第34話

 彩音を見る雅先生と、僕を面白そうに見てる木野瀬を見ながら思う。

 僕の日常は動物に振り回された妙なものになっている。

 モカとルナという不思議な存在に。


「宮野どうした? 顔色が悪いな」

「なんでもないよ先生、授業始め」

「ニャーオ」

「猫か。 ……何処にいるんだ?」


 ルナの鳴き声に彩音は言葉を失い、雅先生は教室を見回した。教室を包むざわめきの中、佐藤と彩音は窓際に立ったままだ。


「何処からか迷い込んだのか? ……いや、猫が迷い込むなどと」

「先生、この学校ってさ……猫に関する怖い噂とかあるの?」

「そんなものはない」


 ぴしゃりと言い放つ雅先生の声に、女子達から安堵の息が漏れる。

 姿を見せないルナ。

 木野瀬はどうするつもりなんだろう。佐藤に声をかけるきっかけが違う騒ぎになってきてるけど。


「先生、今日は僕を叱らないのか?」

「ニャーオ」


 事態を面白がる木野瀬とルナ。血の気が引いた顔で震える彩音……さすがに可哀想になってきたな。


「先生、猫を探しませんか? 猫を追い出さないと授業になりません」

「由希、宮野さんを保健室に連れて行こう。俺も一緒に行くから」


 田宮栄太の提案と和也の声。

 頭を掻きながら『やれやれ』とぼやく雅先生。


「佐藤さん、宮野さんを連れて行こうよ。俺達……僕と由希が一緒に行くのは迷惑?」


 和也の問いかけに、佐藤が首を振ったことに安心する。うなづかれたらモカのトイレ事情を切り出しにくいしな。

 彩音は僕を睨んでるけど、ルナの鳴き声を怖がって何も言えないでいる。


「猫探しと宮野の体調不良か。……1時間目は自習にするか。2時間目の授業までに、みんなでなんとかするように」


 自習という響きが呼ぶ新たなざわめきの中、和也がふたりに近づいていく。和也を追いかけようと席を立った時、彩音が立つ窓際に姿を現したルナ。

 悲鳴を上げ、倒れかけた彩音を和也は受け止めた。ルナを前に騒ぎだした女子達。


「ちょっと猫がっ‼︎ 捕まえなきゃっ‼︎」

「誰か早く‼︎」

「ニャーオ‼︎」


 鳴き声を響かせ姿を消したルナと、驚きに包まれた教室の中で彩音を支える和也。


「彩音ちゃん……大丈夫?」

「宮野さん歩ける? 少し落ち着いたほうがいい」

「ほっといてよ。離してくれない?」

「顔が真っ青だ。倒れたら危ないからさ」

「……余計なお世話よ」


 和也に支えられながら、彩音はゆっくりと歩く。

 近づいた僕を見て、『ふんっ』と声を漏らした彩音の背中を、撫でながら歩く佐藤を追うように教室を出た。


 保健室に向かい歩き、遠ざかる教室のざわめき。佐藤の長い髪が、陽射しに照らされ輝くのを見ながら息を吸い込んだ。


「宮野、大丈夫か?」


 僕の声に彩音の肩がピクリと揺れた。返ってくる声はない。彩音の怒り……それは彩音が佐藤と紡いできた繋がりが呼び寄せたもの。


「驚いたな……あの猫なんだったんだろう。由希はどう思った?」

「さぁ。現れて……消えちゃったね」


 木野瀬とルナのこと。

 和也には話さなきゃって思うけど、彩音がいる場所でルナのことは話せない。


「宮野……悪かったよ、嫌な思いをさせて。宮野が怒る気持ちはわかるつもりだ。僕だって……和也を傷つけられたら、傷つけた奴を許すことは出来ない。僕のことは許せないままでいいんだ。だから少しだけ、佐藤と話をさせてくれないかな。佐藤が連れて帰ったうさぎのことと……小さな頃の、ぷち王様の話」


 振り向いた佐藤の顔に浮かぶ驚き。

 小さな頃の佐藤が言ったぷち王様。

 早まる鼓動を感じながら思う。ルナが彩音を驚かせたことは、木野瀬が思いついた作戦かもしれないと。


 生き続ける木野瀬は、傷つく痛みも傷つけられる痛みも、誰よりも強く知っているだろう。

 転校してきた日、木野瀬はルナに言ったんだから。『こいつに傷つけられ泣いた。大丈夫だよ、ルナの怒りを僕はわかってる』と。


 あの日、僕は佐藤を泣かせた。

 佐藤の悲しみを読み取ったルナもまた、傷つけられ悲しみに包まれた存在だった。

 絶望庭園で生まれた木野瀬とルナは、絶望と悲しみを共有し生きている。

 絶望の闇を潰しながら、傷つき悲しみに包まれた人達を助け寄り添ってきたんだろうな。僕が知り得ない長い時の中で。

 木野瀬は考えてくれたのかな。

 保健室に向かう明確な理由があれば、男女がいなくなっても余計な噂を呼ぶことはない。憶測を呼ぶ噂が生まれなければ、無駄に傷つき悩むことはないし……だからこそ、僕は向き合わなきゃいけないんだ。

 彩音にも佐藤にも。


「……馬鹿宮は何処までも馬鹿なんだな。僕がそんなこと考えるかよ。僕もルナも面白がっているだけだ。長く生きてるだけ、退屈には飽き飽きなんだよ」


 木野瀬の憎まれ口が頭の中に響く。

 教室では猫探しが始まってるのかな。猫を探すふりをしながら、木野瀬はルナと今の状況を楽しんでるのかもしれない。

 雅先生はどうしてるんだろ。

 教壇の前に立って、みんなの様子を見てるのかな。


「忘れてたこと全部、思いだしたんだ。思いだせない理由があったんだけど、佐藤に全部話したらみんなにも話していくからさ。話をさせてくれなきゃ……僕の夢が動かないんだよ。僕の夢は絵本作家……夢を動かすのは最初に描く物語。佐藤が思いついた……ぷち王様の物語なんだ」


 金色の冠とマント。

 金色の髪と髭。

 モンブランケーキみたいなぷち王様。


「佐藤と一緒に物語を描きたい。佐藤は八重婆ちゃんが描いてくれたらって言ってたけど、八重婆ちゃんはもういないから……僕が……僕達が描いていかなきゃ」


 佐藤の唇が動いた。

 何かを言おうとして聞こえなかった声。僕の名前を呼ぼうとして……ためらったのか。

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