第22話

 絶望庭園の始まりがいつなのかを、僕は知らないし誰も教えてくれない。知っていることは、僕が慕う姫君とリフの優しさ。

 姫君とリフがそばにいる温かな時。絶望庭園に訪れる夜の始まりは、僕の寂しさを和らげて優しさを呼び寄せる。

 夜の闇の中、姫君とリフは僕が待つ森に来てくれる。

 僕が与えられた住処は、暗闇に包まれた森の中。見上げる空の変化は、由希の中で見ていた人間界と同じ。

 世界を照らす太陽の眩しい光。何処かから響く住人達の笑い声と空と世界を染めていく黄昏。

 雨が降らないことと、季節の巡りがないことを除けば、絶望庭園は人間界とよく似た世界であるらしい。


 姫君とリフを待つ長い時の中、僕に食べるものを運んでくれるのは年老いた小人。暗闇から出られない僕に、小人は絶望庭園の出来事を詳しく教えてくれる。

 鳥の群れが、人間界から運んだ種が鮮やかな花を咲かせたことや、リフが生みだしていく新しい住人達のこと。

 木野瀬ブン太と行動を共にする猫が、絶望庭園から逃げだしたことも小人の話で知った。住人達は驚いて、猫が何故逃げだしたのかを話し合っているのだと。

 絶望庭園を騒つかせた1匹の猫。

 僕も猫が逃げた理由を考え続けた。

 与えられた居場所を、捨てることが怖くないんだろうか。 この世界にいれば、姫君とリフに愛されて……幸せなままでいられるのに。

 僕はリフから言われていた。


『森から出てはいけません。暗闇の中でしか生きられない君は、僕が何よりも守りたい存在なのです。君は世界も何も知らなくていい。何にも染まらない……僕の愛しい暗闇』


 姫君が住む城や、絶望庭園を彩る景色を見てみたかった。

 人間界の種がどんな花を咲かせたのか。由希の中で見ていた、たんぽぽやスミレを懐かしく思う。

 太陽に照らされた城や町並みと、笑い声を上げる住人達の姿が見たい。

 だけど言いつけを守らなければ、リフの微笑みを曇らせてしまうだろう。

 リフは言ってくれたんだ。

 僕を守りたい存在だと。


 僕に許された自由は暗闇を操ること。絶望庭園の景色を見れない代わりに、人間界で起きていることと由希の日々を暗闇の力で見続けた。由希の中に残された、僕のわずかな命のカケラから流れ込む由希の想いと、絵本作家を夢見る由希の巡り広がっていく想像世界。

 お婆様が亡くなった時、僕の大切な想いも死んだ気がした。森を飛び出しお婆様のそばに行けたなら。夜の闇は僕を隠して……お婆様に触れることを許してくれただろうから。

 だけどリフの優しさを裏切ることは出来なかった。

 僕はここから……出てはいけないんだ。

 リフと小人の肌の色は人間と同じ。僕の灰色の肌を哀れむように、小人は時々僕を前に泣いた。


『泣かないでお爺さん。僕は幸せなんだよ。この肌色は、僕が与えられた宝物なんだから』

『幸せなのかい? 君が幸せと言うなら僕も喜ぼう。だがね……僕には幸せそうには見えないんだよ。美しいものも醜いものも……平等でなければいけないのに。僕はねルキア……生まれた時から年老いた姿のままさ。……それでも生きているだけ……幸せなんだろうか』


 姫君とリフがくれた優しさの中で僕達は生きている。お爺さん、僕達は幸せなんだよ。だから今があることを喜ばなくちゃ。


 僕は幸せなんだ。

 姫君とリフがいるから。

 それなのに……


「姫君が……人形?」


 木野瀬に問いかける僕の声は掠れている。姫君が人形だなんてそんなこと

 ……あるはずが……ない。

 風になびく姫君の髪は艶やかで、僕の頬の撫でる白く細い指は温かい。

 人形だなんて嘘だ。


「そんな話……信じられるか」

「絶望庭園の正体は、リフが作りだした理想郷。傷ついた世界が上げ続けた悲鳴。それがひとつの魂と、思考を生み出し創造する力を手に入れた。魂が自身の体を作り絶望を糧に作りだした世界。それがリフと絶望庭園……リフは僕と同じ、死なない存在さ」

「まさか……そんなこと」

「リフに生みだされた僕と人形。……死なない人間と、壊れていることを知らない人形。僕は生まれた瞬間とき、あいつに大切なものを奪われた。死の恐怖と死ねる幸せという……生きる者が与えられるべきものを。人形が仮面をかぶっているのは、ひび割れた顔を隠すためさ。壊れていることを知らない人形……自分が何故、ひび割れているかを知らない。リフはセレスと名付け姫君と呼んだ。自身が作りだした理想郷を統べる姫君だと。リフは思うままの世界を作りだしご満悦なのさ」


 由希に近づいた木野瀬の足が、由希を蹴りかけて止まった。『……臆病者の奴』と呟くなり木野瀬は笑う。


「臆病者の声、お前にも聞こえたか? 僕に命令しやがった。『由希君を蹴らないで‼︎』ってな。馬鹿宮を起こすのは臆病者に任せるとして……お前、臆病者とルナは仲良くなれると思う?」

「そんなこと知るもんか‼︎ それよりも……君の話」


 木野瀬の話を信じることは出来ない。だけど僕と同化する暗闇が波打つように揺れる。僕が知らない絶望庭園の始まり。僕が知らない……リフが生まれた背景。

 

 木野瀬ブン太は死なない人間。

 死への恐怖も、死ねる幸せも奪われた残酷な存在……か。

 暗闇と同化する僕の姿は、彼にはどう見えているのだろう。ひび割れ壊れかけた暗闇の中で、呼吸し生きている僕は。


「君が知ってるだけのこと話してくれないか? 僕は……リフのことも、絶望庭園のこともわからないことばっかりだ」

「だろうな。……リフは綺麗事を並べて、お前を騙しているだけさ」

「なんだって⁉︎ どういうことだ‼︎」

「リフに聞くといい。あいつはくせ者だが、僕が口を割らせてやるよ。自分のために戦え……暗闇から抜けだしたお前を……婆さんが待ってる」


 木野瀬の手の中に見える青い光。お婆様の想いを秘めるパズル。


 お婆様がいる。

 僕にも……声が聞こえるのか? お婆様が僕を待っててくれてる?

 木野瀬が言うことが本当なら……僕の夢が叶う。ずっと……お婆様と話したかっ……


「何をしているんですルキア。僕が言ったことを忘れたのですか? 森から出てはいけないと」


 リフの声に暗闇が波打つように揺れた。

 姿は見えない。

 だけど……リフがそばにいるんだ。

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