第23話

「……リフ?」

「すぐに帰るのです。君は、僕の世界でしか生きられないのですから」


 リフは何処にいるのだろう。

 由希がパズルの力で来た過去の中、僕は幼い由希の中にいる。暗闇と同化した僕の前にいるのは木野瀬ブン太だけじゃないか。波打つようにざわめく僕の暗闇。


「リフ? 何処にいるの?」

「君は愛しい……愚かな暗闇」


 ……愚か?

 心が軋む音を立てた。リフは今……僕を蔑んだのか?


「君のすぐそばにいます。君を包む暗闇の中……僕はすぐにでも、君を傷つけることが出来るのです」


 ズブリと音を立てて、暗闇から飛び出した両腕。鋭利な刃物を持つ、右手を飾る金色のブレスレット……リフの物だ。


「帰って来るのです。僕が与えた体が大切ならば、傷つけられたくないでしょう……ルキア」


 僕を包むリフの声。

 だけど投げかけてきた言葉……リフは、僕を簡単に傷つけられるのか?

 リフの残像が浮かんで消えた。

 女性のような顔に浮かぶ微笑みと、長く伸ばされた銀色の髪。

 僕が僕として、目を覚まし見えたリフの優しい笑顔。


『お目覚めですね? 僕はリフ……ここは、君がこれから生きていく世界です。君の名前は……そうですね、ルキアとしましょうか。君は由希という、人間ひとの中で絶望に包まれていた。君の絶望と憎しみを名前に込めましょう。……少年とよく似た名前にね』


 リフの背後に立っていた、黒いドレスを纏う女性ひと。僕に向けられた、顔を覆う仮面の奥に見えた青い目の輝き。


『彼女はセレスという名の姫君。僕は姫君の主治医というところでしょうか。……君は僕の力で命と体を手に入れた。君の憎しみと絶望は、僕の世界を鮮やかに染める宝物になるでしょう』


 あの時、僕の頬を撫でてくれた手の中で、銀色の刃が光輝いた。


「僕は見えないフリか? ……相変わらず意地が悪いな」


 木野瀬の声に僕の思考が途切れた。僕に見えるのは、近づいてくる木野瀬と倒れたままの由希。


「ルキアと話しているだけです。人間界……同じ姿で生き続けた長い時は、君にとってどれだけの地獄でしたか?僕が与えた名前すら捨てた……愚かな裏切り者」

「お前がくれた名前……翔琉かけるだったっけ? 僕は生まれ持っての自由主義なんだ。誰にも縛られないし、誰かを縛りつける馬鹿は嫌いだ」

「随分と強気ですね。……君は僕と同じ、死なない存在です。だが、君を生み出したのは僕。君も裏切り者の猫も、すぐに消すことが出来ます。生かしている僕の慈悲深さを、忘れてもらっては困りますね。翔琉……いえ、木野瀬ブン太君」


 木野瀬の顔に浮かんだ笑み。

 僕の命はリフに握られてるんだ。僕だけじゃない……僕に優しくしてくれた小人も、絶望庭園の誰の命もリフの思い通りになる。

 僕が逆らえば、みんなが傷つけられるんじゃ。


「ごめんなさいリフ。すぐに帰るから……二度と森から出ないから、みんなを傷つけないで」

「みんな? 僕が悪者みたいな言い方ですね」


 リフの手が動き、僕に向けられた刃の切っ先。リフは僕のことなんてなんとも思ってないのか。

 幼い由希の中で、悲鳴を上げた僕を飲み込んだ絶望の闇。たぶん……絶望の闇もリフが生み出した生き物だ。

 僕の悲しみも住人達の嘆きも、リフにとって滑稽なものでしかない。

 僕は閉じ込められたままだった。僕の悲しみも、生み出された住人達の涙も、リフにとっては喜びでしかなかったんだ。

 自分が死なないことを知っているリフは、死ねない絶望と嘆きを忘れるために……僕達を蔑んで笑っている。


 ……由希。

 僕が悲鳴を上げる前に、君に僕の声が届いていたら。僕の声を聞いた君が……僕をわかってくれたなら。

 僕が絶望の闇に飲まれなければ……いつかは、君とわかりあえていたのかな。

 僕達の想いがひとつになって、君の夢が僕の夢になったなら。


 ……僕は……君と一緒に。


 木野瀬の手の中で光るパズル。お婆様が僕を待っててくれる。僕はお婆様が愛した世界に……行きたい。

 お婆様が生きた世界で……生きたい。


「お婆様」


 僕が手を伸ばしたらリフはどうするだろう? 僕の手が傷つけられて、パズルに触れることが出来なければ……お婆様の声が。


「由希、起きてくれ」


 僕になった君の記憶はすごくあったかいんだ。僕は……君が羨ましくて、君のようになりたかった。


「僕は君にとって、家族のような存在のはず。君は彼らを憎み続け……僕のそばにいればいいのです。哀れで醜い……絶望少年ルキア」


 醜くなんかない。

 僕の体は……由希の記憶はあったかいんだ。

 僕は自由を手に入れる。

 いつかきっと、絶望庭園の住人達も動きだす。縛られない自由を求めて、逃げだした猫のように。

 暗闇の中でしか生きられない体なんていらない。少しだけでいい、僕は……夢が叶うだけの時を選ぶんだ。


「僕は……自由を」


 同化した暗闇を壊していく。ひび割れ、砕けていく暗闇から見えだした灰色の肌。

 由希の記憶を染めた灰色。作りものの僕なんてもういらないんだ。


『由希君……由希君』


 僕の中を巡る、由希を呼ぶ彼女の声。僕が絶望の闇に飲まれて、由希が忘れてしまったあとも、彼女は由希を待っていた。

 由希が記憶を失くしたことを、お母様から母親に伝えられ彼女は知ったんだ。


『由希君が思いだせたら、最初に話すことを決めてるの。お母さんと一緒に選んだ、お気に入りの絵本のこと。由希君は教えてくれるかな? 八重お婆さんが、どんな想いを込めて絵本を描いたのか』


 暗闇から離れ、近づいていく僕に木野瀬が笑いかける。木野瀬の手の中で僕を待つお婆様。

 お婆様の声が聞こえたら何を話そう?

 僕の体が壊れ、命が消える前に伝えたいこと。

 どうしよう……話したいことがいっぱいで決められないな。


「大丈夫だよ」


 魔法使いの声が響く。

 お婆様……可愛らしいうさぎが魔法使いだなんて、この世界はなんて不思議なんだろう。


「君は死なない……自由になれる。ボクのお父さんが助けてくれるから」


 お父さん?

 そっか、魔法使いにも家族がいるんだな。僕を助けるってどうやっ……


 木野瀬の目が鋭い光を放ち、彼の体が暗闇に覆われていく。暗闇は長い刃に形を変え何かを突き刺した。

 僕の背後に響く呻き声。

 振り向いた僕に見えたのは、黒い刃が貫いたリフの体。リフの右手から刃が滑り落ちた。


「僕を愚かと言ったお返しだ。気にいらないなら、僕を消し殺せばいい。その代わり、こいつの自由は僕がもらうからな。こいつは生きる覚悟を決めたんだ」


 苦痛に歪んだリフの顔。

 青い目が僕を見つめている。

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