第36話 決意
「ヨーコさん・・・私、もしね・・・」
明音さんが、鈴木ちゃんの仕事が終わるのを待っている。
「・・・もし、彼と・・・そう、なれなくても・・・。」
「明音さん?」
「う・・・うん。わ、私、こっち・・・雫港に、越してきちゃおうかなぁなんて思ってるんです。いい町ですし、皆さん良い人ですし・・・ふふっ。」
健気な作り笑い。
「もし、鈴木ちゃんと一緒になれなくても?」
「は・・・はい。」
「・・・いいの?」
「い、イヤ・・・ですけど・・・。う~・・・イヤですけどぉ・・・。」
「ねぇ・・・?」
「イヤですけどっ・・・あぁっ、ご、ごめんなさい。」
急に大きな声を出したことに、自分でも驚いた様子。
「ふふふっ。ねぇ、鈴木ちゃんとなんかあったの?」
「いえ、何も・・・ないですけど・・・ホントに・・・。あの、ヨーコさん?」
「ん?」
「最近、彼に何かあったんでしょうか?」
「ん~、別に何もないわよ。いつも通り、朝から晩まで働き詰め。お弁当も残さず食べてくれてるしね。」
「そ、そうですかぁ・・・。」
彼女に、暗い顔は似合わない。
「何か・・・あったのね。」
「いえ・・・ただ、ここの所ずっと・・・少し、素っ気ないというか、距離を感じるというか、その・・・私・・・さ、避けられてるんでしょうか?」
「え、そんな事は無いはずだけど。」
「で、でも・・・め、目も合わせてくれないし・・・手も、握ってくれませんし・・・。」
「あら、鈴木ちゃんいつもそんなことしてるの?」
私のいないとこでは、結構大胆なのね。
「そ、それに・・・なんだか、モジモジしてるし・・・。」
「うん、それはいつも通り。」
「へ?あ・・・えぇ、そうですね。ふふっ。」
やっぱり自然な笑顔が一番。
「ねぇ、玉子焼き作りましょうか?」
「え、ふふっ、はいっ。お願いします。」
「取り越し苦労だと思うわよ。」
「そ、そうでしょうか・・・。」
玉子焼きをペロリと平らげた明音さん。
「鈴木ちゃんに限って、まさか浮気なんてことは無いだろうし・・・。」
「えっ、う・・・は、はいぃ・・・。」
「ふふっ。それに、明音さんのこと話してる時の鈴木ちゃん・・・ホントに幸せそうよ。」
「そ、そうなんですか?」
「えぇ。だから、心配はいらないと思うわよ。」
「は・・・はい。」
なんて話しているところに、真輝ちゃんが入ってきた。
「ヨーコさん、ちょっといいですかぁ・・・あら明音さん、いらっしゃい。」
「ふふ、お邪魔しています。」
「なぁに、真輝ちゃん?」
「あぁ、こんなの作ってみたんだけどどうかなぁって。せっかくだから明音さんにも味見してもらうかな。」
「あら、何でしょう?」
「えぇへへっ、いつものおからクッキーなんですけど・・・今回は少しザクザクした食感のをね、作ってみたんです。」
「あら、面白そうね。」
「えぇ。」
早速一枚いただく。これまでのものと違う硬い食感が小気味よく新鮮。噛むたびに香ばしさの向こうから大豆の香りが顔を出す。
「あら、これ・・・」
と、先に反応したのは明音さん。
「これ・・・アメリカでいただいたクッキーと食感が似てます。」
「アメリカのと?」
「えぇ。」
「あの・・・たぶん、それです・・・。」
なんだか申し訳なさそうな真輝ちゃん。
「それ?」
「え、えぇ。あの・・・参考にしたモノが、ありまして・・・。随分前ですけど、沖縄に旅行に行った友人がお土産にクッキーを買ってきてくれて、訊いたら本はアメリカのお店で国内には沖縄にしかないんですって。」
「ふんふん。」
「えぇ・・・で、あのザクザクした食感がちょっと忘れられなくって、真似してみようかなぁってやってみたんですけど・・・どうですか?」
「えぇ、この食感はよく似てると思います。ただ、もっと甘かったと思いますが・・・。」
「そうなんですよ。私には甘すぎたので、このぐらいにしておきました。」
「えぇ、私もこれくらいがちょどいいと思います。ふふっ、あれは甘すぎですよねぇ。」
「やっぱりそうですよねぇ、ふふふっ。」
なんだか楽しそうな二人。この二人の笑顔は、どことなく似ている。
「でもさぁ。そのお店、沖縄にあるんなら横須賀辺りにあってもよさそうよねぇ。」
「ふふふっ・・・」
思わず噴き出した感じの明音さん。
「私・・・ヨーコさんのそういうところ好きです。」
「あぁっ、分かるぅ。」
と真輝ちゃん。
「え・・・ん?私、変なこと言った?」
「いぇ、そうじゃないですけど・・・ねぇ。」
「えぇ、ふふふっ。」
目を合わせてほほ笑む二人。
「ん、なに?何か、企んでる?」
そこに鈴木ちゃんが入ってきた。それも、やたら緊張した面持ちで。
「あぁ鈴木ちゃん、聞いてよこの二人がさぁ・・・。」
と、かけた声が鈴木ちゃんの緊張感に吸い込まれる。
「あ・・・あの、明音・・・さん。」
「・・・は、はい。」
空気がピーンと張り詰める。察した真輝ちゃんが、
「あ、私・・・お邪魔、かなぁ?」
と出ていこうとすると、
「あ、いえ。真輝ちゃんも、いてください。」
鈴木ちゃんが制した。
「あの・・・明音さん。」
