第一部 アヴソウル·コロ

第一章 陥落

1.グリマラエレメンタルスクール

 銀髪の青年は知っている。十数年かけてマルーリが指揮し、造り上げた、布に隠された大きな建物のことを。

 山の麓に広がる異形の森に建てられた以上、この建物のことは、造ったマルーリや、設計したフヨウ以上に知っている。

 この銀髪の決定一つで、この建物は壊せる程のものだ。だが、この建物が建てられる目的は、銀髪にとっては別に不快なものでもなかったし、むしろ賛成だった。

 自分の育った家が現在は灰やら炭やらの残骸だらけになっている間、ログハウスにこもってシルヴィアは、建物が出来上がっていくのを感じていた。


 ある雨の日、黒い森のほうから誰かがこちらのほうに向かっているのを感じた。また同時に空に浮かんでこちらに向かってくるものも感じた。

 建物の工事が始まる前に、送られてきたマルーリの手紙を引き出しに隠して客人を出迎える準備をした。飲み物を淹れるために湯を沸かし、ティーカップと少しの茶菓子を用意した。

 二人の客人は迷うことなくまっすぐにログハウスにつき、シルヴィアより先に互いの顔を見た。

「サトム、君もか」

「私はあなたの方に用があるのでここでもいいんですけど」

「いえ、私はシルヴィアに用があるので。きっともう待ってるだろうし」

 マモリがドアノブを開けるより早く扉は開いた。


「久しいな二人とも」

 サトムとマモリは、吸い込まれるように自然に机を挟んで向かい合って座った。

「今日は何の用だ」

「私はシルヴィーに、サトムは私に」

 シルヴィアは静かにサトムの方を見た。

「普通にマモリを訪ねればいいではないか」

 サトムは首を振ってから、マモリを指さした。

「こいつは、私が話をしに行こうとすると、必ず跡形もいなくなる。だから部下に見張らせて、ムッロの家にこいつが来るのを待っていたんだ」

 マモリは無表情で、サトムの手を下ろさせた。

「それは悪かった。シルヴィー、先にサトムに話をさせてやってくれ」

 シルヴィーは席を外して、一つ奥の豪華なソファーに横になった。


「さて、マモリ。あなたは何を隠してる」

 マモリの上に結んだ髪がピクリと動いた。

「なんのことかな」

「とぼけるな。わざわざ森に移り住んで、ムッロにバレないよう、家をコンクリートで固めて、呪文を書いて、何か隠している証拠だろう」

 マモリはシルヴィアを少し見てから、サトムの閉じた目を見て答えた。

「私がフヨウを隠しているとでも?」

「違うのですか」

「全く。フヨウとは別物だ。詳しくは言えないけどね、ツキヨにはバラしたくない子だ。だから森に移った。」

「ちょっとまった」

 シルヴィアがソファーから手をあげ、話を遮った。

「マルーリか?」

「いや、べつだ」

 シルヴィアは眉間に皺を刻んでから、ソファーに座りなおした。

「あなたがムッロに言いたいことは?」

「ん、マルーリが明日あそこで式典をするそうだ。それを伝えに来た。サトムにはもう伝えただろ」

 サトムは立ち上がり、身に着けたローブを少し直してから外に出て行った。マモリはシルヴィアの方に向き直し言葉を付け加えた。

「新しい王の名は、アヴソウル・コロ。一部にしか知らせていない。」




 翌朝、シルヴィアは建物から布が消えていることに気が付いて、大きな音を立てて飛び起きた。森中に張り巡らされた、木の根の上にマモリが立って布を跡形もなく消している。音に気が付いたのか、シルヴィアの寝室の外からも音がした。

 そとから

「姉さん大丈夫?」

「ドラコ、出かける準備をしなさい。」

 普段足を上のカーテン掛けにかけて逆さまにぶら下がって寝ていたシルヴィアは足の間からドラコに指示した。それに比べ寝相のいいドラコは首から伸びた触手で跳ねた髪を撫でつけながらその場を去った。



 まだ痛む足首をいたわりながら、建物への道を進んだ。片手には赤い液体が入ったコップがストロー付きで握られている。まだ日は、高くなく、人もマモリとマルーリ、それからシルヴィアは逢ったことがない人物ぐらいしかいない。ストローに口をつけながらシルヴィアは今日王になる人物のことを考えた。

 アヴソウル・コロ、コロか…どこかで聞いたんだが、いったいどこだったか。

 その人物が森に来たことも覚えていなかったし、来たはずなら足の形、体重で覚えていたはずだ。

「あの子がついに王座につくんだよねー、なんというかあっという間じゃなかった?姉さん」

「その記憶はお前だけにあるようだな。私は顔も髪の色も分からん」

 ドラコは目だけを大きくさせ、姉の言葉に驚きを表現させて見せる。

「先代より、こう髪が長くて、目の大きさはおんなじなんだけど、瞳がこう、縦長だったよ。まあほとんど先代とおんなじ顔だった」

 シルヴィアはストローを噛んで、首をひねって見せた。そのまま足取りは早くなり、ドラコが走り出すほどになった。シルヴィア自体の足の動きはそれほど早くはなかったが、シルヴィアの足元が道に沿って川のように流れていた。不親切に、ドラコにはしなかった。

