第33話 赤い放浪者

 なんだか深く眠れず、夜明け前の少し前に目が覚めてしまった。

 窓を開けて港の方を見ると、すっかり顔馴染になった漁師たちが漁に出ていくところだ。

「無事に帰って来るんだよ。」

 なんて呟いたところで聞こえるはずもないが、この光景を見るといつも心配になる。

 私もすっかり『港の女』になってしまったってことかな。


 休漁日の前日は大抵、漁師たちが『ハマ屋』に集まり酒盛りに興じる。これは、慰労の会であったり、決起集会であったり、またお互いの意見のすれ違いを解消するための会だったりする。

 今日も『ハマ屋』に漁師たちが集まっている。

「あれ、ねぇ源ちゃんどうしたの?」

 いつもその輪の中にいる源ちゃんの姿が見えない。

「あぁ、もうすぐ来るよぉ。」

「そう、それならいいのよ。」

 と言い終わらないうちにガラガラっとデカい音を立てて源ちゃんが入ってきて、何やら大きな荷物をカウンターにドンっと置いた。

「ヨーコ、これでなんか作ってくれ。」

「ん?なにこれ。」

 大小様々な赤いしゃくれ顔が並んでいる。

「あぁ、ホウボウだよ。」

「ホウボウ?・・・コレが。」

 名前は聞いていたけど実際に見るのは始めてだな。噂通りひょうきんな顔立ちだ。

「どうしたのよコレっ。」

「どうしたの・・・て、見ての通り数も大きさも揃わないでいたのをさ、『持ってけ』っていうからもらってきたんだ。な、だからこれでなんか作ってくれって。」

「それなら構わないけど・・・あぁ、その前に美冴ちゃん呼んできて。」

「あ~、さっき声かけたからすぐ来るよ。」

「あら、準備が良いわねぇ。」

「あぁ、いつもの事だからなぁ。」

 そう言って漁師たちの輪に入っていった。

「ふふっ、それにしても・・・。」

 改めてまじまじと見ると、

「不思議な生き物だなぁ・・・。」

 なんて思ってしまう。

 話によると泳ぐのが得意ではなく、足に見えるヒレで海底を歩いているのだそうだ。

「こんな赤いのが海底を歩いてたら目立つんじゃないかしらねぇ。・・・わっ。」

 大きなヒレを広げて驚いた。内側に鮮やかな色でキレイな模様が描かれており、見事なコントラストが鮮烈な印象を与えてくれる。

「あんた、つくづく変わりもんねぇ。」

 赤い体で海底を放浪する姿が、頭にネクタイを巻きヨタヨタ歩く酔っぱらいのおじさんの姿と重なり、愛らしさすら感じる。

「むふっ。でも美味しく食べてあげますからねぇ。」

 とは言ったものの、どうしたもんか。

「ねぇ源ちゃん、これどうするのが美味しいの?」

「んぁ~それかぁ?なんでもいけるよ、生でも焼いても揚げても。」

「そう?じゃぁこっちで勝手にやるわよぉ。」

「おぉ、そうしてくれ。」

 『おぉ、そうしてくれ。』って、私ぁあんたの嫁さんか。ふん、まぁいい。さぁて、じゃぁこの大きいのはお刺身にして、こっちのちっちゃいのはお腹を出して唐揚げかな。で、この中くらいのは・・・うん、塩振って焼けばいいか。よしっ、いってみよう。

「よいしょっ、ヨーコさんお待たせ~。」

 いつも通り元気よくやって来た美冴ちゃん。

「うわっ、なんかブッサイクなのがいるぅ。」

「こぉら、『ブッサイク』とか言わないの、これから美味しく食べてあげるんだから。それより、みんなにお酒出してやって。」

「はぁ~い。」

 うん、良い返事もいつも通り。


 なにやら漁師の一人が新しく入れた魚群探知機の自慢をしている。

「スゲ~くっきり見えるんだぜぇ。海底のデコボコはもちろん、泳いでる魚の形まではっきり画面に映るんだ。」

「ウソだぁ~、魚の形まではさすがに見えんだろ~。」

「ホントだってぇ、じゃぁ今度見に来るか?」

「おぉ、見せてもらおうじゃねぇか。」

 楽しく呑んでるようでなにより。

「はぁい美冴ちゃん、お刺身あがったよ~。」

「は~い。」

 海底を放浪しているわりには、プリッとした食感で美味しかった。もっとメタボ体系かと思ったけど・・・はい、一切れつまみ食い。

 さて次は・・・うん、塩焼きを先にやろうかな。

 お腹をキレイにしてから塩を振る。ヒレには多めに振ることでカリッとした仕上がりにできる。あの印象的なヒレを開いたまま焼こうと試みたけど、「半開き」な仕上がりになってしまったのがちと悔しい。

