第43話 時の旅人(5)


 次第に、父は僕を男として見なくなった。女として僕を扱い、太ももや腰を触るようになっていった。


 嫌悪感を抱きながらも、僕はそれを吐き出す術を知らない。


 拒絶することを知らない。


 ただ、己を押し殺して受け入れることしか知らない。


 いや、知らないじゃない。父に逆らう勇気が僕にはなかった。


 そして、あの地震が起こった日。父は僕を犯そうとした。


 その日、父は珍しく朝に帰ってきて、寝ている僕に突然覆いかぶさった。父は床に僕を組み伏せ、息を荒くさせながら僕の体を撫で回し、手をロープで縛る。


「お父さん……何を……」


 僕は、突然のことに混乱し、怖くて震える体を動かして逃げようと抵抗する。


 けど、ロープで縛られた手を強く掴まれ、脳裏に父から受けてきた暴力が浮かび、思考が上手くできなくなり体が動かなくなった。


 振り返ると、父は焦点の合わない目で僕を見て息を荒くし、舌なめずりをする。


「ひいっ……!!」


 きついお酒の匂いが顔にかかり、今まで感じたことのない強烈な嫌悪感を抱いた。


 だが、すぐにその嫌悪感さえも真っ黒な恐怖に塗りつぶされる。


 今から自分が何をされるのか、わかってしまうのが怖かった。息苦しさが増していき、父から目を離せない。


「あぁ……俺は本当は娘が欲しかったんだよ。けど、産まれてきたのは男だった。あいつは喜んだけどよぉ、俺はがっかりしちまったんだよなぁ。


 はぁ。違うんだよ。お前は女だろ?なぁ!なら、こんなもんいらねぇよな?」


 そう父は言いながら、僕の首を左手で締めて押し倒し、右手で太ももに触る。


 父の、僕を触る手が、気持ち悪い。


 父の手は太ももからゆっくりと上がっていき、お尻の方へと。



 やめて。いやだ。



 心の底から押し寄せる拒絶も、無駄な抵抗となる。


「やっ……めてっ……」


 首を締め付けられ、声が出ない。


 息ができない。


 苦しい。


 痛い。


 思考がまとまらない。


 言葉が絡まる。


 吐き気がする。


 目眩がする。




 汚い。汚い。汚い。汚い。汚い。




 頭の中が恐怖に支配され、無意識に救いを求めた。




 怖い。助けて。







 誰か。



 誰か。




 誰か。




 そのとき、カチリと。


 確かに頭の中で音がしたんだ。



 その瞬間、意識が身体から切り離されたように体の感覚がなくなり、目の前が真っ暗になった。


 鏡のように映る僕が目の前に立っていた。


 そして。声が聞こえたんだ。



「弱い弱い真琴くん。可哀想な可哀想な真琴くん。君に力をあげよう。といっても、これは君が元々持っている力だけどね。


 その力は、君が今まで抑え込んで来たものだ。本来の君だ。その力で君に壊せないものはない。けれど、大切なものまで壊さないことを、祈っているよ」


 その声が聞こえなくなると、僕は目の前の僕に手を伸ばし、触れた。


 その瞬間、そいつはニヤリと歯をむき出しにして笑い、僕の手を掴んだ。


「よう。俺。本当は怒鳴り散らしたいんだろ?


 本当は殴り倒したいんだろ?


 あのクソみたいな親父に好きなようにされて黙ってられないだろ?


 そうだろう?なぁ」


 そいつは僕にそう言った。


 でも、僕にはできないよ、そんなこと。僕にはやり方がわからない。


「なら。俺が代わりにしてやるよ」


 君が?


「あぁ。俺はお前だ。お前にできないことを俺はできる。お前に抱けない感情を、俺は抱いている。


 そのために俺をお前は求めただろ?


 だから、お前が今まで抱え込んできたものを、今度は俺が発散させてやる。一緒にぶちかましてやろうぜ、あのクソ親父によ」


 ……うん。






 そして、僕はギフトの力を手に入れた。


 気がつくと、目の前は明るくなり、父の姿が見えた。


 父はひどく興奮していて、


 今から僕が言うのは、僕の言葉じゃない。


 弱い僕の言葉じゃない。


 だから、怖がるな。恐るな。


 これは。




 俺の言葉だ。



「おい、その汚い手を退けろよ、このクソ野郎がっ」



 俺は、口を開けて言う。


「あ?」


「あ?じゃねぇよ!うっぜぇその手を退けろって言ってんだろうがよぉ!!」


 俺は勢いよく起き上がり、頭突きをかます。


 クソ親父はまさか俺に頭突きを食らわされるなんて思っていなかったのか、額をおさえて俺から離れ地面に座りこむ。


「うぐぅっ……!!」


 俺はその間に両腕を刃に変化させ、手を縛る縄を切る。


「ったく。いっつもいっつも俺にあんな格好させやがって、気持ち悪りぃ。吐き気がするぜ。俺は男だっつーの。


 もうてめぇのしょうもないママゴトには付き合ってらんねぇんだよ」


「お前っ!ふざけんじゃ……!なんだ?その手……」


 親父は俺の手を見て、顔をひきつらせる。


 俺がよく知ってる、恐怖に支配された顔だ。


「ほんっとにウルセェなぁ。少しは黙れねぇのかよ」


 俺が一歩近づくと、親父は壁まで下がり逃げようとする。


 近くにあったものを手当たり次第投げつけ、俺はそれらを切り落とす。



「この化け物がぁっ!」


 そう叫び親父が立ち上がった瞬間。大きく地面が揺れ、地震が起きた。




 激しい揺れに俺も親父も立っていられなくなり、しゃがむ。


 窓の外では建物が崩れる音や物が壊れる音が聞こえ、この家の家具や物が倒れ、食器や窓が割れていく。


 そして、目の前で親父の背後のタンスが倒れ、あっという間に親父はそのタンスの下敷きとなった。


 揺れが収まった後、俺は親父を助けるかどうか考えた。


 当たりどころが悪かったのか、血がタンスの下から流れ、父はピクリとも動かない。


 すぐにタンスを退けて治療をすれば助かったかもしれないが、俺はそうしなかった。



 心の底から、こんな奴はこの世にいない方がいいと思った。


 だから、俺は親父を見殺しにした。



「ははっ。呆気ねぇな」



 俺はその言葉だけ親父に投げかけ、制服に着替えて家を飛び出した。


 全てのものが汚く見えて、仕方がなかった。


 だから、汚くない場所を求めて。


 そして、辿り着いた先で。


 隼人さんに出会えた。







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