第24話

 黒い刃をリフの血が赤く染めていく。僕を見るリフは、苦痛に顔を歪ませながら笑っている。


「懐かしい痛みですね木野瀬君。……君は絶望庭園を去る時にも僕を傷つけた。あの時から……君が人間界に降りてから、どれだけの人間ひとが年老い死にましたか? 大切な者達の死。それは絶望となり、いつかは君を……僕の世界に連れ戻すと思っていた。長い時を経て会えた君に、また痛みを与えられるとは」

「あんたが忘れた痛みを思いださせてやったんだ。傷つけられる痛みや自由を奪われる苦しみってやつを。言っただろ? 『気にいらなければ僕を消し殺せ』」

「僕を脅すとは意地が悪い。猫の力で見ていたのでしょう? 僕は住人の誰ひとり殺しはしなかった。彼らの日々と、迎える死を見届け……君と猫の自由を許し続けた。僕の死ねない絶望は同時に、絶望庭園を彩る希望でもある。……セレスと共に生みだした君は、僕の憎しみを理解わかる立場にいながら……僕を裏切った」


 黒い影が木野瀬に戻っていく。リフの返り血に濡れた体と制服。彼の手から滑り落ちたパズルも血に濡れている。


「それ、拾わないのか?」

「え?」

「婆さんと話すんだろうが。……制服汚れちまったな」


 由希と木野瀬。

 今朝の屋上での出来事が、随分と前のことのように感じられる。終わらない命の中、彼はどんな日々を過ごしてきたんだろう。校則違反の不良少年、それだけじゃない彼も過去にはいたんだろうか。


「ごめんなさい。……僕のせいで、学校に戻れなくなっちゃったね」

「別に? 明日また、担任に叱られればいいだけだ」


 僕はしゃがみ込んで、パズルに手を伸ばす。お婆様には僕が見えてるのかな。由希と同じ顔なのに灰色の肌……それでも。

 木野瀬には悪いけどドキドキするな。こんな状況なのに……お婆様と話せると思うと……


「戻って来なさい。君が望む自由を僕が与えましょう」


 パズルを濡らすリフの血が、黒い渦となって僕に巻きついてくる。ひび割れていく僕の体。

 木野瀬が呻き声を上げた。

 木野瀬を濡らした血が、黒い鎖となって彼を締めつけている。


「絶望の闇はあらゆる絶望と嘆きを飲み込んできた。……君達住人は、僕の世界にいることが幸せなのです。僕を喜ばせておくれ。住人の行く末を……死にゆく瞬間ときまで、僕が見届けていくのです」

「……お婆様」


 パズルを前に、僕の腕が砕け壊されていく。


「戻って来るのです。君は、僕の世界でしか生きられない」

「僕は本当の自由を選ぶんだっ‼︎ 死んだっていい……僕はっ‼︎」


 僕の頬をなぞる誰かの手。僕に巻きついた渦と、木野瀬を締め付けた鎖が消えていく。


「……由希?」


 振り向いて見えた僕と同じ顔。僕に寄り添うように由希が立っている。だけど、僕が知ってる彼じゃない。僕を見る柔らかな笑顔。由希じゃないなら誰なんだ。


「ボクのお父さんだよ」

「え?」

「由希君を通して、君を助けに来たんだ。ボクのお父さんは、月の世界1番の魔法使い」


 魔法使いが……ここに?

 リフは言っていた。

 月の住人は臆病で何も出来ない。彼らは不滅の光に守られるために、月に逃げ込んだのだと。

 それなのに、僕を助けにここへ?


「私達の世界に来るかい?」


 由希と同じ声で、魔法使いは話しかけてくる。由希よりも親しげで優しい響き。なんでだろう……お婆様の雰囲気に似てる。


「月の住人か。臆病者が何をしにここへ?」

「なんだと思います?」


 由希の顔に浮かぶ笑顔。

 それは子供のように無邪気で、この状況を楽しんでいるようにも見える。


「なんだ、馬鹿宮が起きたんじゃないのか」

「君……大丈夫?」

「ほっとけ。お前は、自分のことを考えろよ」

「ふむ。由希君は、結構な人情家と出会ったようですね。彼女の血を引くだけあって、人を惹きつける力はなかなかのものです」


 無邪気な笑顔が木野瀬に向けられた。魔法使いはリフを気にする様子もなく……彼女って、お婆様のことか?


「八重ちゃんは、月の世界の住人だったんだ」

「お婆様が⁉︎」


 魔法使いの声が呼ぶ、驚きと温かなときめき。

 夢みたいだ。お婆様が、月の世界の住人だったなんて。


「お父さんが君を助けてくれる。ボク達の仲間になれるよ」


 体がひび割れる音。

 だけど不思議だな。

 僕の中で怖さも不安も死んだ。

 腕がなくなって、パズルに触れないのに。お婆様の声を……まだ聞いてないのに。


「臆病者が出来ることは、恐ろしいものから目をそらすことですか。月の住人達は長いこと、僕の世界を恐れ続けている」

「恐れ? ……なるほど、貴方を支配するのは、寂しさだけではなかったということか」


 赤く染まったリフの体が揺れ動き、黒い渦が僕に巻きついた。灰色の体が軋む音を立てて砕けていく。


「やれやれ、どこまでも間違いを繰り返すお方だ。生みだすべきは世界の住人ではなく……貴方の家族でしょうに。君もそう思うでしょう? ルキア」

 

 リフの冷ややかな目が、僕達を見つめている。

 由希の体ごしに、魔法使いは僕を抱きしめた。


「君は自由になれる。もう少しだ……耐えてくれるね?」


 壊れていく僕が感じ取った冷たさ。七色に輝く何かが降ってくる。


「……雪?」


 幼い由希の中で見ていたもの。

 寒さの中、空から落ちてきた不思議なものに似てる。冷たいだけじゃない……いい匂いがするな。


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