにエレベーターへ向かう。


「……」


「……」


 話しかけることはできない。



 俺も真琴も黙ってエレベーターに辿り着くと、真琴はエレベーターのボタンを押して振り返らずに、優しい声で呟いた。


「隼人さん。ありがとうございます」


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