第29話

 姉貴には自由人という言葉が似合うだろう。

 僕にとって数日前まで変わり者でしかなかった姉貴。今も変わり者ではあるけれど、姉貴の行動と想いには隠された優しさがあった。

 姉貴に感じていた距離感がすぐに縮まる訳じゃない。それでも僕に見える世界が色鮮やかな今。変えていけるものは無限にある。


 🧩🧩


「遅いな。……何やってんだ姉貴」


 通り過ぎる人々を見ながら、駅前で姉貴を待っている。午後1時の待ち合わせのはずが2時を過ぎて、ペットボトルのジュースもあと少しで飲みきってしまう。

 姉貴が指定した時間通り、待ち合わせ場所に立ってるっていうのに。ここ数日の出来事を、思いだせるゆとりがあるからいいんだけど。


 土産のマカロンを喜んだ姉貴が、『お気に入りのカフェに連れて行く』と言ってきた。

 姉貴を喜ばせたのはマカロンだけじゃない。僕が泣かせて病院に運ばれたのを、謝ったことがひときわ大きな喜びを呼んでしまった。


『ほんと? 由希ちゃんほんとに思いだしたの⁉︎ ……でもね由希ちゃん。病院に行ったのは私が食べまくった結果‼︎ ……あれ? それじゃあ、くるみちゃんのことも思いだしたの?』


 あの時姉貴が浮かべた笑みは、喜びと不吉さが混じりあったものだった。


『病院を出る前に、くるみちゃん親子に会ったのよ。くるみちゃんのこと、由希ちゃんをくらくらさせた子かぁって見てたんだけどね。私がお姉さんと知った時の顔すっごく可愛かったの‼︎ 義妹になるかもしれないし、姉としてめいっぱい尊敬されなくちゃ‼︎ ってはりきってたんだけど、由希ちゃんってば記憶喪失になっちゃって』


 ……姉貴は今までの日々、損したことがいっぱいあるんじゃないかな。美人の部類に入るだろうし、大食いでもスリム体型を維持している。黙っていればモテるかもしれないのに。


『ねぇ、由希ちゃん。日曜日デートしようよ‼︎ 私のイチオシスイーツ奢ってあげるから‼︎ 午前中は朝イチスイーツバイキングに行ってくるから、待ち合わせは午後1時‼︎ 時間厳守だからね‼︎』


 時間厳守って言った本人が遅刻って何。約束をこじつけてからの日々、僕を見てはニコニコ笑って『楽しみだなぁ、由希ちゃんとスイーツ‼︎』と声を弾ませていたくせに。

 ジュースを飲みながら思う。

 姉貴には悪いけど、佐藤と同じクラスだなんて絶対に言えない。

 佐藤のことを知った姉貴が、どんな奇行に出るのか考えただけでゾッとする。


「……佐藤か」


 過去から帰って来て、佐藤と話せていない日々が続く。回転パズルをミントに託した翌日、佐藤に近づくのを遮る人物が現れたからだ。

 それは宮野彩音。

 和也と肩を並べて歩き、校舎に入ろうとした時だった。


『松宮く〜ん。ちょっとこっち来て?』


 振り向くと彩音が立っていた。佐藤の姿はなく見えたのは、腕を組んで立つ怒りの形相。同じクラスの女子が何故怒ってるのかと、和也は顔をひきつらせていた。


『なんだよ松宮、お前なんかやったのか?』

『……やったっていうか』


 彩音の怒りの理由は、佐藤を泣かせたことだったんだけど。

 近づいてきた彩音。

 佐藤にどう話そうか……僕はそれだけを考えていて、彩音のことまで気が回ってなかったんだ。

 彩音のまっすぐな気性。

 佐藤と初めて会った時から、彩音は許せないことにまっすぐな強さを秘めていたんだ。


『松宮君が最低な奴だと思わなかった。私の苛立ち……わかるよね?』

『……ごめん』


 この時僕が言えたのはこれだけだった。隠しごとは嫌だし、彩音と和也に説明することも考えたけど、1番に僕が話す相手は佐藤だったから。


『許さないから。あの子を泣かせたなんて』

『あの子って……佐藤か? 松宮、昨日何があったんだよ』

『それは』

『また泣かせたら……ぶっ飛ばすからね』


 足早に去っていく彩音と、僕達を通り過ぎて校舎に入っていく生徒達。頭を掻く和也の呆気に取られたような横顔。


『ごめん和也。佐藤に話さなきゃいけないことがあってさ。和也に話すのは、佐藤と話せたらに……なるんだけど』

『大丈夫なのか? 今の怒りよう』

『大丈夫……にしなきゃ』


 ——また泣かせたら……ぶっ飛ばすからね——


 実際彩音は、許せない相手をぶっ飛ばしたことがある。それは千歳さんと佐藤を苦しめた旦那さんの友達だ。

 友達はご近所トラブルの常連で、彩音の家族にとっても悩みの種だったらしい。

 佐藤と千歳さんと待ち合わせた公園。

 お弁当を食べていた時声をかけてきた男。千歳さんを凍りつかせ、僕のそばで笑っていた佐藤もうつむかせた。


『やぁ、千歳さん。佐藤君は元気ですか? 帰ったら知らせてくださいよ。僕は部長への昇進が決まったんです。……これ、佐藤君も喜んでくれるんじゃないかな』


 唇を噛み締めた千歳さんを前に、母さんが男に近づこうとした時だった。『てやあっ‼︎』という大声と共に、男に体当たりした女の子がいた。

 それが宮野彩音。

 不意を突かれたように、倒れかけた男は体制を立て直し笑ったが、彩音を見下ろした男の目は全然笑っていなかった。


『なんだ彩音ちゃんか。こんなことして、悪いことだと思わないのかな?』

『悪いことしてるのおじさんのほうじゃないっ‼︎ お父さんとお母さんをいつも困らせて‼︎ 私絶対謝らないんだからっ‼︎』

『謝れない子にはお説教かな? まったく、宮野さんの両親はどんな教育を』

『あっ彩音っ‼︎ 何してるの‼︎』


 慌てた様子でやって来たのは彩音の母親だったと思う。『ふん』とほくそ笑み立ち去って行った男。


『彩音ったら大丈夫? あの人には近づいちゃ駄目って言ってるのに』

『見つけちゃったんだもん。あの人なんであんなに偉そうなの? みんなで追い出そうよ‼︎』

『……ねぇ、彩音ちゃんっていうの?』


 僕から離れ、彩音に近づいていった佐藤。持っていたのはおにぎりとサンドイッチ。


『みんなでお弁当食べてるの。彩音ちゃんも一緒にどう?』

『お弁当? ……誰よ、慣れ慣れしいな』

『私くるみっていうの。男の子は由希君』

『……ゆき?』


 この時、千歳さんが女性に頭を下げ、彩音に微笑みかけたのが見えた。


『ありがとう彩音ちゃん。くるみも私も……あの人のことでずっと悩んでいたの。なんだかスッとしたわ』

『ねぇ、食べようよ。お弁当いっぱいあるんだ』

『なんか……よくわかんないけど』


 彩音が首をかしげながら、おにぎりを受け取ったあと佐藤は女性にサンドイッチを差し出して……


「いたいたっ‼︎ 由希ちゃんってば、ここにいたの?」


 姉貴の大声が僕の思考を遮り、待たされていた苛立ちを呼んだ。『ここにいた』って、待たせておいて僕を迷子みたいに。

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