 ドラコは黒マントに足を取られながら、シルヴィアの後についてきた。

「なんで、うちの父さんって僕に黒マントを正装を着るときにはつけなさいなんて言ったんだろ。」

 息を切らしながらいった。

「僕も姉さんみたいな軽い服がよかった…」

 膝に手を置いて、シルヴィアが止まった横に並ぶ。

 シルヴィアは目の前の黒石に目をやっていた。

「グリマラエレメンタルスクール?元素魔法でも覚えるの?」

「エレメトと同じ意味じゃない。基礎だ。」

「あー」

 頭の悪いわけではないドラコはすんなり理解した。

「その記憶は私の方に偏っているわけか」

 黒石から目を離し、建物の中の方に歩き出した。ドラコもシルヴィアから一歩引いて進む。建物の壁は異形の森の木の断面の模様と、漆喰やら珪藻土、はたまた蔓で覆われた壁もある。床は少なからず、異形の森の土が含まれていて、この建物の中も森だとシルヴィアは感じることができた。

 奥の広く、天井も開けたところには三人の人影があった。マルーリ、マモリ、そして、おそらくアヴソウル・コロ。

「お前が言っていた程、髪は長くないようだが」

「いや、よく見てよ。ヘアバンドできっちり固めてる」

 視界に入るコロの髪は、先代の王の髪の色と同じ漆黒だが、ぴったりとまとめられている。服の感じも違っていて、先代は青と金だったのに対して、コロは黒と金でデザインが収まっている。ただ立っているだけでも威厳をかんじさせるようだった。

 二人の方を向いたマルーリは、曇りガラス越しに微笑んだ。

「早かったですね、お二人さん」

 相変わらず、青緑の上着と紐で結んだ陶器を肩から掛けている。仕事で疲れているからか、体がだいぶ軽くなったようだが、風貌そのものは変わっていない。だが、王族への接し方は明らかに変わっていた。それこそ親戚のようにふるまうようになった。それは二人とも共通で覚えていた。


 マルーリは何か思い出したかのように、中の広さが分からない陶器のなかに手を突っ込んだ。

「シルヴィー、覚えていますかね。これ」

 陶器から取り出したのは、フレームもレンズもマルーリのものとは違う、眼鏡だった。昔、シルヴィアがマルーリに眼鏡をねだったが、今この時まで果たされることはなかったのだ。

 シルヴィアは、マルーリが忙しさですっかり忘れたものだと思っていたから驚いた。マルーリの手前まで行ってそれを受け取るが、シルヴィアは不思議だった。

「すっかり、忘れられたと思ってましたよ」

「ハハハ。ごめんよ。空いた時間にホウライにいろんなものをつくってもらって、シルヴィーに似合うものができるまで時間がかかってしまいました」

 強いくせっけの前髪を指で回しながらマルーリは言った。

「まだ、時間はありますがコロと話しますか」

 シルヴィアの顔色を伺いながらマルーリが続ける。

 後ろの方にいるコロは、格好とは裏腹に緊張しているようだった。

「そうさせていただきましょう」



 広間の階段になっているところに腰をついていたコロは、近づくシルヴィアに気づくと縦長の瞳でしっかりととらえた。服装でシルヴィア達と同い年にも見えるが顔はまだ幼さが残っている。目を細めて微笑みかける姿は十代初めの子供そのものだ。

「その姿でお目に掛かるのは初めてでしたね。アヴソウル・コロです」

 やけに傷だらけの指だけを覗かせる手袋をしたコロと握手する。

「なんで今日はそんなきっちりした恰好してるんだい?」

 ドラコがコロの手を握りながら言った。

「マルーリが、公の場ではこの格好の方がいいと言いましてね。それに従い、こんな格好に。お陰様で私服に黒地に金刺繍を選べなくなりました。」

 ヘアバンドを引っ張り、不満げに言った。

「お二人は早かったですね。夜型だと聞いていたんでもっと遅くに来るものだと思っていましたよ。」

 シルヴィアは、自分がコロの年の時、自分もこんなむず痒くなるような喋り方をしていたのだろうかと思っていた。

「君は、今日王座に就くことをどう思っている?」

 コロは、手を首に回した。閉じた口をさらに閉じるように上に下に忙しなく動かした。指の傷を見ると落ち着いたようで、シルヴィアに視線を戻した。

「私はグリマラを立派な国家にして見せるための、一番の近道だと思っている」

 

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