第963話こもりくの 泊瀬の川の 上つ瀬に

こもりくの 泊瀬の川の 上つ瀬に 斎杭を打ち

下つ瀬に 真杭を打ち 斎杭には 鏡を懸け

真杭には 真玉を懸け 真玉なす 我が思ふ妹も

鏡なす 我が思ふ妹も ありといはばこそ 

国にも 家にも行かめ 誰がゆゑか行かむ

※古事記を検すに曰はく、「件りの歌は木梨軽太子の自ら死にし時に作る所なり」といふ。

                              (巻13-3263)

※こもりくの:「泊瀬」に掛かる枕詞。


反歌

年渡る までにも人は ありといふを いつの間にぞも 我が恋ひにける

                              (巻13-3264)

在書の反歌に曰はく

世の中を 憂しと思ひて 家出せし 我れや何にか 還りてならむ

                              (巻13-3264)


泊瀬川の上の瀬に斎杭を打ち、下の瀬に真杭を打ち、斎杭には鏡を掛け、真杭には真玉を掛け、その真玉のように私が大切に思う妻、その妻がいると言うならば、故郷にも家にも帰ろうと思う。

しかし、この私は、誰のために帰ろうと言うのだろうか。


古事記を調べて言う。この歌は木梨軽皇子が自殺する時に作ったものである。



一年を経たとしても、人は耐えられると言うのに、この私はいつの間に、恋しくなってしまったのだろうか。


ある書の反歌


現世を憂いて出家を果たした私が、何を理由に、また現世に戻ればいいと言うのだろうか。



長歌は、注では、伊予に流罪となった軽皇子が、後を追って来た妻を迎えて自殺する時に歌ったものとされている。

しかし、反歌を含む歌の内容からして、その注とは合致していない。

故郷から遠く離れて、妻の死、あるいは妻が何らかの圧力で他の男に嫁がされた状況のほうがわかりやすい。

「ある書」を考えると、男は妻を亡くした後に仏門に入った。そのため、愛する妻がいない現世には、戻る理由がみつからない、とのことになる。


尚、木梨軽皇子の注を含めた、この三首は古来、解釈が難しいとされている。


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