第1143話筑前の国の志賀の白水郎(あま)の歌(4)

沖行くや 赤ら小舟に つと遣らば けだし人見て 開き見むかも

                       (巻16-3868)

大船に 小舟引き添え 潜くとも 志賀の荒雄に 潜き逢はめやも

                       (巻16-3869)


沖を進む赤い小舟に包み物を託したら、もしかしてあの人が、開け手見てくれるかもしれない。


大きな船に小舟を引き連ね、海の底に潜って見たとしても、(今となっては)志賀の荒雄を見つけることはないだろう。


上の歌は、もしかして荒雄が生きていて、赤い小舟(官船)に包み物(贈り物)を託せば、開けて見てくれるかもしれない、そんなはかない願望を詠む

次ぎの歌は、完全に諦めの境地。すでに海に潜ったとしても、荒雄は見つからないと詠む。


右は、神龜年中に、大宰府、筑前國宗像郡の百姓、宗形部津麻呂を差して、對馬送粮の舶の抱師(かじとり)に宛つ。

時に、津麻呂、滓屋の郡志賀の村の白水郎(あま)、荒雄の許に詣りて、語りて曰はく「我小事有り、けだし許さじか」と云ふ。荒雄答へて曰はく、我郡を異にすといへども、船を同じくすること日久し。志は兄弟より篤く、殉死することありとも、豈また辞(いな)びめや」といふ。津麻呂曰はく、「府の官(つかさ)、我を差して、對馬送粮の舶の抱師に宛てたれど、容齒衰老して、海路に堪へず。ことさらに来りて祇候(しこう)す。願はくは相替はることを垂れよ」と云ふ。是に荒雄、許諾(ゆる)し、遂にその事に従ふ。肥前國松浦の縣の美祢良久(みねらく)の崎より舶を發(い)だし、直に對馬をさして海を渡る。すなはち、忽ちに天暗冥くして、暴風に雨を交へ、竟(つい)に順風無く、海中に沈み没(い)りき。これに因りて妻子等、犢慕にあへずして、此の謌を裁作る。

或は、「筑前國守山上憶良臣、妻子の傷(いたみ)を悲感(かな)しび、志を述べて此の謌を作るといふ。


右の歌には、このような伝承がある。

「神亀年中に、太宰府政庁が、筑前の宗形の人で、宗形部津麻呂に指示して、対馬に食糧を送る船の船長を命じた。その際に、津麻呂は滓屋の郡志賀の村の白水郎(あま)、荒雄を訪ね、相談を持ちかけた。

「この私は、少々頼み事があって、ここに来た。何とか、この頼み事を請けてはくれないだろうか」

荒雄は、答えた。

「私は、あなたとは住む郡(場所)こそ違う他人ではありますが、長い間、同じように船の上で働いて来たのです。そう思えば、兄弟以上の関係です。この頼み事を引き受けて、万が一、あなたのために命を落とすことになろうとも、とたも断ることなどはできません」

津麻呂は言った。

「太宰府政庁のお役人が、私を指名して、対馬への食糧運搬船の船長を言って来たのです。しかし、もう私は、この通り、かなりな年寄りになってしまいました。とても、海路には耐えられそうにもないのです。そこで、いろいろと考えて、あなたの所に来たのです。何とか、役目を代わってもらえないでしょうか」

荒雄は、快く、承知し、この仕事を引き受けることになった。

荒雄は、肥前國松浦の縣の美祢良久(みねらく)の崎より舶を出航、対馬に向けて海を進んだ。

しかし、途中、突然に空がかき曇り、暴風は雨まで含み吹きすさび、最後まで順風を得ることはなく、荒雄の乗った船は、海の中に沈んだ。

このような悲惨な結果となり、彼の妻子は、小牛が母牛を慕ような切ない思いにこらえきれずに、この歌を作ったと言われている。


別伝では、筑前の国守の山上憶良が、残された妻子の悲しみに同情して、その由縁を述べて、この歌を作ったと言う。



古代の海難事故である。

実際に白水郎(あま)が、これほどの歌を詠めたかどうかは、不明。

山上憶良の作、と考えた方が、納得しやすい。

しかし、残された妻子の哀しい思いの表現は、千数百年経った今でも、読む人の心を打つ。

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