第21話

 由希に僕の声が聞こえたら。


『僕の中にもうひとりいるんだよ。八重婆ちゃん、この子が話したいんだって』


 由希がお婆様にそう言ったなら、お婆様は僕にどんなことを話してくれたのか。

 子供が話すことを、大人達のほとんどが信じはしない。だがお婆様はすぐに受け入れ信じてくれるだろう。

 由希が話すからじゃない。

 お婆様はそういう人だから。

 優しいだけじゃない。

 だから……僕も由希も、お婆様のそばにいることが幸せで……ただ幸せだった。お婆様と共にある家族の温もり。それは僕の……


「ニャーオ」


 猫の鳴き声が僕の想いを遮った。

 由希が見えなくなり、重なり動く黒い手の群れが見える。

 僕が思いのままに動かせる暗闇。

 手の群れを溶かし、由希の総てを溶かして飲み込むんだ。

 由希の幸せな記憶は、僕の命と体になり憎しみの力になっているから。


 幸せな記憶。

 幸せな場所。



 僕の……幸せは……


『由希君……由希君』


 佐藤くるみの声が僕の中を巡る。絶望の闇が捕えた由希が、事故に遭う前に見た彼女の愛くるしい笑顔。


『次はいつ会えるかな? また八重お婆さんのこと聞かせてね? 約束だよ……由希君』


 ……約束。


 記憶を飲まれ彼女を忘れた由希。家族の誰もが、お婆様すら事故が原因だと思っていた。いつか彼女を思いだす時が来る。……それが、由希を見守りながら家族が秘め続けたひとつの想い。


「ニャーオ」


 猫の鳴き声が響く。

『早く飲み込め』とでも言うように。飲み込んでやるよ。由希と猫を飲み込んだら、過去の由希を殺してやる。

 内側ここから暗闇の力で粉々にするんだ。


 水が流れ食器が洗われる音。由希に見えるのは食器を洗うお婆様のうしろ姿。由希が悲鳴をあげたら、お婆様はどんな顔で振り向くだろう。

 穏やかで優しくて、温かいお婆様の笑顔。それが失われた代わりにあるのは……


「ニャーオ」


 僕をせかすように猫が鳴いた。

 由希を覆う黒い手の群れ。

 ひとつの手が何かを握りキラキラと輝きだした。

 闇に霞む青い光。

 あれは……そうだ、パズルのピース。

 過去ここに由希を導いだもの。

 魔法使いから受け取ってから、由希はお婆様と話している。僕にはお婆様の声は聞こえない。だけど……どうして由希は……


「あのパズルには、八重ちゃんの想いが秘められてるの。八重ちゃんはボクの……月の住人達の、大切な仲間なんだ」


 舌ったらずな魔法使いの声。

 魔法使いはお婆様のことを由希に語っていた。魔法使いの由希に語る声が、僕にも聞こえてたのは何故だ?

 僕は暗闇を思いのままに動かせる。

 過去も今もない暗闇は、魔法使いを飲み込むことも出来る。……何故、魔法使いは僕を恐れない?

 臆病者の月の住人が。


「君は優しさを知っているから。由希君と一緒に……生きているから」


 違う。

 僕は由希の中で生きていただけだ。

 由希の中から出て、命と体を手に入れたんだ。

 姫君とリフが僕のそばにいる。

 今……僕は幸せなんだよ。


「……絶望庭園で与えられたのは暗闇。暗闇から出て生きることは出来ない。……お前、奴らがくれた幸せに疑問が浮かばないのか?」

「疑問?」


 木野瀬ブン太の問いかけに、僕の口から漏れた声。……幸せだって言ってるじゃないか。疑問なんて何も。


「……ルナも、リフから命と体をもらったのさ。お前と違うのは、ルナは暗闇に縛られず生きていられること。与えられた力は総てを読み取る力。ルナは絶望探しの仕事をリフに与えられたのさ。ルナの力は、絶望庭園を守り続けるためのもの。絶望庭園を彩るのは絶望、失望、憎しみ……命が生み出す闇の感情。リフの思惑を読み取ったルナは、隙を見て逃げ出したのさ。支配されない自由を求め……僕と出会ったんだ。……リフが最初に、姫君と同時に生みだした存在ものと。姫君という絶望庭園を統べる人形と、暗闇を操れる……僕という死なない人間とな」

「暗闇を? ……死なない?」


 彼は何を言ってるんだ?

 嘘だ。

僕を嘲る……くだらない嘘だ。


「……嘘と決めつける根拠はなんだ?

 今は昼休みだし、証拠を見せてやるよ。……哀れなルキア」


 由希を包む黒い手の群れが、ドロリと溶けだし僕に近づいてくる。ゴボゴボと不気味な音を立てながら。

 僕の力じゃない。

 何かが……僕が作りだした暗闇を操っている。


「由希君っ‼︎ 起きてよ、由希君っ‼︎」


 魔法使いが、姿が見え始めた由希に叫ぶ。由希は気を失ったまま動く様子はない。だけど魔法使いの声は、嬉しそうに弾んでいる。

 溶けた暗闇の中で光輝くパズル。

 お婆様はパズルの中から、由希に語りかけてるんだろうか。魔法使いのように『由希、起きなさい』って。

 どうして僕には……お婆様の声が聞こえないんだ。

 パズルは暗闇の中にあるのに。僕は……パズルに触れてるのに。


「……僕が今、お前が作った暗闇を操っている。それに……パズルに触れてるのは、お前自身じゃないだろうが」


 ……僕じゃない?


 僕は暗闇の中にいるんだ。

 暗闇は僕なのに……僕が触れてるのに何も聞こえないなんて。


「……臆病者、お前は今ひとりだな? 仲間を呼べるだけの力があるか? なければ、ルナがお前のそばに行く」

「猫⁉︎ どうして⁉︎」

「ルキアを包む暗闇が、お前にも流れ飲み込みかねないからな。……ここにリフを呼ぶ」


 リフ⁉︎

 どうしてリフを呼ぶんだ?

 こいつは……木野瀬ブン太は、リフに何をする気だ。


「……わからないのか? お前を暗闇から解放してやるためさ。……ルナ」

「ニャーオッ‼︎」


 木野瀬の声に、弾むように泣いた猫が、ゴボゴボと音を立てる暗闇に飛び込んで消えた。僕の暗闇を、木野瀬は利用するつもりか?


「……言っただろうが。僕は暗闇を操れると。お前が暗闇に飲み込んだとしても、僕はルナを助け出せるのさ。それに……暗闇には、過去も今もないからな」


 猫を飲み込んだ暗闇が、動きだして人影を作りだしていく。暗闇を突き破り現れたのは、端正な顔つきと金色がかった茶髪の少年。

 木野瀬ブン太が……僕の前にいる。


「ルナから読み取ることも、念じて話しかけることも結構な労力なんだぜ。ましてや授業中だったんだ。……これで、お前と直接話せるし馬鹿宮を蹴り起こせるな。昼休みのうちに、リフと話をつけてやるか」


 端正な顔に浮かぶ笑みを前に、僕はまだ信じることが出来ない。彼は本当に暗闇を操れるのか。姫君と共に生みだされたのが本当なら……彼の顔は姫君と同じなのか?

 僕を愛してくれる姫君が……リフに生みだされた人形⁉︎

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