「・・・はい。」
この入り込めそうもない空気を、真輝ちゃんと二人で見守る。
「明音さん。」
「はい・・・。」
「き・・・きょ、今日は・・・あ、あの・・・。」
「・・・はい。」
「お・・・お渡ししたいものが・・・あ、ありまして・・・。」
「は・・・はい。」
おもむろにポケットから取り出し、明音さんの前に置いた。
「これ、は・・・。」
鍵。
「あ、明音さんっ。」
「は、はいっ。」
「ぼ・・・ぼ、僕と一緒に、こ・・・この雫港で、い・・・一緒に、暮らしてくださいっ。」
「え・・・っ」
明音さんの視線が、鈴木ちゃんと鍵とを何往復もする。
「あの・・・」
やがて明音さんの表情が笑顔で満たされ、
「は・・・はいっ、よろしくお願いしますっ。」
同時に涙があふれた。
「ねぇ、鈴木ちゃん・・・」
手の上に鍵を乗せて幸せそうに微笑む明音さんの横で、真輝ちゃんの新作をポリポリやってる鈴木ちゃん。
「普通こういう時ってさぁ、給料3か月分とかのさぁ・・・ほら、アレなんじゃないの?」
「そ、そうかも・・・しれませんけど。」
「そうよ、鈴木ちゃん。」
真輝ちゃんも加勢。
「で、ですけど、僕の給料の3か月分なんて、そんな・・・そんな大したことないですし、それに・・・」
一度明音さんに視線を送ってから、
「それに・・・こ、これからの人生で、一番大事なものを、お渡ししたかったので。」
なんてカッコイイこと言いやがった。
「あ・・・あ、明音さんは、それでいいの?」
「えぇ・・・はい。とても・・・とても大切なものを、いただきました。」
その微笑みがなんとも眩しい。
「ヨーコさん、真輝ちゃん。」
「は、はい・・・。」
「はい・・・?」
「改めまして。私は・・・今日から、この雫港の女になります。どうか、末永くよろしくお願いします。」
「えぇ、こちらこそ。」
「ふふっ、よろしくお願いしますっ。」
春風のような爽やかさが『ハマ屋』全体を包み込み、二人の門出を清々しく祝福・・・
「あぁあのっ、まだ・・・なんです。」
・・・の空気を切り裂く鈴木ちゃんの声。
「え・・・まだ?」
「え、えぇ。まだ・・・なんです。」
「な・・・なによ鈴木ちゃんっ。一緒に暮らそうって言ったり、まだだって言っ・・・そもそも、その鍵どこの鍵よっ。」
さっきからずっと気になってたのよね。
「あ、そういえば・・・。」
と真輝ちゃん。続いて明音さんも、
「あぁ、そうですねぇ。これは・・・どこの?」
と、少し意地悪な表情。
「あ・・・の、この鍵はですねぇ・・・あの、ウチで管理している空き家の物で・・・。」
「え?『空き家』の鍵なの?」
「え、えぇ・・・あの、それをですねぇ。棟梁に今、改装をお願いしていまして、あの・・・。」
なるほど、ここ最近棟梁とコソコソやっていたのはコレか・・・。
「あの、その改装にですね、もう2週間ほどかかりそうなので・・・そ、それまでもう暫く待っていただくことになるのですが・・・。」
申し訳なさそうに小さくなる鈴木ちゃんを、本当に幸せそうに見つめる明音さん。
「そ、それならさぁ鈴木ちゃん。その改装が終わってからにした方が良かったんじゃない?」
「そう・・・なんですけど・・・でも、もう・・・これ以上、お待たせしたくは、なかったので・・・。」
「ん~・・・もうっ、マイペースなんだかせっかちなんだかよく分かんないなぁ・・・ねぇ、明音さん。」
「うふふふっ、はいっ。」
鍵を両手で包むように持ち、ニコリと微笑む彼女を見て「やっぱり鈴木ちゃんにはもったいないなぁ・・・」なんて、不謹慎にも思ってしまった。
「鈴木ちゃんっ。」
「は・・・はい。」
「大事にするんだよ。」
「はいっ・・・一生、大切にしますっ。」
「あら、言いましたねっ。聞きましたよ、聞きましたよぉ。」
と鈴木ちゃんの顔を覗き込む明音さんが、
「ふふ、私だって・・・」
そのまま鈴木ちゃんの頬にキスをした。
「まぁっ。」
思わず声を上げてしまったことをごまかすように真輝ちゃんの方を見ると、丸い目をパチクリさせていた。
すっかり日も暮れ、鈴木ちゃんは明音さんを送っていった。
「先、越されちゃったわね。」
今は、真輝ちゃんと二人並んで後片付け。
「へっ・・・え、なんです?」
すでに暖簾は引っ込めてある。
「ふふ、だから・・・鈴木ちゃんに、先越されちゃったわね。」
「え、ええ・・・はい。」
カチャカチャと食器を洗う音。
「やっぱり・・・私から、言わなきゃ・・・かなぁ?」
「そりゃぁ・・・うん、源ちゃんにそれを期待する方が難しいんじゃない?」
「そう、ですよね・・・やっぱり。」
「うん、女は度胸っ・・・ね。ふふっ、はいっお片付け終わり~。」
手際の良い真輝ちゃんと一緒だと、作業がはかどる。
「あの・・・ヨーコさん?」
「・・・ん?」
「あの・・・ず、ずっと・・・雫港に、いてくださいね・・・。」
「ん・・・ふふっ。えぇ、もちろんそのつもりよ。」
波の音が、今日はとても穏やかだ。
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