逃走 (xix)

 トムとジェリーは、一八の両親が熱狂的なファンだった。

 なれそめからして、出会いのきっかけだったと聞いており、一八も幼いころにと見せられた。が、ひたすら猫とネズミが追いつ追われつを続けるだけで、退屈でしかたなかった。

 妹も食傷気味ではあったようだったが、兄ほどはうんざりしておらず、親から「これを楽しめない子供がいるなんて」と首をかしげられた。たぶん、自分は普通の子供とは違っていたんだろう。


 ほかのアニメや子供番組を見たがっても、トムとジェリーのすばらしさを息子に説きたい両親はただでは見せてくれず、同作品のDVDを視聴した時間と同じだけ許可を得られた。見たくもないアニメを延々と見るのは苦痛でしかたかった。それは一八が小5の夏まで続いた。


 その年の夏休み、家にあるDVD全巻の視聴を義務づけられた一八は、友達との遊ぶ約束もしづらく、いらいらしながら、逃げるネズミと追いかける猫の姿をながめていた。


 ネズミが猫を挑発する。ゴールの前にサッカーボールが置いてある。猫は怒って突進し、思いきりボールを蹴りつける。が、ボールはサッカーボールの模様に塗られたボーリングの球で、猫の体は衝撃でばらばらに崩れ落ちる。もう何十回見たかわからないシーンだ。


 間の悪いことにちょうどその日は、少年団の地域対抗試合のある日だった。

 一八も出場する予定で、午前の視聴義務ノルマを夜に変更してもらっていた。だが前日、次の日の試合に向けて熱の入ったコーチにより練習が延び、帰りが夕暮れになってしまう。

 門限にうるさい親は、一八が事情を話しても聞き入れず、罰として1週間の外出禁止を言い渡し、その間、3倍の視聴ノルマを課した。


 せっかくの夏休みに1週間も遊びに行けず、見たくもないアニメを見せられ、楽しみにしていた試合には出られない。

 サッカーのシーンが一八の心に刺さる。

 今ごろ、チームのメンバーはコートでボールを追いかけているんだろう。自分だけがひとり、部屋で画面のなかの、追いかけっこをながめている。

 サッカーボールと思い込んでボーリング玉を蹴りつけ瓦解する猫に自身が重なる。

 次の瞬間、一八はリモコンのトレイ開閉ボタンを押していた。

 再生が停止され、ディスクが排出される。

 おもむろに彼は立ち上がり、DVDプレイヤーに向かった。

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