第32話 肉を食べたい・・・

「あ~ぁ、今日はダメな日かぁ。」

 坊主に終わるときもある。

 棟梁が新たに作ってくれた小エビに似せた疑似餌で先日、小振りだが美味しいカレイが釣れたので「よぉし、今日もっ。」と意気込んだのだが、そう易々とは釣らせてくれず「最後の一振り」と決めた一投も空振りに終わってしまった。

「スッカラカンかぁ~。」

 空のポリバケツがポカ~んと口を開けている。


 トボトボと『ハマ屋』へ戻ると、それに合わせたように美冴ちゃんが滑りこんできた。

「わっ、なに美冴ちゃん、どうしたの?」

「し~っ、ヨーコさん、し~・・・。」

 あたりを見渡しながら、そ~っと戸を閉めた美冴ちゃん。

「ねぇ、ヨーコさん・・・。」

「な・・・なに?」

 私もつられて小声になる。

「お願い・・・。」

「・・・ん?」

「私と・・・共犯になって。」

「えっ?きょ、共犯って美冴ちゃんなにを・・・。」

「し~っ!ヨーコさんコレっ・・・コレ、一緒に食べて。」

 コンビニ袋を手にしている。

「コレ・・・って。」

 中にはレトルトのハンバーグが、ふたつ。

「お願い、一緒に食べて。」

「ハン・・・バーグ?」

「うん、ハンバーグっ。」

「え・・・いいけど、なんでハンバーグ?」

「だって、私だって・・・たまには、お肉食べたいもん。」

 こういう時の美冴ちゃんって、妙に子供っぽい表情をする。

「う、うん。それなら別にこんなコソコソしなくても、素子さんに『今日お肉にして~』って言えばいいじゃない?」

「そ、そうもいかないのよ。ねぇ、だって・・・やっぱり漁師の娘が『お肉食べたい』なんて・・・こんな親不孝ないじゃない。」

「そんなこと・・・考えすぎよ。」

「そ・・・そう、かなぁ?」

「そうよ~。」

「ん~・・・でも、お父さんの前じゃ絶対こんなこと言えないよぉ。ねぇだからお願い、共犯になってぇ一緒に食べてぇ。」

「ふふふっ。もう、カワイイんだから・・・ん、分かりましたっ。その代わり・・・この借りは大きいわよ。」

「ん~っ、ありがとうヨーコさん。」


 お鍋に多めのお湯を沸かして、パックになってるハンバーグをドプンと入れる。このまま五分くらい入れておけば充分だろう。

「ねぇ美冴ちゃん、なんでウチまで持ってきたの?」

「ん?」

「あぁ、ほらぁ『外で食べてくる』って事もできるはずだけど?」

「う~ん、それもそうだけど・・・。やっぱり、ひとに見られるのイヤだもん。ねぇ、知ってる人に会って『アイツ漁師の娘のくせして外じゃ肉食ってるんだぜ』なんて言われたくないじゃん。」

