第1207話たちまちに 枉疾に沈み(1)

たちまちに 枉疾に沈み、ほとほとに泉路に臨む。すなわち歌詞を作りて以って悲諸を申べし一首。短歌を併せたり。

※枉疾に沈み:悪い病気にかかり。

※ほとほとに:危うく。

※泉路に臨む:黄泉の国に行く寸前となった。


突然、悪い病気にかかり、危うく黄泉の国に行く寸前となった。そこで歌詞を作り、それにより悲しみの心を述べた。


大君の  任けのまにまに  大夫の 心 振り起し

あしひきの  山坂越えて  天離る  鄙に下り来 

息だにも  いまだ休めず  年月も  いくらもあらぬに

うつせみの  世の人なれば  うち靡き  床に臥い伏し

痛けくし  日に異に増さる  たらちねの  母の命の  

大船の  ゆくらゆくらに  下恋に  いつかも来むと

待たすらむ  心寂しく  はしきよし  妻の命も

明けくれば  門に寄り立ち  衣手を  折り返しつつ

夕されば  床打ち払ひ  ぬばたまの  黒髪敷きて

いつしかと  嘆かすらむぞ  妹も兄も  若き子どもは

をちこちに  騒き泣くらむ  玉桙の  道をた遠み

間使も  遺るよしもなし  思ほしき  言伝て遣らず

恋ふるにし  心は燃えぬ  たまきはる  命惜しけど

為むすべの  たどきを知らに  かくしてや  荒し男すらに  嘆き伏せらむ

                          (巻17-3962)


大君の仰せのままに、ますらおとしての心を奮い立たせ、

多くの山と坂を越え、都から遠く離れた鄙の地に下って来て、

一息つく間もないほど、年月の経過もないのに、

この世の中の生身の人間なので、弱々しく床に倒れ伏すことになり、

その痛み苦しみは、日々辛さ苦しさを増すばかり、

母君にしても、大きな船であっても、波を受けて揺れ続けるようで、心配なことでしょう。そのお心の底では、いつかは帰って来ると、お待ちのことでしょう。

そのお心もお寂しいでしょう。

愛しくて仕方がない私の妻にあっては、夜が明ければ、門に寄り添い立ち私を待ち、衣の袖を折り返しながら、夕方になれば、寝床の塵を祓い清めて、一人寂しく黒髪を敷いて、いつになれば帰って来るかと嘆いていることだと思う。

娘にしても、息子にしても、幼い子供たちは、(寂しさに耐えかねて)

あちらこちらで鳴き騒いでいることだろう。

しかし、互いの地への道のりはかなり遠く、簡単な手紙のやり取りなど、その方法もない。

思うことを伝えることもできず、残したみんなを恋うる気持ちは燃えるばかりだ

限りある命は惜しいけれど、何をどうするべきか、方法も見つからない。

こんな状態であるから、本来はますらおであるべき男であるというのに、嘆き伏せるしかないのであろうか。


家持が悪疾に罹り床に伏したのは、一月中旬。回復は三月上旬。

推定では、風邪が重くなり、肺炎とのこと。

上記の長歌については、天平十九年(747)二月二十日に詠んだ。

歌が詠めるほど、回復していたのかもしれない。



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