第8話 創造世界(2)


「クゥーン……」


「ごめんな……まだ、大丈夫」


 そんな俺に、狂犬はいつも決まって慰めるように体を摺り寄せてくる。


 狂犬の黒く、撫で心地のいい毛並みは、不思議な事に俺に安心感を与えてくれる。


 頭を撫でてやると、気持ちよさそうに頭を垂れて尻尾を振る。


 一見すれば普通の狼だが、こいつがあの化け物を飲み込んで食べたとは未だに信じられない。


「腹減ったろ。瓦礫でも食べにいくか?」


「ガウッ!」


 俺は壁に手を当てて支えながら立ち上がり、狂犬と共に瓦礫の山となっている東棟の一階まで歩く。たまにこうして瓦礫がある場所まで行き、狂犬に食べさせている。


 ここ数日で狂犬について、試してみて幾つか分かったことがある。


 まず、大前提として狂犬には実体がない。


 元は俺の影から生まれた獣で、姿形の大きさに制限はない。狼の形をしているのは俺が最もイメージしやすい姿だからだろう。


 しかし、まだ分からないこともある。実体がないはずなのに、なぜか俺はこうして狂犬に触ることができるし、狂犬に触れてその温もりや鼓動を掌に感じている。


 また、狂犬には自我があるようで、俺にとって敵だと認識したものへは容赦のない剥き出しの敵意を向け、俺が何も言わなくても勝手に動いて敵を排除することもある。


 そして、狂犬が飲み込んだものはどこかへ消える。言葉通り、狂犬の影に飲まれた物は跡形もなく消える。それは有機物も無機物も関係ない。


 試しに瓦礫を食べさせてみたら、躊躇うことなく食べた。


 この場合、食べたものは別の場所に転移したのか、それとも狂犬に消化器官があり消化したのか。


 実体のない狂犬に消化器官があるとは思えないが、その線は可能性としては捨てきれない。


 また、狂犬には俺の感情が伝わるのか、それとも感じ取っているのかは分からないが、俺の心境に寄り添うように振舞っている。狼というより、大型犬みたいだ。


 狂犬は生命活動において睡眠を一切必要としないようで、二十四時間休むことなく俺の側で守ってくれる。


 一番化け物に狙われやすい夜間は、影を俺を包む繭のように展開し、化け物から守り迎撃する。俺が今まで生きてこれたのも、狂犬のおかげだ。


 この数日で知ったことはこの位か。


 しかし、狂犬のおかげで夜に眠れたとしても、その眠りは浅く、悪夢を見ては目を覚ますため、眠れたという実感はほとんどない。


 日を重ねるごとに睡眠不足も重なり、十分に寝れていないせいか、全身が怠い。太陽が昇り、沈む度にその疲労は大きくなっていた。


 食べ終わると俺はまた階段を上がり、廊下に腰を下ろす。ここは他の廊下とは違って窓は割れておらず、雨が降っても吹き込むことがない。それに、行き止まりになっているため、壁に背を向けていれば前からくる化け物だけに気をつけていればいい。


「……」


 ただ、もうそろそろ座ることさえつらくなっていた。こうして座ってぼんやりと空を見つめていると、頭に靄がかかったように思考が鈍くなっていく。


 そして、夢と現実が入り混じる虚ろな視界の中、気がつけば目の前に千花が立っていた。


「……ごめんな」


 いるはずのない千花に語りかけるが、千花は答えない。


 俺は、謝ることしかできない。


 千花はしゃがみ込んで俺と目線を合わせる。その瞳は光を映さず、意志のない色を浮かべるだけ。


 俺は、千花の幻影を見る度に謝罪し、答えるはずのない千花に許しを乞う。




「ごめん……」



 千花の幻覚が俺の首に手を当て、両手で掴む。


 こんな物は幻覚に過ぎない。


 首筋を掴む手がどれ程首を絞めても、俺に痛みもなければ感触も体温もない。これは俺の頭の中で勝手に作り出した紛い物だ。


 けど、確かにそこには千花の意思があったように感じる。


 きっと千花は俺を許してくれないから。


 あぁ、そうか。


 なんでもっと早く気付かなかったのだろう。



 俺が死んだら。



 このまま死んだら。



 千花に会えるじゃないか。




 俺は側で丸まっている狂犬に目を移して命じる。




「狂犬」


「クゥン……」


「ここまで、俺を守ってくれてありがとう。でも、もういい。頼む、どうか俺を殺し……」


 そう言いかけた。





 刹那。




「待ちなさい!!!」



 懇願の言葉を遮るように、廊下の窓ガラスを蹴破り、一人の少女が入ってきた。







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