「美冴ちゃ~ん、焼けたよ~。」

 見ると美冴ちゃんも一緒になって呑んでいる。

「ん?あ、はぁ~い。」

「もう、あまり呑みすぎないでよ。」

「えへへっ。は~い、程々にしま~す。」

 返事だけは良い美冴ちゃん。

「さぁて、あとは唐揚げだな。」

 こちらもお腹を出してから軽く塩を振り、片栗粉をまぶしていく。ヒレの間の細かいところまで付けたら、余計な粉は落としておく。

「なにか『あんかけ』みたいのがいるかな?・・・うん、そうだね。」

 お刺身にしたときに出たアラで取り急ぎ出汁をとる。

「う~ん、もっと早く気が付くべきだったなぁ。」

 もっとじっくり時間をかけてとりたかったけど、仕方ないグツグツ煮出す。

「多少雑味があった方が、アクセントになっていいんじゃないかな?」

 なんて言い訳しながら、先に出したものの具合も気になる。

「ねぇ源ちゃん、焼き具合はどう?」

「ん?あぁ、いい具合だよ。」

「塩加減は?」

「ん、あ~・・・ちょっと薄いかぁ?」

「あれ、そうだった?じゃ次のはちょっと濃いめにするわ。」

 コッチのあんかけは濃いめにしておいてやろう。

 いい加減煮出したところで味見すると、充分に旨味を引き出せている。

「うんうん、意外と悪くないじゃないっ。」

 醤油でちょっと濃いめに味を調えていく、とろみをつけるのは揚げてからにしよう。

「ヨーコさん、お刺身のお皿空きましたよぉ。」

「はぁい、じゃぁ次いくわよ~。」

 さぁ、揚げるぞ。

 魚を揚げるのはもう慣れたもんだけど、初めての魚は少し緊張する。まぁ、中まで火が入っていれば文句は言わないだろうし、あんかけにすることを考えればカリッと揚げておくほうが良い。

「よ~し、こんなもんかなぁ。」

 頃合いを見て上げ、とろみをつけたあんを一気にかけていく。ふっふっふ、我ながら見事な手際の良さ。

「美冴ちゃ~ん、揚がったよぉ。」

「はぁ~い。あ~、あんかけになってる~っ。私も一つ食べていい?」

「ふふっ、ダメって言っても食べるつもりでしょ?」

「あら、バレてる~。」

「ふふふっ、ほらジュワジュワいってるうちに持っていって。」

「はぁ~いっ。」

 漁師たちの輪の中ですっかり赤い顔をしてる美冴ちゃん。


 飲み会がお開きになっても源ちゃんは居残り。真っ赤になって漂っている美冴ちゃんの代わりにお手伝いさせている。

「ねぇ源ちゃん、ホウボウってその辺でも釣れる?」

「あぁ、結構そこらであがるよ・・・って、港からか?」

「そう、そこから糸垂らしても釣れる?」

「いやぁ~、それは無理だろ~。もっと深いとこにいるからなぁ。」

「あら~、そうなの?」

「ん?なんだぁ、気に入ったのかホウボウ?」

「え、えぇ。刺身も良かったけど揚げたのも美味しそうだなぁって。ねぇ、その辺で釣れるんなら自分で釣ってやろうかと思ったんだけどね。」

「ははっ、残念だったなぁ・・・あ、じゃぁ今度船に乗っけてやろうか?」

「バカ言わないでよ、私みたいな素人が乗ったら邪魔にされるだけでしょ?」

「いやぁ、そうじゃなくてさぁ。ホウボウ釣りに船出してやろうかって。」

「え?あ、いいのよぉそこまでしてくれなくても。燃料代だってバカにならないんでしょ?」

「いや、すぐそこならそんなでもないさ。それに・・・いつも世話になってるヨーコの頼みなら、そんぐれぇなんでもねぇさ。」

「ん~、そう言ってくれるのは嬉しいけど・・・うん、やっぱりそこまでしてくれなくていいわよ。」

「も~、そんな遠慮すんなって。俺とヨーコの仲だろぉ。」

「ん、どういう仲なのよ・・・。あっ、あんたまさか船の上で二人きりになって変なことしようとか考えてるんじゃないでしょうねぇ。」

「はぁっ?ば、バカそんなんじゃねぇってぇ。俺は単にだなぁ・・・ん~、もうヨーコのバカぁ。」

「ん~・・・お兄ちゃぁん、ヨーコさんに手ぇ出したらぁ、一生許さないからねぇ~・・・。」

 起きてるんだか寝てるんだか分からない状態の美冴ちゃん。

「ふふふっ、しょうがない子ねぇもぅ。ねぇ、こっちはもういいから連れて帰ってあげて。」

「あ、あぁ。ったくしゃぁねぇなぁ、おい・・・おぉい美冴っ、ほら帰るぞ。も~、これじゃ手伝いに来たんだかなんだかなぁ。」

「は~ぁい、お手伝いの美冴ちゃんでぇ~す。」

「ほ~ら、もう帰るぞぉ。じゃぁ、ヨーコ。船がいるんならいつでも出してやるんだから、言ってくれよな。」

「え、えぇ分かったわよ。」

「も~、お兄ちゃんのスケベぇ~。」

「バカ、そんなんじゃねぇよ。」

「ヨーコさん、おやすみなさ~い。」

「はい、おやすみなさい。ちゃんと歯磨いてから寝るのよぉ。」

「はぁ~い。」

 源ちゃんに担がれて美冴ちゃんは帰っていった。


 さぁて、明日は私も休みだし換気扇の掃除でもしようかな。キレイに使わないと神棚の上でニッコリ笑ってるおやっさんに怒られちゃうもんね。

「ちゃ~んと『ハマ屋』がこれからも愛されるように、大切に使いますからね。」

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