「そんな事、言う人いる?」

「いないとも限らないでしょ?それに、ほら『アイツが外で肉食ってるのは親父の腕が悪いからだ』なんて言われたら・・・私、イヤだもん。」

「ふふふっ。もう、考えすぎよ美冴ちゃん。よっぽど根性ひねくれてるヤツでもそこまでは言わないって。」

「う~・・・、そうかなぁ~。」

「ふふっ、もう。美冴ちゃんは本当に船長の事が好きなのねぇ。」

「ん?うん、だってお父さんだもんっ。」

 よくまあこんなにも素直に育ったもんだ。

 お鍋の中でハンバーグがブクブクいっている。


「ご飯どれぐらいにする?」

「あ、ヨーコさんごめんなさい、ご飯はいらないんだ。晩御飯入らなくなっちゃうから。」

「ハンバーグだけでいいの?」

「うんっ。」

「まぁ、そこまでして食べたいの?」

「むふふっ。」

「もう、美冴ちゃんったらカワイイ。」

 充分に温まったハンバーグを皿にあけると、

「あらぁ、いい香り~。」

 美味しい洋食屋さんの匂い。

「あ、ねぇ美冴ちゃん、これ匂いでバレないかしら。」

「え?あぁ~っ、ダメっ。ヨーコさん換気扇止めて~。」

「はいはいはい。」

 慌てて換気扇を止めてから、あらためてお皿を美冴ちゃんの前へ。

『ハマ屋』がすっかり洋食屋さんの匂いで満たされている。

「ん~・・・あぁ、いい匂い~。コレよぉ、この匂いをたまには嗅がなくちゃ。」

 ハンバーグに鼻がつきそうな距離で匂いを嗅ぐ美冴ちゃん。

「ふふっ。じゃぁ私はこれで晩御飯にしちゃいましょ。」

 茶碗にご飯をひと盛り・・・あ、付け合わせ・・・まぁいいか。

「ふふ~ん、これでヨーコさんも共犯ね。」

「むふっ、高くつくわよ~。」

「ふふふっ。じゃぁ、いただきま~す。」

「はい、いただきます。」

 まぁなんでしょう、この箸を入れただけで感じる『本格派』感。ふっくらと柔らかく、割れ目からは肉汁がにじみ出てくる。

「ん~、美味しい~っ。」

 ひとあし先に頬張った美冴ちゃんが、歓喜の声を上げる。

「コレよ~、やっぱりお肉よ~。」

「ふふっ、じゃぁ私も。」

 一口入れてみて・・・うん、美味しい。お肉の味も活きているし食感もいい、ソースとの相性もバッチリだし、何より・・・ご飯によく合う。

「ねぇ、美冴ちゃん。コレ、コンビニのよねぇ。」

「ん?ふん。」

 口いっぱいに頬張ったまま答える。

「ふふふっ。これじゃぁ、町の洋食屋さんは大変ねぇ。コレがいつでも買えちゃうんだから。」

「う・・・ん、はぁ。ありがたい時代になりましたぁ。」

「でも、だからって度々持ってこられたら私だって黙っていられないわよ。」

「あ~っ、それ反則~、契約違反~っ。」

「はははっ。それならコソコソしてないで堂々と家で食べたら?」

「ん~・・・それだと・・・。」

「もう、気にしすぎだと思うわよ。ねぇほら、野菜嫌いな農家さんだっているくらいだし。そもそも、美冴ちゃんとこは代々床屋さんでしょ?」

「あ、そうだった・・・。」

「ね~。それにほら、素子さんだって案外『肉食女子』かもしれないし。」

「あ~、あるかも・・・。」

「ねぇ、家ではお肉は出ないの?」

「ん~・・・うん、記憶にございません。」

 美冴ちゃんは時々オジサンくさい時がある。

「ふふっ。じゃぁ、素子さんも気を使ってるのかもね。素子さんは船長にゾッコンだから。」

「うん・・・ん?・・・ゾッコン?」

「うん、ゾッコン。・・・あぁ『とことん惚れ込んでる』ってことね。」

「あぁっ、そういうことぉ。」

 う、伝わってなかった・・・。今の子は『ゾッコン』なんて言わないのね。オジサンくさいのは私の方か・・・。

「じゃ、じゃぁ今度素子さんに話してみたら?あ、それとも今から言う?」

「あ~、それはダメぇっ。せっかくの美味しい気分が台無しになったらイヤだから、今日は黙っておいてぇ。」

「ふふふっ。はいはい、じゃぁ今日は女同士の秘密ね。」

「ふふっ、共犯だからねぇ~。」

「はいはい。」


 食器を片付けても『ハマ屋』には洋食屋さんの匂いが漂っていた。

「ねぇ、美冴ちゃんはどう思う?」

「ん?」

「真輝ちゃんと源ちゃんの事。」

「あ~、真輝ちゃんがず~っとお兄ちゃんのこと好きなのに、お兄ちゃんがそれに全然気付かない問題ねぇ。」

「うん、そう。」

「はぁ・・・真輝ちゃんが奥手すぎるんだか、お兄ちゃんが鈍感すぎるんだか・・・。もぉ~、そばで見ててじれったいったらありゃしない。」

「ホントよぉ・・・。ねぇ、美冴ちゃんとしてはどうなの?幼馴染と自分のお兄ちゃんが・・・うん、もしかすると、結婚するかもしれない・・・って。」

「う~ん・・・。そりゃぁ、真輝ちゃんには幸せになってほしいし、お兄ちゃんには早くお嫁さんもらってほしいけど・・・。う~ん、ふたりはお似合いだとは思うけど、ホントにお兄ちゃんでイイのかなぁ、とか・・・。う~ん、ず~っと家族みたいにして育ってきてぇ・・・。」

 直感型の美冴ちゃんが珍しく考え込んでいる。

「う~・・・ん?うんっ、そっか、変わらないんだっ。」

「ぅん?」

「変わらないのよヨーコさんっ。これまで『家族みたい』だったのが『家族』になるだけなんだから、これまでと何も変わらないのよぉ。そうなのよ~。」

 なんだか一人で納得している様子。こういう時の表情、素子さんそっくり。

「あぁ~・・・そ、そうよねぇ。ふふふっ。」

「そうよぉ、何も変わらないのよ・・・。あはっ。あ~っ、それが分かったらスッキリしたぁ~。」

「ふふっ、じゃぁ安心して背中を押してあげられるわね。」

「むふふっ、うんっ。・・・あっ、でもそうなったら私・・・真輝ちゃんのこと『お姉ちゃん』って呼ばなきゃなのかなぁ?」

「ん?それも今まで通りでいいんじゃない?」

「あ、そ、そうよねぇ。はははっ、そうよ~。ふふっ、あぁ~スッキリしたらおなか空いたぁ~。」

「あははっ、もう。素子さんが晩御飯作って待ってるわよ~。」

「んぁ~、お家帰ろ~。ヨーコさんご馳走様でした~。」

「いやぁ、こちらこそ。美味しいハンバーグご馳走様でした。」

「あっそうだ、ヨーコさん。共犯だからねぇ。」

「はいはい、分かってますよ。」

「じゃぁヨーコさん、またねぇ。」

 と、来た時とは打って変わって豪快な音を立てて美冴ちゃんは帰っていった。


 炊飯器に残ったご飯をおにぎりにしておく。業務用の炊飯器で一人分を炊くのはなかなか難しい。かと言って、自分用に小型の炊飯器を買うってのもそれはそれで無駄な気もする。

「よしっと。明日の朝はこれにお味噌塗って焼きおにぎりにしましょっ・・・むふっ。」

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