第27話

 母さんが教えてくれた、千歳さんが話す佐藤のこと。

 丸美さんが病室に来ると佐藤は嬉しそうに笑う。一緒に来る看護師達とも、話せるようになって明るくなった病室内の空気。


 千歳さんが買ってきた八重婆ちゃんの絵本を『これ、読んでみて』と手渡した佐藤。


「私が読むの? どうして?」

「看護師さん達がね、こっそり教えてくれたんだよ。丸美さん今日が誕生日だって。だからプレゼント……私とお揃い」


 千歳さんが袋から出して、丸美さんに見せた同じ絵本。佐藤にとって丸美さんは2番めに出来た友達。

 友達が喜んでくれることは何か。

 娘と話し合って決めたことだと、千歳さんは話してたみたいだ。


「くるみちゃん‼︎ 先生がね、少しだけお出かけしてもいいそうよ。治療をがんばってるご褒美ですって」

「本当ですか? よかったわね、くるみ‼︎」


 母さんの話を思いだしただけなのに、千歳さんの声が聞こえた気がしたし、佐藤の笑顔も想像出来た。

 

「お母さんが行きたい所に行こうよ。私のためにがんばってくれてるんだもん。お母さんは何処に行きたいの?」

「そうね……お父さんと出会った公園。くるみが退院したら、由希君を呼ぼうと思ってたのに。こんなに早く呼べるなんてね」


 千歳さんが決めた待ち合わせ場所。そこは旦那さんと出会った大切な場所であり、友達が近くに住むことで苦しめられた場所でもある。

 友達がついた嘘で、会社に退職届けを出した旦那さん。別の職場を見つけ日々が上手くいっていたとはいえ、友達の存在は千歳さんと佐藤をどれだけ苦しめていたのだろう。

 佐藤とお弁当を食べた公園。

 そこは佐藤が宮野彩音と出会った場所でもあった。僕は小さな頃、宮野彩音にも会っていて……


「由希君?」

「えっ。何?」

「疲れたかい? ぼうっとして」

「大丈夫。……小さな頃のこと思いだしてたんだ」


 ミントがカーテンを開け、部屋は光に包まれた。窓に近づき見えた商店街の裏側。そこは僕が住む住宅街に似ていたけど、この日まで知らなかった日常の風景だった。


「人間界は鮮やかな世界ですね。月の世界あるのは、金色のススキ野原と紺碧の宇宙そら。生きることに退屈さを感じていた先祖達。由希君が知るとおり住人達は臆病で、世界を変える勇気を持てずにいた。『豊かな世界を求めればひがみが生まれる。地獄を見れば恐怖が生まれる』……そう言って、楽しさや幸せを遠ざける者ばかりだった」


 ミントの話を聞きながら飲んだハーブティー。ミルクの甘さに包まれながら、月の世界のことを考えた。

 八重婆ちゃんの創作ノートに書かれていた住人達のこと。


【月の住人はうさぎの姿をした魔法使い達】


 八重婆ちゃんもうさぎの姿で月の世界に生きていた。人間ひとの姿で、僕のそばに立つミントだって本当の姿はうさぎ。


「あのさ、ミント。……八重婆ちゃんは絵本を描いてたんだけど」

「知ってますよ。月の世界で見ていた、人間ひとが知らない世界を描いていましたね」


 僕を見たミントの穏やかな顔。

 彼を包む、八重婆ちゃんと同じ穏やかさ。


「彼女は魔法を使い、見えるだけの世界を見ていたようです。彼女の笑い声と弾む声に住人達は惹かれていったと、月の世界で語り継がれています。彼女の存在は、月の世界を楽しさと、幸せに包まれた場所に変えていったのだと。そんな彼女が描いた夢。『私人間になりたいの。魔法が使えなくなってもいい……地球で生きていきたい』。住人達にとって、彼女の願いは大きな驚きだったようです。月の世界と魔法を捨てて、何故 人間ひとになろうというのか。『地球を見てからずっと、ワクワクしているの。話してみたい男の子もいるんだ。人間になって、私が見てきた世界を……幸せなときめきを、みんなに教えたいんだ』。住人達達は強い願いに折れ、彼女を人間ひとに生まれ変わらせたのです。月の世界を変えてくれた彼女を住人達は見守り続けました」


 ミントの語りに誘われるように、僕は回転パズルを握りしめていた。

 僕の絵本作家への夢。背中を押してくれる、八重婆ちゃんの想いから生まれたもの。


「もう一度聞くけど、眠る前のルキアは幸せそうだったのか?」

「えぇ。彼女の声を聞いて安心したのでしょうね」

「声……か」


 この時僕の中に浮かんだ想い。

 それは手放すことへの寂しさと同時に、もうすぐ会える笑顔を想うときめきを呼び寄せたんだ。

 冷めかけたハーブティーを飲み干して、ティーカップをミントに差し出した。


「美味しいね。もう一杯淹れてくれるかな」

「もちろん。ココに頼んで来ましょう」


 ミントが僕から離れ、振り向かずに聞いたドアが閉められる音。回転パズルを握りしめ、僕は口を開いた。


「……あのさ、八重婆ちゃん。僕のために作ってくれた回転パズルなんだけど」

「どうしたの? 由希」

「うん、今思ったんだ。……これ、ルキアに託そうかなって」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます